悪女・2
「家に帰ると、妻は俺を家に入れてくれた。三年間も出ていた男を受け入れるなんて、やはり俺を愛しているんだと、つくづく感じた。
だから、今度こそやり直そうと思った。……でも、やはり前と同じだった。
俺は、妻と顔を合わせないように出歩いた。妻もできるだけ俺と一緒にならないよう、距離をとった。一緒に家にいるときは、狭い部屋に線を引いたような、そんな感じだった。あれは、俺の顔を見ると苛々するらしかった。
だから、妻が寝てから家に帰るように心がけて遊び歩いた。それで、ますます、距離が開いた。俺は耐え切れなくなって、また出かけた。
そんな感じですさんでいた時に、ちょうどいいタイミングで『星の会』の話があり、参加した」
「そこで、私と出会ったんだ」
「あぁ、本音をいうと、いい女がいたら遊んでやろうと思っていた。麻衣と理子は、いい女だと思った」
思わず苦笑してしまった。
やはり、この男は下心たっぷりの、とんでもない野郎だったのだ。
「麻衣は、ちゃらちゃらした女だなぁ……と、第一印象で思った。でも、いざ話かけると、まるで型にはまったような受け答えで、とっつきにくかった。なんか、触れると刺すよ……て、感じで。すごく冷たい感じがした。ガードが固い女だなぁ、と」
渡場が懐かしむようにいう。
「私? そんなだったかなぁ? 普通にしていたつもりだけど」
「俺がそう思っただけかもしれない。だって、麻衣は杉浦や高井たちとは、完全に打ち解けていたから。
俺は真面目に何か恨まれることでもしたのか? と思った。逆に冷たさを装って、気を引こうとしているのか? とも思った。
でも、だんだん、俺のようないい男には目もくれず、杉浦のようなさえない男とばかり話していると思うと腹が立ってきたから、俺も麻衣を気にしないようにした」
そうだっただろうか?
そういわれれば、そうだったかもしれない。
でも、あの頃、渡場がそのようなことを考えていたなんて、意外だった。
「でも、いきなり誘惑されたときは、さすがにくらっときた」
私は驚いて、思わず飛び起きてしまった。
「わ、わ、わ、私がいつ、直哉を誘惑したのよ!」
渡場はきょとんとした。
「あれ? 全然覚えていなかったんだ」
……好きな馬が死んでしまった。
私も……もう死んでしまいたい……。
「わぁわぁ泣き叫んだかと思うと、今度はケタケタ笑い出すし、いったいコイツは何なんだ? と真面目に思った。
そのうち、マラカスを振って俺の歌で踊りだすし、急に腕にしがみついてチークを踊ろうと言い出すし。あきれ果ててしまったよ」
「全然……覚えていない」
自分が怖くなってしまった。
でも、あの時ならやりかねない。
私は工藤への失恋のショックで、完全におかしかったのだから。
「とんでもない女だ……と、思ったんだけど、潤んだ色っぽい目で流し目されてはね、完全にやられた。
しぐさすべてが抱いてって言っているようで、危ない女だと思ったけれど、これだけ果敢に誘われたなら、貰うものは貰わないと、と思ったよ」
抱かれた記憶はない。
かといて、渡場を拒絶した記憶もない。
思わず不安になってきた。
「でも、でも確か……祥子がいたはず」
「あぁ、彼女? 付き合いきれないっ! てわめいて、散々困り果てていたけれど、俺達が知り合いだと聞いて安心して、途中で帰った」
「え? えーーーー!」
祥子の薄情者! と思っても、いまさらである。
「車で送っていって、そのまま家に入れてもらって、それから……」
まるで、何かを思い出したように、渡場がいやらしく笑う。
「! ひどい!」
私の動揺に、渡場はますます笑った。そして、私を自分の胸の中に引き倒した。
「……と、なるはずだった」
渡場は、私が苦しくなるほどに強く抱きしめて、髪や額にキスをした。
「麻衣は、俺を家まで送らせておいて、まるで女王様が奴隷を扱うような高慢な態度でね。もう下がってもよろしい……って感じでね」
私は、ドキドキした。
そんな態度をとった覚えはない。
「もちろん、俺のほうが力があるから、そのまま家にも押し入ろうと思ったら押し入れたと思う。でも、なんていうか……。本当に心が凍りつくような、そんな拒絶だった。
誘うだけ誘っておいて、こっちをすっかりその気にさせておいて、見事に突き落としてくれたよ。酔っているくせにシャキッとしちゃって、こう……全身から棘をだしたような、そんな感じで、さっさと帰れっていう目で睨む」
「私が?」
「うん、だから俺は……麻衣はとんでもない悪女だと思った」
私は正直驚いていた。
とんでもない悪魔だと思っていた男に『悪女』といわれてしまったのだから。
私のどこが悪女なのだろう?
悪いのはいつも男のほうで、私はいつも泣かされてきたのに……。
「私、直哉が思っているような、そんな女じゃないよ。今までにも付き合った人はいたけれど、どちらかと言うと……」
「しっ……」
渡場は、私の唇を指でふさぐ。
聞きたくない言葉は、いつもそうして言わせないのだ。
「俺は、麻衣にはすべてを知ってほしいから自分のことを話したけれど、俺は麻衣の過去を知りたくはないんだ。辛くなりそうだからね」
「……そんな……」
「麻衣は男を見る目がない。だから、どんなに情けない目に会ってきたかは、言われなくてもよくわかる。だから、言わなくていい」
こつんと額をつけてきて、それから渡場は私の唇にキスをする。
舌を絡み合わせる甘いキスで、体の芯が熱くなる。また、その気になってしまいそうな……自分に自分で半ば呆れる。
「麻衣が選ぶ男は表面ばかりで中味がない。とても、麻衣の悪女ぶりに対応できるような度量はない。だから、俺しかいないと思った」
「……」
「俺は、麻衣を幸せにできる度量があるから」
「……結局は、うぬぼれ?」
「うぬぼれじゃない。本当」
寂しさを麻痺させるような甘い言葉を聞きながら。
私はすこし呆れていたと思う。
渡場の孤独を満たせるのは、もしかしたら私だけかもしれない……などと、どこかで思っていた。
渡場ときたら、私を幸せにできるのは自分だけだ……と、豪語した。
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