後編

蜜月

蜜月・1


 暮れも押し迫ったその日から、渡場は私の部屋にいついてしまった。

 なんだか、迷い犬のようなノリだなぁ……と思いつつ、合鍵を作って渡した。

 これが『同棲』というものか? と思ってはみたものの、あまりに自然の成り行きだったので、あまりピンとこなかった。

 だいたい、今までつきあってきたれっきとした独身男性とだって、私は一緒に暮らしたことがないのに……。

 まさか自分がこの歳になって、結婚もしないでしかも妻子もち男と暮らすなんて、思いもよらなかった。

 もしも私が第三者であったなら、きっと「何をしているの!」と、私に怒り出していたことだろう。

 でも、不思議なくらいに罪悪感はなかった。



 渡場はいつものように、仕事帰りに中通りまで私を迎えに来た。

 でも、車に乗り込んだ私の一言目は変わった。


「ただいま」


 そして、渡場の言葉も変わった。


「お帰り。晩はどうする?」


 どうする? というのは、外で食事をして帰るか、スーパーで買出しをして帰るか? ということである。

 暮れのあわただしさと料理の自信がないことから、外食したいところだが、本当は家庭料理が食べたいらしい渡場のために、出来るだけ家で食事を心がけた。

 ただし、これがたいへんなのである。

 短時間で出来る料理を探して作るわけではあるが、私はレシピと顔を突き合せなければならない。

 なのに、渡場は私を放っておいてはくれないのである。


「麻衣、おなかがすいた」

「麻衣、何か飲むもの」

「麻衣、肩凝った」

「麻衣……エッチするか?」


 私は苛々を抑えながら無視をするのだが、後ろから抱きつかれてくすぐられたりするから、たまったものではない。

 思いっきり振り払って怒鳴りだす。


「何で、エッチしたい人が脇をくすぐるのよ!」

「そのほうが麻衣のリアクション、はっきりするから」


 という調子で、だいたいまともな料理にはならない。もともとまともな料理なんて作れないのに。

 その日も、やや焦げ臭いカレーを食べることになったが、渡場はうれしそうだった。



 遅めの食事中、電話が鳴った。

 玲子からである。いつものパターンで、私は小さなため息をついた。

 渡場は、横で私の気のない相槌を聞いていた。

 ところが何を思ったのか、やがてゆっくりと後ろから抱いてきた。

 最初は無視して電話に集中していたのだが、耳をかんだり、胸元に手を忍ばせてこられては、やはり困ってしまう。


「麻衣、私……寂しくてたまらないの」


 玲子の泣き声が耳に入る中、渡場の手が私の乳房をまさぐってくる。


「! ……ちょ、ちょっと……」


 電話をふさいで私は渡場に声を掛けた。

 それでもしつこいので、肘鉄ひじてつで振り切ろうとがんばるが、それがまた面白いらしい。


「どうしたらいいのかわからない。結婚したくてたまらない……」

「も、もう! やめなさいよ、そんなこと」

「そんなことですって? ……だって、結婚しなければ生きてゆけないのよ? 麻衣?」


 どうしてこういう時に限って、玲子は私の言葉を聞き取るのだろう?


「いや、やめなさいっていうのは、そればかりを考えることを、やめろってことで……」

 慌てて適当に言い含める。


 その間にも、渡場のほうはエスカレートしていく。

 受話器を持っていて、あまり拒絶できないことをいいことに、私の下着に手を入れてきた。


「でもね、どうしても頭にそのことばかりが……」


 指先が陰部に触れたとたん、私はスカートの上から渡場の手を叩いた。


「! 嫌だったら、もう! どうしてそんなにスケベなのよ!」

「ま、麻衣?」


 私はソファーの上に組み伏せられて、必死に受話器を支えながらも、渡場のキスを嵐のように受けていた。


「……あ、う、ん。玲子、ごめん。今日は、私、話を聞ける状態じゃない。じゃあ、切るからね!」


 いつもはどうしても切りきれない玲子の電話を、今日はたったの十で切った。



 カレー味のキスのあと、渡場は片えくぼを見せた。

 そして、私の上から起き上がった。電話が切れたとたん、性欲よりも食欲のほうが勝ったらしい。


「エッチの前にご飯を食べてしまおう」

「わざと……ふざけたでしょ?」

「うん」


 玲子にヘンな声を聞かれたかと思うと、恥ずかしくてたまらない。怒りがふつふつとわいてきた。


「ひどい! このバカ男! 今度やったら寒空の下、追い出してやるから!」


 本気で怒っているのに、渡場はケロリとして冷蔵庫から牛乳を出して一気飲みしている。


「バカ! 聞いているの? 私、本気で怒っているんだよ!」

「俺は頭いいよ。俺のこと、バカだっていうの、麻衣くらい」


 呆れて口が利けなくなった。

 渡場は、麻衣の分……などといって、私のグラスにも牛乳を入れる。


「早く食べてしまおう」



 やや、不機嫌になりながらも、私は食事の続きに戻った。

 しばらく無言で食べていたら、渡場が口を開いた。


「電話……切りたかったんでしょ?」

「え?」

「だって、麻衣の顔にそう書いていた。電話、本当は聞きたくないって」

「……」


 確かにそうだった。

 食事中だった。玲子の電話は時として朝まで続く。

 そんな電話は迷惑だと言い切れない私は、ほとほと困っていたのだった。


「麻衣は、その気がないのにいい子のふりをしてしまうところがあるんだよ。だから、俺が助け舟をだしたわけ。わかった?」

「……わかった……ような……」


 妙に納得できるような、できないような。

 ただ、私の中からは怒りの感情だけは消えていた。

 渡場は、少し目を伏せた。


「俺は電話が嫌いだ。音も嫌だ。勝手にプライベートに割り込んでくるみたいだろ?」


 私はうん、とうなずいた。


「俺と麻衣の間に割り込むなんて、最悪だ」


 その言葉を、私は渡場得意の『かけひき言葉』だと思って笑った。

 どれくらい愛しているか? ということを白々しいまでに大げさにいうのは、渡場の癖だともいえる。


 でも、翌日気がつくと。


 私の家の電話は、ベルの音量が半分になっていて、三回コールのあと留守番電話に切り替わるように、設定が変更されていた。

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