唯一の味方・最大の敵

唯一の味方・最大の敵・1


 翌日、私はやけくそになって実家に電話した。

 いい話があったらお見合いすると言って電話を切った。

 さらに翌日、祥子と飲みに出た。



「失恋すると、麻衣は見合いをするんだよねぇ……」


 祥子が笑った。

 この頃の暖かさに、きりりと冷えたビールを飲んでいる。

 仕事帰りの一杯は格別だけど、なんだか何かが胸につかえていてすっきりしない。


「失恋はこれからよ。今度こそ、アイツと別れてやる」


 私は、喉にぶつけるようにしてビールを一気に飲んだ。

 その間にまだ三センチほどビールを残して、祥子は新しいジョッキを注文した。私に聞くことなく、ちゃんと二杯頼んでいる。


「アイツ? あぁ、あのうぬぼれ男? そうじゃなくて、安全パイのほうだよ。よくもまぁ、景気よくふったもんだと思ってさ。とっておいたほうがよかったんじゃない?」


 祥子らしい冗談めかした言い方だ。

 いつもは笑えるけれど、今日は笑えない。それに、本当はチューハイに切り替えたかった。


「よしてよ、そんな言い方。私は、誰と結婚してもいいわけじゃないの!」


 なぜ、こんなに苛々しているのか、私自身わからなかった。

 何を私は焦っているのだろう?


「私は玲子と違うの! 玲子ったら、まったくどうかしているわよ!」


「あぁ、私も聞いたわよ。びっくり仰天の速攻だったわねぇ。まぁ、本人の人生だしねぇ、まぁ、いいんじゃない?」


 どこがいいのだというのだろう?


 相手は、自分じゃなにもできないマザコンなのに。

 結婚したら、後悔するに決まっている。


「祥子、『いいんじゃない』はないわよ。本当にひどい男なんだよ? 私、玲子が正気に戻って、やめてくれることを心から望んでいる」


 枝豆をプチプチ食べながら、祥子が笑った。


「まぁ、本人が好きなんだから。私もバカなことだとは思うけれどさ、言ってどうのの問題じゃないしね」


「祥子、本当に玲子はあれでいいの? あれでいいはずないよ」


「いいんだよ。本人がいいんだから。子供じゃあるまいし」


「それって、友達甲斐がなさすぎない?」



 突然、祥子が何か考え込んだ。

 しばらくぼっと天井を見ていたが、急にビールをくくっと飲んだ。


「あのさ……。友達甲斐がないんじゃなく、これは自主性の問題」

「でもね、絶対正気の判断を失っていると思う」

「あのさ……。人のことはどうでもいいから、自分のことを少し考えたら?」

「え?」

「はっきり言うけれど、麻衣は結婚を焦っていて、今は正気でないと思う」


 突然、祥子にそう言われて、私は耳を疑った。


「自分の男がうだうだしているから、焦っているんだよ。だから、玲子の幸せをねたんで、そんなことを言っているんだよ」


 私は飲みかけのビールを置いた。

 祥子にそんなことを言われるとは思っていなかった。


「思っていることを言うのが『友達甲斐がある』というなら、言わせてもらうけれどさ、私はね、玲子のことよりもあんたのほうが百倍も心配だよ」


 突然、崖っぷちで風を浴びているような気がした。

 あと一言聞いてしまったら、まっさかさまに落ちてゆく気分。

 高校時代からずっと仲良しだった祥子が、いったい私に何を言おうとしているのだろう?

 いつも私を助けてくれた祥子が、いったい何を言おうとしている?


「い、嫌だなぁ……。私はわきまえているよ」

「わきまえてなんかいないよ。いつもふらふらしていて、心配で仕方がなかったもん。どうして麻衣はそうなんだろうって……」

「そう……って、どうよ?」


 祥子は煙草を取り出した。


「そうって、つまりは、世の中のひっかかりそうな男を、全部惑わしてみたいわけ?」


 かっと頭に血が上った。


「いくら祥子でも、言っていいことと悪いことがあるわよ! 私がいつ、そんなことをしたのよ!」


「うん? だって、その安全パイの男だって、結局は振り回しただけじゃない? 散々気を引いておいて、告白させておいて、実は気がなかったっていうの、すごいひどくない? 男のプライド、ズタズタにする天才だわよ」


 つい先日の、杉浦の罵りが頭に響いてくる。


「私、そんなつもりはない」


「つもりじゃないから、罪作りなんだよね。その気がなくても、あんたはねぇ、手一杯男の気を引こうとして、がんばっちゃう女なの。工藤なんか、傍から見ていてかわいそうだった」


 祥子の口から、工藤の名前が出て、私は思わず詰まってしまった。

 

「く、工藤がどうしたのよ?」


 私はできるだけ冷静を装った。でも、ちょっと無理があった。声が震えているのが、自分でもわかってしまう。

 祥子のほうが、ずっと冷静だった。


「あんたって鈍感だからねぇ。工藤とあんたが付き合っていたことなんて、半分くらいの人は気がついていたわよ。気がついていなかったヤツっていったら……あの宴会の幹事をやったおばかなヤツくらいじゃない?」



 それじゃあ、私はまるでピエロではないか?


 職場の誰もが、私の恥ずかしい失恋を知っていた……としたら、私のあの苦しみは、いったいなんだったのだろう?


 祥子は、工藤と私の関係なんて、お見通しだった。

 知っていて何もいわなかった。慰めてもくれなかった。

 忠告のひとつもしてくれなかった。

 ただ、私が酒で悲しみを紛らわすのに付き合って、酔って吐いてメチャクチャになるのを、見ていた。

 そして、私のことを影で笑っていたのだ。


「工藤が、大学時代から付き合っている人がいて、もう少しでゴールインだって気がついていなかったの、あんたぐらい。普通、好きだったら、そういうことを探ってからアタックするものだと思うけれど、あんたって真直ぐだから、押して押して押しまくっちゃった感じ。恋は盲目……て、あんたのための言葉かと思ってたわよ」


「でも! 手痛くふられたのは、私のほうなんだよ! なんで私が悪くて、工藤が同情されるのよ!」


 祥子は、ふっと煙を吐いた。きれいな輪ができた。


「あんたみたいな女に、ひたすら真直ぐせまられて、揺らがない男ってまれだと思うよ」

 

 そのような言葉を、誰かからも言われた気がする。

 そう、渡場がいつも私に言っていた。いつも私に怒っていた。


 私は、そんな女じゃない。

 それは、私なんかじゃない。


 なのに、杉浦も怒っていた。そして罵った。

 なぜ、杉浦も渡場も祥子も、私をそんな目で見るのだろう?



「私が工藤に同情するのは、あんたに一方的にいい男にされてしまって、盲目的に好かれてしまったところかな? 工藤はそんな男じゃないもん。必死でなびかないようがんばっていても、男だからねぇ……つい、出来心だったんじゃない?」


 たしかに、工藤はちっとも私が思っていたような男ではなかった。

 婚約者がいたのに、私にも手を出して、それをずっと隠してもてあそんだのだ。


 誠実で優しい人だとばかり思ったのに。

 この人となら……と、思ったのに。


 全然いい人じゃなかった。


「あんたってガード固いけれど、自分の言いなりになりそうな男には、メチャクチャ気を引こうってするところがある。コイツと狙ったら、徹底的にせまるからねぇ」


 そんなつもりではない。

 普通にしていたら、なんとなく仲良くなったのだ。別に工藤にせまったことはない。

 お互いに惹かれあって、本当に自然だった。ちょっといい人だ……と思っていたら、工藤からデートに誘われて……。

 本当になんとなく、なんとなく付き合いが始まったのだ。

 でも、その言葉は結局口から出ることがなかった。

 祥子は、私の無言を「そのとおり」と受け止めたらしい。


「それでも、工藤をすっぱりあきらめたときは、すごく辛そうだったけれど、よくがんばったなぁと、見直したよ。でも、次の男も不倫とは、本当、工藤も浮かばれないよ」


 最後の味方に裏切られた気分。

 一気に酔いが回ったのだろうか? ドキドキする。目が回りそうだ。


「何で祥子は工藤に同情するのよ! もてあそばれたのは私なんだよ? 浮かばれないのは私よ! 誠実そうな顔に騙されたかわいそうな私なんだよ!」


 もう我慢がならない。

 心臓が破裂しそうに高鳴っていた。

 私の私らしいところが、全部崩れ去って、何も無くなってしまったような、焦りを感じた。

 忘れていた傷口が開いて、中から汚いものがいっぱい出てきて、流されてしまいそうになる。


「私は、工藤が誠実そうだったから、好きになったの!」

「あんたは、工藤だったらなびきそうだから、好きになったの。工藤に同情するよ」


 祥子になんか、私がどれくらい苦しい思いをしたのか? なんて、わかりっこない。

 所詮、恋愛なんてしたことなんか、ないのだ。祥子は。

 恋愛の被害者がどんなに痛くたって、それは三面記事の報道みたいなものなのだ。祥子にとっては。


 高校生の頃から、祥子は彼氏らしい男の子の一人もいなかった。

 誰かに言い寄られて、心を揺らせたことだってないじゃない?

 思い返せば、私に告白してくる男のことを、次から次へと文句ばかり言っていたじゃない!

 そして、私が捨てられるたびに、ほらね? って笑っていた。


 ——祥子は、私を悪女だと思っていたんだ。

 

「もう、わかったわよ! 祥子は私を勘違いしている。私をそんな風に思っていたなんて、ひどすぎる!」


「あんたのいう『友達甲斐』を披露しただけ。少し、頭冷やしなさいよ」


 祥子は、あくまでも冷静だった。

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