ふりだしに戻る
ふりだしに戻る・1
渡場と私の生活は、また元通りに収まった。
いや、元通り以上に密接になったかもしれない。
「麻衣は本当に、俺をふりきるつもりだった? 俺、傷ついた」
「傷ついたのは、こっちですよぉーだ。本当に見舞いに来ないんですもの。杉さんなんて、毎日来てくれたんだからね!」
「暇なやつだなぁ……」
「直哉が薄情なヤツなの!」
辛い入院の日々も、今となっては笑い話になりつつある。
電話をしなかったのに、渡場は私の退院を知っていた。
こちらが電話をしないので、必死に情報を集めていたらしい。そのために、美弥と理子ともカラオケにいったりして、何気に噂を聞いていたらしい。
もともと入院する前から、理子たちとはカラオケ仲間なのだから、今に限ったことではないのだが、女の子たちというのが微妙に気に食わない。
でも、渡場が杉浦とカラオケに行くのを想像すると、なんとなく不気味な感じがするので、よしとしておこう。
「理子にいわれた……」
「なんて?」
「直哉さんて、麻衣さんのこと、好きなんですねぇ……って」
「なんて答えたの?」
「実は、好きなんですぅ……って」
「バカ!」
「俺をバカっていうの、麻衣だけ」
「バカバカバカ!」
自分でもばかばかしいほどの、ラブラブぶりだと思う。
「はぁ、またまた復活してしまったのぉ? ちょいと、麻衣。あんた本当にその男と結婚する気じゃないでしょうね?」
いつもと変わらぬお昼時、祥子の箸から芋が転げ落ちた。
「うん、信じがたいけれど、信じて待つことにした」
祥子の箸は、どうしても芋の煮っ転がしに嫌われている。あきらめて漬物をかじりながら、祥子はふーんとうなった。
「本当にいいのかねぇ……。だって子持ちでさ、慰謝料だってどれくらい払うことになるかわからないしさ、あんただって慰謝料請求されるかもしれないよ」
「うん……確かにそうなんだけれどね」
私は遠い目をしてしまう。
渡場が離婚できるかどうかは、まだわからない。
こじれてしまえば、私だって別れの片棒を担いだと見なされて、慰謝料を請求される可能性もあるのだ。
私が原因でないとしても、証明できなければ負けてしまうかもしれない。思わず、貯金がいくらだったかを計算してしまった。
それに万が一、渡場が離婚できたとしても、相手に月々二十万も入れていたならば、私が養うしかない。
お金は掛かるだろう。
そして、肉が黒毛和牛だとか、三千円がどうだとかで、不毛な喧嘩を繰り返す予感がする。
祥子の言葉は追い討ちをかけた。
「だいたいさ、愛が冷めているとしても、離婚できない夫婦っているよ。だって、ソイツ、奥さんと同じ職場なんでしょ? ちょいと厳しいんじゃないかなぁ?」
デパートには、離婚・結婚の事例は山のようにある。
だが、大学というところはわからない。先生と事務員であっても、何らかの目は気になるだろう。ましてや、渡場夫婦は、恩師である教授の仲人を受けているという。
仕事がしにくくなるだろう。
お互いに触れ合わないことで平和を保っている夫婦に、離婚という話は、爆弾でもある。
子供にもあまりいい環境とはいえないのに、子供のことを考えたりすると、おそらく妻にはふんぎりがつかないのだ……という渡場の言い分もわからないではない。
時々、結婚にこだわる自分が、なんだか愚かしくさえ思うこともある。
人の不幸の上に、やはり幸せはない。
とすれば、妻の気持ちを尊重して、このままそっとすることもひとつつの生き方かもしれない。
渡場と二人でいることを放任してくれるならば、別にそれでもいいじゃない?
そう思おうと……考えたら、ボロボロ泣いている自分がいた。
渡場は、昨年あれだけこだわった獅子座流星群の観測をしなかった。
もう、星はいい……のだそうだ。
「麻衣は行ってもいいよ」
「杉さんの車でも?」
「あぁ、信じているからね」
私は悲しい気持ちになった。
でも、渡場が星を見なくなったのは、忙しくなったからなのだ。
彼は、この秋から臨時講師の仕事をかなり入れていて、そのための準備などで夜も遅かった。
それは、少しでも稼ごうとしているからだ。
今年の獅子もやはり曇天で、あまりの寒さに即帰宅となった。
渡場が心配な私は、曇天にほっとしたくらいだった。
車の中、杉浦が言った。
「最近、渡場さん、付き合い悪いけれど元気なの?」
「うん……とりあえず、生きているよ」
杉浦にとっては、その一言はがっかりだったらしい。そろそろ、別れたかな? という確認だったのだ。
「あのさ、僕は別に白井さんが誰と結婚してもいいけれど、渡場さんだけは嫌だな」
杉浦はいじけていた。
「え? 杉さんは直哉が嫌い?」
杉浦はますますいじける。
「いや、好きだよ。いいやつだと思っている。でも、こと女癖に関しては、許せないと思う」
私は笑ってしまった。
とりあえず渡場を好きだと言ってもらえると、少し救われた気がした。
むっとして、杉浦は言葉を続けた。
「あのさ、やっぱり不倫の末の結婚なんて、そんなの許されないよ。僕、白井さんにはそんな人になってほしくないんだ」
とは言われても……。
私達の恋愛は、略奪とは微妙に違うのだ。
と、思っているのは私だけで、渡場の妻はそう思っていないかも知れないが。
ただ、探ろうとすれば可能なはずの私のことを、妻が探ったりしている様子はない。
彼女にとっても、離婚するか、結婚生活を続けるか? は、自分達夫婦の問題だと思っているのだと、私は信じている。
杉浦はさらに続けた。
「僕、白井さんの結婚式は、一緒に高砂にいなくたって参加する。でも、渡場さんと結婚するなら、絶対に参加しないからね。招待状も破るからね」
最近、なぜ、杉浦じゃだめなのか、わかるようになった。
杉浦は、私にはいい人過ぎるのだ。
必死に私のために自分を殺してしまう。私をわがままな女のままにしてしまう。
そして、彼のウリは『まとも』だということだけ。
おそらく、杉浦と結婚したとしたら、私は傲慢な女になりきって自分のわがままで疲れ果てるに違いない。
杉浦を、きっと奴隷のように扱ってしまい、対等な人間として尊敬できないだろう。
いくら時間を費やしても、彼を愛せないだろう。
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