別れの系譜

別れの系譜・1

 

 実家は年々寂しくなってきている。


 両親は年を重ねて弱ってきている。それだけで寂しい。

 昨年まで正月をにぎわしていた姉夫婦とその子供たちは、転勤で遠方になってしまい、正月休みには戻れない。

 妹夫婦は、もとより毎年正月は夫の実家へ行くことになっている。それでも、三日にはこちらにも子供を連れてくることにはなっているのだが、暮れは私だけが親と過ごす。

 迎えにいくという親に、何時になるかわからないから……と、電話して断った。年寄りの雪道は、運転が怖い。


 バスを降りると、徒歩十五分。ドカ雪に笑ってしまう。

 コートのフードをかぶってマフラーをぐるぐる巻きにし、足早に歩く。

 実家の灯りが見えたとき、少しほっとした。

 外灯の光に、降り注ぐ雪が照らし出されて残像を描き、スローモーションのようだった。

 この雪だというのに、家の前はしっかり除雪してあった。

 私のためだと思うと、少し気が重い。



「お疲れ様。仕事大変だねぇ、こんな暮れまで」


 毎年、同じ言葉で両親は私を迎え入れる。

 ただし、年々老け込んでゆく。私も。親も。


 テレビは紅白が始まっている。

 料理はご馳走てんこもりだ。北海道は、年越しはすでにおせち料理を食べる家庭が多い。


「お母さん、こんなにいったい誰が食べるのよ」


 手をかけてくれた料理に呆れてしまう私は、本当にかわいくない娘だろう。


「いくら言ってもダメなんだよ、母さんは。たくさん作ればいいと思っているから」


 父が苦笑する。

 苦笑しながらも、こうなのだ。


「そろそろ、頼んでいたお寿司が来る時間なんだけれどなぁ……」


 両親は、姉や私や妹や祖母がいた頃の、にぎやかな年の暮れを忘れられないでいる。

 三人きりになってしまっても、六人分を用意してしまうのだ。


「いいよ、麻衣は仕事で疲れているんだから、手伝わなくても。それより、お風呂入ったらどう?」


 ただ、私が帰って来ているというだけで、母も父もうれしいのだ。

 私は……心苦しい。


 お風呂につかっていても、母が何回も声を掛けてくる。


「どう? ぬるくないかい?」

「うん? ちょうどいいよ」


 ぼけっと物思いにもふける時間がない。

 一人暮らしは寂しかったけれど、親といるのは本当に疲れるのだ。

 お風呂から上がると、父がビールを出してくれた。

 一緒に住んでいたときは、女のくせに酒を飲むな! と、怒ったはずなのに。



「ほら、これ……この前、旅行に行ったときの写真」


 うれしそうに母がアルバムを持ってくる。

 中の写真を見ると、しかめっ面でニコリともしない父の横で、常に母がニコニコと腕を組んでいる。

 風景が変わっても、どの写真も同じだった。

 まるで背景だけを取り替えたように、同じポーズの両親が写っている。


「お父さんが旅行に行くようになるなんて、昔は思わなかったなぁ……」


 私がつぶやくと、父は顔をこわばらせた。


「父さんは旅行なんか行きたくはないんだよ。だがな、母さんが行こう行こううるさいから、仕方がないから付き合うだろう? ほら、母さんはもうボケているから、一人で行かせるわけには行かないし」


「ボケてなんかいませんよ。でも、父さんを一人残して旅行にはいけないでしょ? だって、一人では何も出来ない人だから」

 

 

 私はぼんやりと両親のやり取りを聞いている。

 若い頃、卓袱台をひっくり返して母と喧嘩していた父も、丸くなったものだと思う。


「お前とは離婚だ」

 などと怒鳴り散らし、よく母を泣かせた。


 姉が布団の中で、「離婚したらどっちにつく?」などと言い出して、真面目に悩んだことが嘘のようだ。

 両親は、喧嘩するほど仲のよい夫婦だったらしい。

 ちょっぴりがたついた卓袱台でご飯を食べるたびに、父のわがままを恨み、母の忍耐強さを悲しく思ったものなのに。

 両親は、昔を懐かしみながら、今を楽しくゆっくりと年を重ねている。

 最近になって、親のことをうらやましく感じるようになったのは、このような老後が、けして簡単に手に入るものではないことを、しみじみ感じるようになったからだ。

 私は、結婚すら出来ないでいる。


 


 除夜の鐘が鳴り始めたころ、私は疲れたといって、さっさと部屋に篭ってしまった。

 一つは本当に疲れたから。もう一つは、電話を確認するために。

 携帯電話には着信はなかった。

 私のほうから電話してみたが、繋がらない。

 渡場は、電源を切ってしまったらしい。

 美弥や理子たちと、今頃は宴会になって、新年の乾杯をしているのかも知れない。

 少し寂しいけれど、仕方がない。

 ほんの少し会えないだけで、こんなに渡場を恋しくなるなんて、自分でも信じられなかった。

 

「俺は、どんな頑固親父だったとしても、気に入られる自信がある」


 そう言ってくれた言葉がうれしかった。

 今夜の席に、渡場がいたらどんなに幸せだったことか。

 妻子もち……ということを除けば、渡場は両親にも気に入られることだろう。

 見かけ爽やかな好青年だし、職業も申し分ない。頭脳明晰で話術に長けていて、しかも聞き上手ときている。

 父の長い話だって、内心呆れながらも表面はにこにこと聞ける男だと思う。母の料理だって、美味しそうな顔をして食べきれるだろう。

 そうしたら、私も再びこの家に居場所が出来るような気がするのだ。


「来年には……」


 渡場の言葉を、素直に信じて喜べたらいいのに。

 来年……結婚して、渡場とともに母の手料理を食べている私がいたとしたら。


 絶対望んではいけないことなのに、夢は残酷だ。

 自分の幸せを夢見てしまい、私は涙で新年を迎えてしまった。

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