別れの系譜・4
確かに少し飲んだ。
慣れない日本酒だから、お酒の臭いがしたのだろう。
でも、陽気になっているのはお酒のせいなんかじゃない。
「お、お正月だもの。少しは飲んでいるけれど……」
「誰と? どこで? 実家ではないよね? 実家からだったら、もうこの時間だったら帰ってこれないよね?」
冷たい声と冷静な分析。私はよろめいた。
「……すすきの……」
「誰と?」
「誰と……って、たまたま知り合った旅行客に道を聞かれて……」
「道を聞かれたら、麻衣はその男と飲むの?」
「……」
「下心あると思わないのか?」
「……その人たち、そんなんじゃない」
「どうしてわかる? 旅の恥なんて掻き捨てだ」
「……」
尋問のような質問に、私の声は小さくなっていった。
「どうして麻衣はそうなんだ?」
「そんな……私、後ろめたいことなんか、何一つない!」
「俺が待っていると知っていても、そうできた? 後ろめたくないならば、俺の前でもそうできるか?」
「……」
何か一つ言うと、さらに尋問が続く。
そして、悪いことはしていないと思ってはいても、悪いことのように思えてくる。
渡場の話術に、どんどん追い詰められていくのだ。
「何で正月早々に、こんな嫌な思いをさせられるんだよ!」
そう怒鳴りたいのは、私のほうだった。
なぜ、私が会いたくてたまらなかったことを気にしてくれないで、飲んだことばかり気にするのだろう?
でも、私の口からは言葉が出なくなっていた。
「何か言えよ。何か言え! 何もいえないならば、謝れよ!」
謝れば、自分に非があることを認めてしまう。首を振った。
「悪くないなら、どうしてなのか教えてくれ」
私は何も言えず、玄関に立ち尽くしたままだった。
渡場はソファーに腰掛け、苛々と煙草を吸った。
でも、すぐにもみ消してしまった。
「携帯電話が圏外だった。だから、麻衣が寂しがっていると思って、適当な理由をつけて早く帰ってきた。そして、何度も電話した」
私は、恐る恐る電話を見た。
おびただしい数の着信履歴があり、思わず目をつぶってしまった。
店は混んでいた。ざわざわとうるさくて、電話の音に気がつかなかったのだろう。
「電話……ごめん……」
私は小声で謝った。
「電話だけ? 何でそこに突っ立っている? 風邪をひくだろ?」
風邪という言葉にも、私を心配してくれる温かみは感じない。
私はそっと部屋に入ったが、戸口のところでやはり立ち尽くしていた。
渡場は、二本目の煙草に火をつけたが、せわしくぷかぷかと三度ほど吸って、すぐにもみ消した。
灰皿にはおびただしい数の煙草があった。
重苦しい時間が流れたが、私は何も言えずにいた。
その空気に耐え切れなくなったのは、私よりも渡場のほうだった。
「靴下」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「靴下」
「え?」
「え? じゃない。靴下」
ソファーに腰掛けたまま、渡場は足を出した。
屈辱を感じた。
私は唇をかみ締めた。
なぜ? と、悲しくなった。でも、渡場は私のほうを見ない。
おそらく、自分でも抑えきれない感情をどうにか落ち着けたくてたまらないのだ。
私がこのばかばかしい命令に答えるか? 否か? で、愛情の深さを測りたいのだ。
嫌だ……。
と、思った。
でも、渡場は苦しそうに見えた。
誰の愛も、この男は信じることができない。
私はよろよろと近寄ると、ソファーの前に座り、渡場の靴下を脱がせた。
右。そして、左。
しかし、靴下だけではことがすまなかった。
「麻衣は、俺のものなのに……」
泣きそうな顔。唇が微妙に震えている。
嫌な予感がした。
「服を脱いで……抱いてくださいと懇願しろよ。土下座したら、抱いてやる」
もう、限界だった。
私は渡場の所有物ではない。
「……嫌」
渡場の顔がはじめて私を見た。目に憎悪の色が浮かんだ。
「抱かれたいんだろ?」
「嫌……だ」
本当に嫌だった。
こんな男に抱かれたくはない。
渡場は、私を愛してなんかいない。愛を知らない男なのだから。
こんなの、絶対に愛じゃない。
独占欲は、愛情からくるものばかりではない。
私は立ち上がろうとした。
しかし、渡場のほうが一瞬早く、私を押さえ込んでいた。
その勢いで、私の頭はテーブルの足にあたり、気が遠くなるほどに痛んだ。
しかし、そのことにも渡場は気がつかなかった。
彼は異常だった。
殺される……と、思った。
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