悪女・7


 苛々していた。

 杉浦に腹を立てていた……というよりは、渡場のいうことがあまりにも図星で、自分がとても悪い女のような気がして、責められたような気がしていた。


 歳を考えろ? 考えている。

 だから、まともな恋をして、まともな結婚をして……。


 でも、どう考えても、私が杉浦の愛を受け入れることが、まともとは思えない。結婚したいからといって、安易に妥協するのはそれこそ『まとも』じゃない。

 結局、私は渡場と後ろめたい関係を持ちつつ、妥協の産物で杉浦の気持ちを利用していたらしい。

 気を引こうとしていなかったか? と言われると、そんなことはないと言いたい。

 そんなことはないはずなのに、杉浦の言葉に動揺している自分がいる。


 そんなことはないはず……。



 家に帰ってみると、渡場はいなかった。

 私が帰っていないと思って、パチンコにでも行ったのだろうか? 早く帰っていると言っていたのに。

 ……と思い、電話をしようとすると、メッセージが残されている。

 どうやら、地下にある店だったので、携帯電話が圏外だったらしい。


『急用で今日は行けなくなった。明日もちょっと……後で詳しいことを教えるから』


 早口でせわしいメッセージだった。

 ますます苛々が募った。



 電話が鳴った。

 渡場からくるかも知れないと思い、携帯も家の電話の子機も近くに置いていたので、すごい速さで電話に出た。


「もしもし? 麻衣? 私」


 玲子だった。

 最近、五回に一回しか出なかったので、めっきり電話が減っていた。なのに、このように苛々しているときに限って出てしまうとは。


「あぁ、どうしたの? こんなに遅く」


 私はため息交じりに返事をした。


「うん、麻衣。今までたくさん相談に乗ってくれて、ありがとう」


 相談に乗っていたのではなく、一方的に語っていただけでしょう? と言いたかったけれど、抑えた。


「あのね、私……結婚することになったの」

「え?」

「今度こそ、本当。九月にね、結婚式を挙げるから」

「あ……おめでとう……」


 あまりにも突然で信じられない。

 私は気のないお祝いの言葉を述べた。


「麻衣がいろいろ相談に乗ってくれたから、お見合いがうまくいったのよ。本当にありがとう」


 散々電話で愚痴られて、今まで「ごめん」とは言われたけれど、「ありがとう」はなかった。

 今度は本当なのだろうか? 全然信じられなかった。


「よかったね、で、相手はどんな人?」

「うん……。寡黙な人でね、大人しい人」


 ここまで具体的ならば、本当なのだろう。

 何だか寂しい気もしたが、あれだけ結婚したがっていた玲子だから、本当によかったと思った。


「いつの間に?」

「うん、昨日お見合いして、すぐに」

「え? 昨日?」

「うん、私のこと、一目見て気に入ってくれたみたいなの。服も地味にしたし、眼鏡をかけていたんだけれどね……」

「昨日って……昨日でもう返事したの?」

「うん、会って一時間後に、式は九月でいいかしら? て、向こうのお母さんがね、その人は寡黙だから、うなずいただけだったけれど……」


 私は驚いて、つい声を大きくしてしまった。


「うんって、玲子! あなた、そんなにさっさと決めちゃっていいの? その人とちゃんと話をしたの?」

「うん。でも、寡黙な人だから、どちらかというと向こうのお母さんとね。彼、私のこと、気に入っちゃって固くなっていたみたい」

「そんなの、寡黙っていう? ちょっと、大丈夫?」

「大丈夫。私、今までそんなに気に入ってもらえたことがなかったから、すごくうれしくって……。でもね、はしゃぎたい気持ちじゃなくて、じわりと幸せを実感している感じでね……」


 私はなんとなく嫌な予感がした。

 なんとなくその男を知っているような気がする。


「その人、なんていう人?」

「えっと、真間ままさんっていうの」


 私は思わず受話器を落としそうになった。

 私とお見合いした、あのマザコン男である。


「玲子! ちょっと待って! すこしあの……付き合ってから、それから決めてもいいんじゃない?」


「ううん、もう私、私でいいって言ってもらえただけで充分。もう、これを逃したらきっと結婚なんてできないもの」


 私の頭の中を、歯がスカスカで青白い顔をしたどうしようもない男の顔がちらついた。

 寡黙な男ではなかった。

 母親には頭が上がらなくて、緊張していただけなのだ。

 二人っきりになったら、おしゃべりでうるさかった。

 下手な車の運転で、隣にトラックが来るたびに「畜生! 何で並ぶんだ!」と、青くなって怒るような、そんな幼稚な男なのである。

 あんな情けない男と玲子が結婚するなんて、お願いだからやめて欲しいと思った。

 でも、玲子はすっかりその気で、慎重に考えたら? などという私のアドバイスなど聞く耳を持たない。

 落ち込んでいるときと同じようにすっかり自分の世界に浸りきって、感極まった声で言った。


「麻衣、本当に感謝しているわ。友人代表をお願いしていい?」

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