不協和音・2


「え? お、お見合い? どうして! この前受けないって言ったでしょ!」


 いきなりの母からの電話に、私は思わず叫んでいた。


「今度の人はね、三十四歳で本州のT大を出ていてね、R物産に勤めている人なのよ。正直、今までいろいろ探したけれどね、三十歳過ぎたら中々いい話もなくて……。でもこれは、本当にいいお話だと思う」


「で、でもちょっと!」


「先方さんもね、麻衣の写真を見て、ぜひ会いたいって……。ね、これはねぇ、父さんがお世話になっていた人に頼み込んで、やっと見つけてもらった話なのよ。だからね、父さんの顔をつぶさないように、まずはあってから判断して欲しいのよ」


「……」


 確かに、お見合いをする! と、わめいたのは私である。

 しかも、母には渡場とのことを見抜かれている。

 とりあえずは、会うしかないようだ。



 親の顔をつぶさないように、準備に忙しかった。

 実家の近くの美容室の予約の時間が迫っている。遅れたら、お見合いの時間に間に合わない。

 着物の用意に余念がない。忘れ物は……と、考え込んで、新しく買った足袋を鞄に押し込んだ。


「何で、俺がいるのに麻衣は見合いしなければならない?」


 案の定、渡場は不機嫌だった。


「ちゃんと断ってくるから、安心して待っていてよ」

「断るなら、会うなんて時間の無駄だ」


 三十四歳は、渡場と同じ歳。T大は、渡場の出たK大よりもレベルが高い。しかもR物産というのは、日本を代表する一流企業である。

 確かに、私のようなデパートに勤める高卒の女には、つりあわないほどのいい話だ。

 さすがに自信家の渡場も、かなり焦っているようだった。

 いきなり抱きしめてきたかと思うと、首筋にキスしてきた。


「! 嫌っ、だめ!」


 私は慌てて突き飛ばした。

 渡場のキスは、マークが残ってしまうような強烈なもので、そのような物をつけられてしまったら、売り場に立てなくなってしまう。

 子宮筋腫の手術・バイクでの転倒事故。二年連続の長期休みを取ってしまった私にとって、今の売り場はけして居心地のいいものではなくなった。

 いまだに右手では、シャツ一枚をストックにしまうこともできない。ダンボールは持てない。つまり、何の役にも立たない。

 ニコニコ笑顔で服だけ売っていればいいってものではない。仕事の大半は、売り場に商品を出したり並べたり引っ込めたりの仕事で、力仕事なのだ。

 上司も同僚も、怪我だから、病気だから……と、気遣ってくれてはいるが、内心役立たずだと舌打ちしている。

 長年培われてきた信頼も、揺らぐ時はあっというまだ。これで売り場に立てなくなったとしたら、本当に職を失ってしまう。

 なのに、私の焦りも知らないで、渡場ときたら……。


「麻衣は、俺を裏切るつもりなのか?」


 この嫉妬深さには、本当に困ってしまう。

 元を正せば、渡場が母からこそこそ逃げるようなまねをして、怪しまれるからこうなったのに。


「直哉以外の男には、私は扱えない女なんでしょう? 安心してよ」

「麻衣はふらふらしているから……」


 渡場に、いつものうぬぼれはない。

 キスマークなんて幼稚な証拠をつけなくても、私は渡場のもとに戻るのに。



 かしこまった席のお見合いだった。

 何度かしたお見合いの中でも、一番カチッとしたものかもしれない。

 ホテルの一室を借り切っての会食で、両親に連れられて着物で出席した。父も母も緊張していて、気を遣わなければならないような人なんだろうなぁ……と、否が応でも感じてしまう。

 先方は、もうすでに両親が他界しているということで、父の恩人だという夫妻に連れられてきた。

 悪い人ではなさそうだった。

 ただ、大柄のがっちりタイプで、がさつそうな感じがした。

 体育会系……というのだろうか? 礼儀は正しい人のようである。挨拶がきびきびしている。

 でも、着ているスーツのよれ方といい、とてもおしゃれに気を使うタイプではないらしい。やはりよれよれのハンカチを取り出して、額の汗を拭いている。

 悪い人ではないのだが、言葉の端に、しぐさの些細なところに、この人は嫌いだ……と感じてしまう。

 すべてを、渡場と比べている。


 たとえば。

 渡場はハンカチなんか持たない男だ。手で、ぱぱっと汗を拭いてけろっとしている。私が呆れて時々汗を拭いてあげたりする。

 大柄の体を小さくして座っている姿も嫌だ。紹介者夫婦に気を遣っているのかもしれないが。

 渡場は、寝るときは縮まっているときもあるが、常に自分を大きく見せる男だ。そう、たとえどんな偉い人の前でも、恐縮なんかしない。


「では、後で紹介者を通じて、お返事します」


 それが見合いの常識なのだろうか?

 私が目の前にいるというのに、一言の感想も言えないのだろうか?

 たとえば、明るい人ですね……とか、大人しいんですね……とか、なんとか。

 いちいち、人を通さないと、何も気持ちを表せないのか?

 あまりにもつまらない。


 この人と、これからの人生を歩むのだろうか? 

 この人と、夜も共にする?


 そう想像しただけで虫唾が走った。

 気持ちが悪い。絶対に触れられたくはない。


 そう、やっぱり。

 私はもう、渡場以外の男に抱かれることなんか、考えたくもないのだ。

 家に帰ったとたん、私はこの話を断るようにお願いした。


「ごめん、あの人、どうしても好きになれそうにない」


 母と父は、顔を見合わせた。


「え? 中々の好青年だったじゃないか? すこし、付き合ってから返事をしてもいいんじゃないのか?」


「生理的に好かないの。ちゃんと断っておいてね」


 はじめから断るつもりではいたけれど、この言葉にも嘘はなかった。



 実家に泊まれという両親を振り切って、私は家に帰ってきた。

 せっかくきれいに着付けた着物だ。渡場に見てもらって惚れ直してもらおう……などと考えた。

 渡場は、私が帰ってくるとは思っていなかったらしく、ぎゅうぎゅうに抱きしめてキスしまくった。

 これじゃあ、せっかくの着物姿を見せられない。


「ぜーんぜん、いい男じゃなかったもの。やっぱり直哉のようないい男はいないわよね」


 ぐちゃぐちゃに顔を崩して、渡場は笑った。


「だから、時間の無駄だって言っただろ?」

「ふふふ……本当に」


 私も渡場にキスを返す。


「ねぇ、麻衣?」

「うん? 何?」


 渡場の顔が、まるで子供のような表情になる。


「お代官様ごっこ、したい」


 そう囁きながら、渡場の手は私の帯紐をほどいていた。

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