悪女・6
話し合うにはちょうどいいわりと静かな店で、私と杉浦は打ち合わせをした。
杉浦は、これだけ持ってきたら重いだろうなぁ……と思うほどのキャンプ場情報誌を広げ、ああだ、こうだ、と楽しげに話している。
しかし、私ときたら、朝の渡場の言葉が頭に響いてきて、中々話に乗れないでいる。
「で、どう思う? 白井さん」
「え、ああ? うん……」
などと、気のない返事をしてしまう。
「キャンプの話がつまらないなら、別の話をしてもいいんだよ」
杉浦は、そうとう落ち込んだようだった。
「いや、ごめん。今度、皆に会うときには、キャンプ場の候補地絞っておかなきゃね」
私はキャンプ場の資料を見ようと手を伸ばした。その手に杉浦の手が重なって、私は慌てて引っ込めた。
お酒も程よく入っている。杉浦の目が眼鏡の下でじっと私を見ていた。
「キャンプ場なんて、別にいい。僕は、白井さんがそういうことが好きだから、キャンプの話をしているんだ」
「はぁ? うん、楽しいことは大好きだよ。キャンプは大好き」
私はニコニコ笑って見せた。
「わかっているのかなぁ? 僕、白井さんと会いたいから、いろいろ理由を作っているんだよ?」
いきなり、杉浦がぼそりと言い出した。
『杉浦は麻衣と結婚したがっている』
突然、渡場の言葉を思い出し、私は焦って笑ってごまかした。
「何さ、それ? それよりキャンプ場決めようよ」
「僕の気持ちを知っているくせに……」
杉浦はいったい何を言い出しているのだろう? 何かおかしい。
もちろん、気持ちは判っている。でも、彼は……。
「だって……ずっと、友達でいてくださいって、言ったじゃない」
「それは……きっと、友達でいたら、いつか白井さんの気持ちだって、変わると思ったからで……」
「……」
「白井さんは残酷だよ。どうして僕と会うのさ?」
心臓がバクバクと激しく打った。
今まで、私の言うことは何でも肯定してくれていた杉浦が、突然私のことを悪くいう。
残酷? 残酷とはいったい何だろう?
杉浦はおかしい。おかしくなっている。矛盾している。
「だって……なんだかんだいって、会ってほしいって言ったのは、杉さんのほうだよ」
「それは、白井さんが好きだからだよ!」
はっきり言われて、私は言葉がでなかった。
「僕は、白井さんが好きだから会いたいんだよ。白井さんがうれしそうだから星の話もするし、白井さんのことを理解したいから意見だってよく聞くし……。もう、どうしたら白井さんに好きになってもらえるのか、教えてほしいよ!」
杉浦はやけくそになっていた。言われて本音ほど困ることはない。
「……そんなこと、言われても」
「どうせ、白井さんみたいな素敵な人が、僕なんか相手にするとは思っていなかったよ。いい人がいるんだなって、思ったよ!」
私は、何だか頭がこんがらがってきた。
別に悪いことなんてしていないし、友達だし、会ってほしいといわれたら、できるだけ都合をつけるものだと思うし……。
その私が、どうして杉浦に責められなければならないのだろう?
「別に、いい人なんて……」
「嘘をつくなよ! 渡場さんと付き合っているんだろ?」
私は全身から血の気が引いてしまった。
「な、何よ? それ?」
「見たんだよ。車の中で手を握り合っていた」
獅子座流星群の時だ。
そんなときから、杉浦は私と渡場を疑っていた。
「それに、初詣も二人で行ったでしょ?」
それも見られていたのだ。
誘いを断られたあと、杉浦は一人で神宮に行って、私達の仲睦ましいところを目撃したに違いない。
何も言えなくなってしまった。
「僕は、どうせさえない男だよ。渡場さんのような、カッコいい男ではないよ。だから、白井さんがアイツと付き合ったって仕方がないと思うよ」
杉浦は、イジケまくっていた。
気持ちはわかるが、自虐的な言葉は、全然聞いていて気持ちがよくない。
「……そんな私は……」
「僕なんか、どうせハンサムでもないし、三流銀行の平社員で出世しそうにないし、白井さんから見たらテンでさえない男だと思うよ、でもさ!」
杉浦は身を乗り出した。
「僕は白井さんを本気で愛しているよ! 独身だから、結婚もできる。渡場なんかと遊んでいたって、いつかは目が覚めると信じているよ。だから一生懸命尽くしてきたし、見て見ぬふりもしてきたんだよ」
「ちょっと……待ってよ……」
「僕は待つよ! でも、白井さんがもてあそばれているのを見て、へらへらなんかしていられないよ。もう耐え切れないよ!」
私はすっかり気が動転していた。
私の辞書には『杉浦=男』という文字はなかった。
だからすっかり安心して付き合っていたし、杉浦もそれで満足なんだとばかり思っていた。
テーブルの下で、杉浦は私の手を握った。
まるで蛇にでも触れられたかのように鳥肌がたった。
「結婚してください」
杉浦は、はっきりそう言った。
私が、飛びついてすがりつきたくなる、その言葉をはっきりと言ったのだ。
「……できない」
「なぜ? アイツが好きだから?」
「違う……」
本当は違わない。
私は渡場を愛している。
渡場でなければ、結婚したって幸せになれないことを、もう知ってしまった。
杉浦は苛々と怒鳴りだした。
「白井さん、目を覚ましてよ! 渡場のヤツは結婚していて、それでいて、女をいっぱい作ってポイポイ捨てるいい加減な男なんだよ! ちょっといい男だからといって見てくれで騙されないで欲しいんだよ! 僕は情けない男だけど、少なくても誠実だし、愛情は負けないよ!」
その言葉を聞いたとき、私は杉浦を失ったのだと思う。
「やめてよ! 私のことを悪く言うのはかまわない。でも、直哉のこと、そんなふうに言うのは許せない!」
都合のいいお友達の皮を着た優しい男を、根っからの悪女になって、本心そのまま、すっぱりと切り捨てた。
私はかなり怖い顔をしたと思う。
杉浦は、私に睨まれて、そして渡場を『直哉』と呼んだことに相当のショックを受けたらしかった。
いきなり体の力が抜けたらしく、私の手を離し、椅子の背もたれによろよろと寄りかかった。
「あ……そう……そういうこと」
と、言葉を漏らしていた。
私は本当に嫌な女だった。
人の好意を無にしておいて、さらに腹を立てていた。立ち上がると、一言怒鳴った。
「気分が悪い。もう帰ります!」
「僕だって、気分悪い!」
杉浦がカチンと言い返す。
お勘定を持ってカウンターに行くと、途中で杉浦がそれを奪い取る。
「僕が払う」
「いいえ、今までおごってくださってありがとう! ここは私が払います!」
「僕が好きで誘ったんだから、僕が払う!」
「いいえ、そんな下心で飲んでいたとは知りませんでいたから!」
「下心じゃないから、僕が払う!」
カウンターで言い争う私達に、店員があきれ果てた。
「あの……別々で会計もできますけれど」
店を出てからも、私達は言い争いを続けていた。
「タクシーで送ってゆく」
「いいえ! けっこう!」
「じゃあ、タクシー代出す!」
「けっこうです!」
杉浦の目がいやらしく光った。
「ふーん、もしかして渡場のヤツが迎えにくるの? そうなんだ」
「そうじゃありません!」
「そうなんだ。で、その後はお楽しみ?」
「ヘンなこと、言わないでよ!」
男だと思わなかった男に、このような話をされて、私はますます頭に血が上った。
「で? アイツ、やっぱり上手なの?」
次の瞬間、私は杉浦をひっぱたいていた。
杉浦はしばらく呆然としていた。
私は、そのまま近くのタクシーに手を上げた。
乗り込む瞬間に、杉浦の罵倒が響いた。
「バカ野郎! いつまでも若くてきれいで、ちやほやされていると思ったら大間違いだ! 歳を考えろ! そのうち、おばさんになって誰も相手になんかしなくなる! そうなってから焦っても遅いんだぞ!」
私は耳をふさいだ。
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