不協和音・4


 私の見合い騒動も、どうにか時間が解決した。

 親はあれっきり電話をよこさないし、渡場もそのことには触れず、いつもの日々が戻ってきていた。


 私も、もうこりごりだった。


 あまり余計なことを考えて不安になったり、苛々したりするのは、本当に疲れてしまう。何も考えないでいいならば、気が楽なのに。

 ただ、こうしていれば……。

 ごろりとソファーに寝転がっている渡場は、知らない人が見れば私の夫に見えるだろうし、晩御飯のしたくをしている私は妻そのものだ。

 紙切れ一枚がないだけで、まったく普通の夫婦のようで、すでに恋人のノリでもない。

 何気なくテレビを見ていた渡場がつぶやいた。


「ドラえもんって、意外と感動するよね?」

「はぁ?」


 私の声に、渡場は焦ったようだった。



 ちょうど、人気のアニメ特集をしていた。

 私は、アニメ世代である。アニメは大好きでたまらない。料理しながらも横目でチラチラとテレビを見ていた。

 しかし、年寄りに育てられた渡場は、小さな頃にアニメを見たことがないらしい。つまらなそうにしていた。

 ところが、いきなりドラえもんを見たとたん、うっかりとつぶやいてしまったのだ。


「へぇ、ドラえもんはいつ見たの?」


 てっきり、子供の頃に見たのだと思っていた。

 渡場のことだから、アニメごときに感動と言ってしまって、恥ずかしかったのだと思った。

 でも、渡場はまったく思いもよらない返事をした。


「先週の日曜、子供と二人で……ごめん」



 渡場は、昨年の夏以降、妻との約束で月一回は子供と遊ぶよう、言われていたらしい。そして、先週は子供と映画を見に行って、つい、ドラえもんを見て、不覚にも泣いてしまったのだ。


「いや、たまたま……ノビタのおじいさんとおばあさんが出てきて……」


 渡場は、祖父母に育てられている。

 が、中学三年の時、祖母が、翌年祖父が亡くなってからは、再び父親の元へ戻った。

 しかし、渡場は、おじいさんの話はすることがあっても、父親の話をすることはなかった。もちろん、再婚相手の母の話も、いなくなってしまった産みの母の話もない。

 渡場ほど、家族の縁が薄い人を私はしらない。

 比較的裕福だった祖父の遺産を巡って、なにやら揉め事があり、渡場には思い出すのも嫌なことのようなので、私も聞いたりはしない。

 大学に入学したのをきっかけに家を出て以来、帰ったこともないらしい。親にあったのは、自分の結婚式の時が最後のようだ。


 親の愛情が足りないために不良になった……というようなドラマがあったりすると、渡場は嫌がってチャンネルを変えてしまう。


「馬鹿じゃないの? 親がいなくたって、勉強すれば成績は上がるし、体を鍛えればスポーツもできる。何でもできれば、誰もが注目するようになるのに。……単なる甘えだよ。弱くてくだらないヤツだ」


 そう言われてしまえば、見たかったドラマで、私所有のテレビであったとしても、もう見ることはできない。

 ため息をつきながらせわしく煙草を吸う渡場には、このようなドラマを見たいとはいえない。痛すぎる。


 家族は、渡場の傷なのだ。

 いくら努力で乗り越えたとしても、やはり傷なのだ。


 ドラえもんで泣いてしまう渡場は、やはり非情の一言では片付けられない人なのだと思う。ただ、どうしても過去の傷がニヒルなポーズを取らせてしまうのだろう。

 家族を大事にしたり、思いやったりすることは、別にかっこ悪いことではないはずなのに。


「子供のこと……麻衣に黙っていたことは、悪いと思う」

「え? 別に。私、直哉が子供と会うのは、当然だと思うもの」

「ごめん……」


 渡場は、しつこく謝った。



 私の中に、少しだけ不安が芽生えた。

 それは、いい意味での不安とも言えた。


「子供なんて、愛していない」


 そう言い切っていた渡場の中に、かすかに子供に対する愛情が芽生え始めている。

 渡場は、人でなしではない。

 ただ、父親との思い出がなくて、何をすればいいのかわからないうえに、子供との間に距離を置いてしまったから、愛情を感じる暇がなかっただけなのだ。


「子供のために自分を犠牲にするなんてかっこ悪い」


 そう過去に言い切った渡場も、今は子供に会うために時間を割くことを苦にしていない。

 私は、そのことをうれしく思っている。

 でも、おそらく渡場は動揺しているのだと思う。

 自分が簡単に捨て去ろうとしていたものの大きさを感じ始めて、その動揺を私には感づかれたくはなくて。

 たぶん、子供かわいさで、離婚を躊躇してしまいそうな……そんな動揺なのだ。

 だから、渡場は私に子供と会っていることを話したくはない。

 だから、渡場は私に何度も謝ってしまう。



「麻衣、なんか焦げ臭い」

「え? あ? ああああ!」


 慌てて駆け寄ったときには、せっかく安売りしていたホッケが半分炭と化していた。

 とりあえず焦げた部分は下にして、食べないようにしよう……などと思いつつ皿に乗せながらも、頭から不安が離れない。ホッケの焦げた頭が皿の淵に当たってパリリ……と音を立てて崩れた。


 ドキッとした。


 もしも、渡場が結婚生活をやり直せるきっかけを掴めるとしたら?

 どうしよう……きっと。

 私にはもう、離婚して欲しいとは言えない。

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