悪女・5
「杉浦とだけは会うな」
私は、化粧途中の顔で「え?」とだけ答えた。
出社前の忙しい時間である。
「杉浦は、麻衣と結婚したがっている。だから、アイツとだけは会うな」
ルージュを引きくために、にっと唇を引く。笑ったような顔に、鏡に写った渡場の顔が歪んでいた。
「いやだなぁ。信頼していないの? 今日は星の話で会うんだよ? 暖かくなったから、皆でキャンプして星を見ようって。その話で会うんだよ?」
「じゃあ、星の仲間全員で会えばいいじゃないか? なぜ、そうしない?」
私を束縛しなくなった渡場だが、こと杉浦に関しては話が変わる。
小さなやきもちは時として気持ちがよかったが、エスカレートすると腹が立つこともある。
「皆で話しあうと話がまとまりにくいから、一応の計画を提示するの。高井さんも来る予定だったけれど、急に来れなくなっただけで、初めから二人ではなかったんだよ」
「じゃあ、麻衣も都合が悪くなればいい」
「じゃあ、直哉も来ればいいじゃない」
渡場の顔が、ひくっと引きつった。
「俺は、杉浦なんかに会いたくはないからな」
昨年の獅子座流星群以来、渡場は星の仲間とは付き合いを控えめにしている。
特に、私が顔を出すときにはあれだけ好きだったカラオケにすら行かない。それでいて、美弥たちに誘われるとホイホイいくのだから、私も呆れてしまう。
杉浦と飲みに行くことだって、渡場にはあるのだ。二人は友人でもある。
「杉さんのこと、友達だと思っているんでしょ? なんでそんな言い方するのよ」
ことあるごとに、自分の友人を『さえない男』と評価する渡場に、人間的な狭さを感じてしまって悲しくなる。
「友人だから、はっきりわかる。アイツは麻衣が思っているような、たいした男ではないんだ」
私は天にも響くような大きなため息をついた。
「ああ、もう! 直哉はたいした男です!」
「……なんだよ、その言い方」
しくじった。
渡場はかなり落ち着いたとはいえ、精神的に不安定な面がある。
特に、自分を否定するようなことを言われると、時に本気で怒り出すことがあり、私は怖くて口が利けなくなる。
それでも、最近は自分を抑えることをおぼえてきた。
が、時にそれが今度は私を怒らせる。
「また、誰かに……祥子さん……にでも、何か言われたんだろ?」
「何で祥子がそこで出てくるのよ」
険悪な空気が朝から漂った。
「麻衣はすぐに人の意見に左右されるんだ」
渡場は、ムースを髪につけようとしている私を背中から抱いて、首筋にキスをする。
「やめてよ、ムースがつけられない。遅刻させる気?」
「祥子さんの言うことよりも、俺を信じろよ」
私は言葉に詰まる。
渡場の愛は信じる。でも、渡場が結婚というけじめをつけるかどうかは、正直、信じられない。
結婚なんて、所詮は紙切れ一枚のこと。
結婚していたって、恋はするでしょう? などと、さらりと言ってのける男が、どこまで真面目に取り組んでいるのか、疑ったって当然だ。
「どんなに人の愛憎を聞き知っていたって、祥子さんは所詮、男を知らない女なんだよ。他人のことは何でも言えるけれど、本当の恋愛ごとには疎いんだ」
「なんで……祥子のことがわかるのよ」
「わかるよ。全然、男をそそらない女だから」
親友のことをそのように言われて、私は頭に血が上った。
渡場は、私の近くにいる人間を、どんどん愚弄していく。
親の愛も、男女の愛も、友愛さえも、渡場にかかると形無しだ。
こんな男の言葉を鵜呑みにしたら、私まで人でなしになってしまう。
私は苛々した。
ぎりっと渡場を睨みつけ、彼の顔にもムースがつくのを無視して髪を整えた。
無言のままに、車は私の職場へと向かう。
車を降りるときすら、私は不機嫌なままだった。
「今日は俺、早く帰っているから。帰りには電話しろよ」
渡場の声が背中に届いたが、私は怒ったまま、無視して歩き去った。
根本的に、私は惚れている男に弱いらしい。
渡場の言動にカンカンになっていたのは午前中だけで、お昼を祥子と食べる頃には、もうすっかり優しくしてあげなかったことを後悔していた。
「その星の彼にあうわけ? 何だか麻衣とはつりあわないと思うけれど……傲慢わがまま男よりはマシだとは思うよ」
そう言いながら、コロッケを食べている祥子に、本音を言えば腹を立てている。
「人の彼をそんなふうに言わなくてもいいんじゃない?」
「あれま、ソイツは他の人の夫だよ? 麻衣のものではないんだよ? ちゃんとわきまえておかないと、泣くのは麻衣なんだからね」
それはそうだけど……。
今日は祥子の説教がわずらわしい。
バカバカしい。
渡場といるときは祥子の言葉に揺り動かされて動揺するし、祥子といるときは渡場の言葉に揺れ動く。
結局、私は揺れ動きっぱなしで、渡場といても祥子といても、どこか気分が悪くなる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます