不協和音・3
私のお見合いは、これで終わったと思われた。
しかし、この話にはとんでもない後日談がついてしまった。
断ったはずの相手から、電話が来たのである。
「食事でも一緒に……と思いまして」
私は、状況がよくわからず、あたふたしてしまった。
断った相手が、どうして私の家の電話番号まで知っているのだろう?
居間でテレビを見ていた渡場が、スイッチを切った。
気を利かせたのか? 疑っているのか? いずれにしても、まずい状況だった。
「あの……都合があまりよくありませんで……」
どうやら、父はこの話を断ってくれなかったらしい。しかも、電話番号まで教えてしまったのだ。
「では、麻衣さんの都合のいい日に合わせますよ」
がさつな男の声は、驚くほどに大きい。
馴れ馴れしく『麻衣さん』などと、呼ぶものだから、渡場がじろりとこちらを睨んでいる。
「都合のいい日って、ないんですよね……」
「え? どうにか都合をつけてくれないと、僕も困ります」
困るって……困っているのはこっちの方だ。
こんな状況なんて、まったく想像もしていなかった。下手なことをいえないし、渡場は私の一言一言をチェックしているし……。
相手にも気を使わなければいけないけれど、渡場の傲慢わがままな言い分も困ってしまうのだ。
ここは、一度は相手に合わせるべきなのかも知れないけれど、それに仕方がないよね……と、理解を示す男ではないのだ、渡場は。
思わず目をつぶってしまう。
玲子の見合いを断られた話を思い出し、つい、同じ言葉を言ってしまった。
「あの……ご紹介の方からのお話は、なかったのでしょうか?」
電話が切れたとき、私はことの重大さに開いた口が閉まらなかった。
ところが、渡場ときたら大喜びで、私を後ろから抱きしめて、耳元で囁いた。
「よく言ったね」
「……よくない。これ、とんでもなくまずい」
その言葉に、渡場は少し不満そうだった。
「何がまずい? あの男に未練でもある?」
「ちがうよ、こんな断り方したら、父が困るってこと」
私は本気でひやひやした。
あの男が、愚痴をいうタイプでないことを祈るだけだ。
渡場は、まったく状況を把握していないらしく、私の肩に頭を乗せていた。
「何が困る? 何も困らないよ。麻衣は、両親のことを気にしすぎだ」
一日、二日と無事に過ぎた。
はぁ、と安心していた三日目に、父からの電話が掛かってきた。
「お前はなんてことをしてくれたんだ! 父さん、恥ずかしかったぞ!」
第一声から、怒鳴り声だった。
案の定、あの男は愚痴っぽい男だったらしい。
紹介者も通さずに、いきなり断られて、恥をかかされた。ひどい話です、と父の恩人に切々と訴えたらしい。
こちらだって、別にあのような高校しか出ていないような人は相手にはしたくはなかったのに、付き合って見てくださいよと頭を下げられたから、会ってあげただけなのに、まったくひどいです。
うんぬん……。
「お前は礼儀も知らんのか!」
父の怒鳴り声は、電話から唾が飛んできそうだった。
「だって、私はすぐに断ったのに! 向こうはしつこくて!」
「そういう場合は、一度は会ってやるべきだ。時間を置いて、ちゃんと断ったことが通じたら、それで互いに嫌な思いをせずにすむものを!」
私は腹が立った。
やはり、これは父の策略だったのだ。
相手に断らず、むしろ「娘も乗り気でして……」などと、言ったに違いない。
まさか、私が直接断るとは思ってはいなかったので、とりあえずデートでもしたら気が変わるとでも思ったに違いない。
「生理的に好かないって言ったでしょ! 嫌な人は嫌なんだもの!」
私は思いっきり電話を切った。
涙がぼろぼろと出てきた。
やはり、横で渡場がうれしそうにしていた。
まるで、悪魔の微笑で。
「麻衣は、はっきり自分の意見が言えたね。偉いよ」
そう渡場は言うけれど、私はちっとも偉くはなかった。
父を、こんなにも傷つけている。
年老いた両親に、心配ばかりを掛けている。
こんな私の、どこが偉いというのだろう?
「悪いけれど……私を一人にして!」
渡場の絡みつくような甘い言葉を振り切って、私はベッドにもぐりこんで、わぁわぁ泣いた。
渡場には、私と両親の間にある壁と繋がりが理解できないのだ。
彼には、親との繋がりというものがすっぽりと欠落している。
いや、むしろ、親との繋がりにすがることなく、自分の力で生きてきたからこそ、今の自信に……いや、傲慢に満ちた渡場がいる。
頼れないものを断ち切って、生きてきたからこそ……。
渡場が悪いんじゃない。
でも、渡場の慰めは、今日の私には針のむしろだ。
「麻衣?」
渡場は、一度だけ泣き続ける私に、ベッドルームの入り口で声を掛けた。
しかし、やがて受け入れられそうにないと思ったのか、その日はベッドには入ってこなかった。
彼はソファーの上で寝ていた。
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