信じて神様・疑って悪魔・3


「えー? ちょっと、麻衣。本当に結婚しちゃうの? その傲慢わがまま自信過剰のバツイチ子持ち男とでいいの?」


 玉子焼きを落としながら、祥子が言った。


「仕方が無いでしょ? その傲慢わがまま自信過剰のところも好きなんだから」


 売り場に立った日は、祥子と今まで通りお昼を食べている。

 今まで散々相談してきた祥子には、悲惨な言い方をされ続けた渡場である。祥子も最後には見直してくれるかと思ったが、やはりそれは無理だったようだ。

 私自身、どうしようもない男だと言いまくっていたのだから、仕方がない。私も立場が逆だったら、同じことを言うだろう。

 一呼吸置くため、私は水を飲んだ。呆れながらも、祥子は言った。


「まぁ、おめでとうとは言いたいけれど、手放しではないよねぇ、いろいろ問題は山積だと思うよ。まぁ、でも、誰と結婚しても問題は生じるものだから、がんばって乗り切るしかないよね」


「ありがと」


「麻衣も結婚するとなると、私も考えちゃうよねぇ」


 急に遠い目をして、祥子がそんなことを言い出すので、今度は私が玉子焼きを落とす番だった。

 私はまじまじと祥子の顔を見た。


「祥子って、仕事に生きるタイプだと思っていた」


 祥子は、私が落とした玉子焼きを箸で突き刺すと、パクリと食べてしまった。


「仕事に生きたって、結婚はしたいわよぉ。ただ、この人だ! っていう相手が見つからないだけ。あんたのところの上司みたいな、枯れた女にはなりたくないしねぇ。あの人、あれでも若いときは美人でモテモテだったらしいよ」



 若いということは、それだけで充分武器になる。

 でも、若いことでもてはやされる年月なんて、あっという間に過ぎるのだ。五年? 十年? いや、社会に出てからならば、三年がいいところだろう。


 女としての真の美しさを問われるのは、もしかしたら三十歳以降なのかも知れない。


 チヤホヤされていたいい女時代を、我が上司は忘れられないらしい。

 今でも、誰もが自分の気を引きたくてたまらないと思い込んでいて、白い目で見られていることに気がつかない。人を顎で使うことばかりを覚えてしまって、現在に至っている。

 年齢を重ねたら、生き様が顔にも表れてくるものだ。

 人間として狭くてつまらないし、かわいそうな女だとも思う。


 私は笑ってしまった。

 まさか。彼女と祥子では、人間の大きさが違いすぎる。


「祥子は、そうはならないよ」


「あらぁ、これでも、若い子たちにはうるさいおばさんだと思われているのよぉ。十年たったら、他人事じゃないわよぉ」


 祥子はけらけらと笑っていた。




「ただいま」

「お帰り」


 まったく今まで通りに迎えにきた渡場の車に乗り込む。でも、初めてのデートでもするかのように緊張した。

 これから渡場は私の両親に挨拶をするのだ。

 渡場は、少しやつれたような気がする。でも、私もやつれたかもしれない。

 それでも、二人で微笑みを交わせば、すべての苦しみは消えてしまうような気がした。


「本当に驚いたよ。妻がね、急に『あなたがそこまで言うならば』て言い出して、とんとん拍子に話が進んだ」


 私は、幸せだったけれどぬるま湯にひたったような、地獄の日々を思い返した。妻にとっても、やはり地獄だったのだろう。

 渡場は片えくぼを作って、満足そうに笑った。


「俺は……すごく変わったらしいぞ。アイツは俺の誠意を感じたらしい」

「え? 直哉の? うっそーーー!」


 とはいいつつ、私も渡場は変わったと思う。

 一緒にいるうちに影響しあい、お互いに変わった。

 


 でも、もしかしたら。


 変わったのは渡場ではなくて、渡場を見る私の目なのかも知れない。

 初めは、本当にひどい男だと思っていた。最悪なヤツだと思ってた。

 私は渡場を信じている……って言ったけれど、本当は常に疑おうとしていたのではないだろうか?

 心の表面で「騙されている」と思い続けていた。それは、私の迷いとなって苦痛となった。

 けれど、心の底では「信じていた」のかも知れない。信じていたから、待ち続けることができたのだ。


 渡場が、本当はいつ私との結婚を決心したのかは、全くわからない。

 実際のところ、私が家を飛び出して、妻にも受け入れられなくて、慌てて……なのかもしれない。

 だが、今の渡場の喜びようを見ていると、彼の言葉通り、本当に初めから妻に納得してもらって、順序だてて事を進めていた可能性もある。

 あの「麻衣と結婚する」という言葉が、本気のプロポーズだったのかもしれない。

 いや、その時は勢いだったかも知れないけれど、日々過ぎしていくうちに決心を固めていったのかも知れないし。

 とすれば……散々振り回した私は、ちょっぴり悪女かも?


 まぁ、そんなことは、もうどうでもいいのだ。

 彼はちゃんと結論を出した。私もちゃんと待っていたのだから。



「それから、慰謝料もいらないといわれた」

「え?」

「養育費だけ、子供が大学を卒業するまで出してくれ、とね」


 渡場の今までの放蕩ぶりを考えると、慰謝料なしは少し信じられない。

 話し合いの内容はわからないけれど、妻が離婚を前向きに受け止めたことには間違いない。

 

「だから、少し経済的なゆとりができた。麻衣、仕事嫌だったらやめてもいいぞ」


 うれしかった。

 ただ、喜ばせたくて……では、なくて、本当に養ってくれるんだと思った。


「うん。でもね、もう少しがんばってみる。いつでもやめられると思ったら、がんばれそうな気がする」


 ふーん……と、渡場は考え込む。

 渡場という男に、貯金という考え方はないらしい。


「じゃぁ、その分でマンションでも買うか? 麻衣の家、無くなったしな」



 たかが紙切れ……と言っていた渡場だが、実は私以上に結婚のことを考えていたのかもしれない。

 いや、一度失敗しているから、かえっていろいろ考えるのかもしれない。

 どんどん広がってゆく渡場との未来に、私のほうが追いつかない。


 まだ、本当ではなくて……。

「あっと驚き、全部嘘!」

 なんて言われたらどうしょう? と心配になる。


 どうも私って、徹底的ネガティブ思考のようだ。だから、渡場の自画自賛的ポジティブ思考が心地よいのだなぁ、と思う。




 実家が近くなった時、渡場は適当な路肩に車を止めた。人通りのないところである。

 私がきょとんとしていると、渡場はあっけらかんとして言った。


「麻衣の両親のところに行ったら、できないことがある」

「え? えええ?」


 そういえば……。


 かなり長いこと、お互いのぬくもりを確かめていない。

 それに、おそらく挨拶して親公認の仲になったとしても、外泊を許す親ではないし、実家でそんなことはできない。

 十時には寝てしまう親に合わせて、私も早く帰らなければいけないし……。

 そう思ってドキドキしている私の横で、渡場は突然車の窓を少しだけ開けた。


「煙草って、きっと吸えないよなぁ……」


 真っ赤になっている私の横で、気持ちよさそうに一服し始めた。

 普段は運転しながら吸うくせに、私をからかった? それとも、本当は両親に会うから緊張している?


「バカ! 直哉のバカバカ!」

「おい、何? 何怒っているんだよ?」


 つい、ボカボカ殴ってしまった。



 渡場の事情を聞いて、大反対するかと思った両親だが、あっという間に認めてくれた。

 というのも、渡場がいい男だから……ではない。

 私が彼以外の人とは結婚しないという、固い意志を示していたからだと思う。

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