冷たい戦争

冷たい戦争・1


 抜糸して退院、その後はリハビリに通う……という予定は大きく狂った。

 というのも、私の肩に打ちつけたピンは少しずつ骨に押し戻され、肩からつきぬけそうだったのである。

 抜糸後も様子見し、突き出そうだったら再度打ち込むか、付き具合で抜いてしまうか……で、さらに一ヶ月入院することとなった。

 


「じゃあ、結婚式に出れないのかしら?」


 お見舞いに来た玲子が不安そうに言う。


「いや、お昼の式だったら大丈夫。外出届け出すよ。お酒は飲めないけれどね」


 腕が上がらない以外は元気満々。

 病院にいるのが恥ずかしいくらいだった。


 玲子はうれしそうだった。

 仕事を辞めたとはいえ、ブランド物のスーツは相変わらず。でも、少し顔つきは柔らかくなったかもしれない。

 持ってきてくれた花は、カサブランカという名の百合で香りがいい。でも、花粉が落ちるなどといって、玲子はせっせと雄しべを外してくれていた。


「私、本当のことをいうと、まだ不安でいっぱいなの。でも、もう後戻りしたくない」


 テッシュペーパーにオレンジの粉を落としながら、玲子は、ぽつんぽつんと不安を語る。

 私としては、後戻りして欲しかった。


 玲子が選んだ道は、どう考えたって幸せに結びつかない。


 白い花の中にあればオレンジの雄しべは美しいが、テッシュペーパーに落とされてしまうと、なんだか粉っぽくて薄汚れた感じで汚く見えた。

 手につけば、洗っても中々落ちないだろう。

 


 母が来た。

 玲子は、礼儀正しい挨拶をする。本当にいいところのお嬢さんそのものだと思う。


「聞いたわよ。玲子ちゃん、結婚するんですってね。おめでとう」


 母は顔いっぱいに皺を浮かべて微笑んでいる。


「いえ……お見合いで、すぐに決めちゃって……。これでいいのかなぁって、正直悩んでいるくらいなんですけれど」


 謙遜気味に、玲子は頬を染めながら言った。


「玲子ちゃん、結婚はね。決断までの時間じゃないわよ」


 母は、ニコニコしながら言った。

 まるで、私に言い含めるかのように……。


「結婚はいい人を選ぶことではないの。選んだ人と、どうやって幸せを組み立てていくか、なのよ。自分で選んだその人を信じて、がんばって」



 選んだ人と、どうやって幸せを組み立ててゆくか。

 自分で選んだその人を信じて……。



 無理だと思う。

 私は渡場というとんでもない男を選んでしまった。

 幸せなんて組み立てられない。何の成長も得るものもない関係。

 渡場を信じることなんて、百人に聞いたら百人ともバカだというに違いない。

 決めてしまった結婚にただ突き進んで行く玲子と、渡場というくだらない男を愛し続けてしまう私。

 簡単に気持ちは清算できない。

 でも、清算しないと幸せにはなれない。


 もう一度。


 孤独な自分に戻って、初めからやり直そう。

 新しい恋を見つけるのもいい。

 前向きになって、古臭い想いは捨ててしまって、大海原に船を出すように生きてゆこう。

 

 慣れない左手で、ノートにそう書きつけた。

 きっと、私以外は読めない字に違いない。

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