ふりだしに戻る・3


 私の三十一歳の誕生日。

 クリスマス・イブでもあり、そして私には思い出の日でもある。

 しかし、だからといって何もない。

 雪がちらつく朝にうんざりだ。ホワイトクリスマスなんて夢心地に浸るのは、私たちには遠い世界だ。まずは雪かきから始まる朝が嫌だった。

 雪で交通渋滞なので、夏よりもずっと早くに家を出る。ゲームのし過ぎで寝不足なので、車の中で慌てて化粧をする。

 ロマンティックの欠片もない、いつもの日々の始まりだった。



 ……のだが。


「たぶん、今日は迎えにいけると思う。外で食事でもしようか?」


 突然、渡場が楽しそうに言った。


「うれしい! たぶんね、ちょっと残業になるかも知れないから、電話するね!」


 私は慌ててマスカラを終わりにした。瞬きしてしまった睫毛が重い。

 久しぶりにデートらしいデートができると思うと、心からうれしかった。

 それを渡場もうれしそうに見ている。


「麻衣、今日はびっくりするプレゼントを用意するから。泣いて喜ぶなよ」


 車を降りかけた私に、渡場はいたずらっぽく笑った。



 いったい何だろう?

 私はワクワクした。


 正直、一緒に暮らし始めて一年がたつのだから、ワクワクに飢えていた。

 ブランドのバッグとか、服とか、指輪とか……。

 でも、私がデパートに勤めているわりにケチで、贅沢ではないことを知っているから、それはないだろう。

 泣いて喜ぶどころか、そんな高価なものを買うくらいならば、カレーは豚肉で勘弁して! と嘆くと思う。

 新しいパソコン? でも、今のパソコンだって使いこなせていない。

 新しいゲーム・ソフト? でも、何でもない日にでさえ、渡場は新しいものが出ればどんどん買ってきてしまう。今更だろう。

 欲しいものを思い浮かべようとして、何も浮かばないことに自分でも驚く。

 祖母の言葉を思い出してしまう。


「欲しいものを欲しいと言えない子は、かわいくないよ!」


 本当に何も思い浮かばない。



 今年も借り出された玩具売り場の手伝い。

 なれないうえに忙しいので、寝不足が響く。しかも、紳士服売り場に比べてやかましい。人酔いしてしまいそうだった。

 さらに、私を苛々させる光景が、この売り場では繰り返されるのだ。

 子供が駄々をこねているのを見ることが、私には耐え切れない。


「まぁちゃん、だって、もうまぁちゃんはサンタさんにプレゼントをお願いしたでしょう? サンタさん、困って何も持ってきてくれないかも知れないよ?」


「いやだぁ! いやだぁ! サンタさんにこれもお願いするぅ!」


 男の子は、売り場の真ん中で寝転がって手足をバタバタしている。

 親は困り果てて、お財布の中身と相談し出した。玩具メーカーの派遣社員が、もう一押しとばかりにニコニコと接客している。

 売り手にとっては天使のような子供かもしれない。

 でも……。

 子供があまり好きではない私は、こういう子供の頭を蹴っ飛ばしてやりたくなる。


 どうして子供はわがままなのだろう?

 なぜ、親はこのようなわがままを許すのだろう?


 どうして……。



 子供の頃、欲しいものを欲しいと言えなかった。


「麻衣は何が欲しいの?」


 そう聞かれて、ただうつむいて口をムの字に結んでいた。

 欲しいものを欲しがったら、両親は困るのだ。

 家には、お金にゆとりがないって知っている。

 姉と妹が、あれが欲しいと泣いている中で、父の顔色を伺うような子供だったのかもしれない。

 我慢するのが苦じゃなかった。

 欲しい……と口にしなかったら、いつの間にか何が欲しいのか忘れてしまった。


 でも、本当は欲しかった。

 欲しくなかったけれど、欲しかった。


 だって、私の誕生日なのに。

 すでに誕生日プレゼントを受け取っている姉や妹と一緒に、同じようなクリスマスプレゼントを受け取って、満足してみせる自分が嫌だった。

 本当は、私だって、誕生日のプレゼントもクリスマスプレゼントも欲しかった。

 何でもよかったから、欲しかった。


 どうして?

 どうして大人は、わがままな子供のほうがかわいく思うのだろう?

 


 仕事が終わって、ロッカーで着替える前に渡場に電話した。

 電源が切られていて、通じない。


「もう、まったく何しているんだか!」


 ぷんぷんしながら、ロッカーで着替えた。

 とりあえず、中通に出てみる。

 雪がちらつく中、渡場らしき車はなかった。

 恋人同士が待ち合わせては去ってゆく。私はしばらく渡場を待った。

 息が白くなる。電話を再度した。

 やはり通じなかった。


 一時間待って、私はあきらめて地下鉄で帰った。


 いったいどうしたのだろう?

 腹が立っていたのは三十分くらい。

 冬道は事故が起きやすい。何かに巻き込まれて、とんでもないことになっているのかも?

 心配で、地下鉄を降りてから再び電話をしたけれど、やはり電源を切っているままだった。


 家についた。


 もしかして先に帰っているのでは? と思った期待は裏切られた。

 家には灯りがなく、部屋に入ると寒かった。

 すぐにストーブに火を入れたが、温まるには時間が掛かる。コートをすぐには脱ぐことができない。


 時間ばかりが過ぎてゆく。

 帰りに買ったフライドチキンも、もう冷え切っていて、私はじっと電話とにらめっこしていた。


 不安でたまらない。

 いったい何があったのだろう? 

 電話をもう一度かけてみる。

 そしてもう一度、そしてもう一度。


 何度も、何度も。


 せわしくせわしく、リダイヤルする。

 キチガイのように電話をかけて、そのたびに電源が入っていないとメッセージを受けとってしまう。


 欲しいもの。

 それは、渡場のぬくもりだけだった。

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