正しい家族のあり方・6


 朝、私は何か重たいものを感じて、うーんとうなった。

 気がつくと、渡場の腕がしっかりと私を抱きしめていて離さないのだ。

 彼は、先日と同じように小さくなって眠っている。ただし、その中心に私がいた。


「直哉、苦しい……」


 声を掛けてみたが、ますます力がこもるみたいで、全然緩まない。

 昨夜、むさぼり食われるくらいの勢いで愛されてしまった。

 私はすっかり圧倒されて、なすがままになっていた。

 快楽……を通り越して、苦しいくらいだったのだが、終わったあとも渡場は私を腕枕し続け、抱きしめ続けていた。

 やっとの思いで腕を払うと、今度は私の腕をつかんで離さない。

 寝癖になった頭を私の胸にうずめて、まるで子供のように小さくなっている。


 こんなに甘えっ子だったとは……。

 私はあきれはてていた。



 私が知っている渡場は、常にかっこいい男だった。

 どこか人をバカにしたような、自信過剰が鼻につく男だった……はず。

 とすれば、こいつは別の男なのだろうか? などと、思ってみてもやはり渡場にちがいない。

 でも。かわいい。

 寝癖の髪を撫でてみた。

 子供みたい。

 そう、渡場は、何だか愛情に飢えた子供みたいにも見える。

 まるで今にも捨てられそうな子供。

 しがみついていないと愛を実感できないのか、少しのゆとりも与えてくれない。

 そして、私ときたら……まるで親ばかのように、何でもしてあげたくなっている。

 

 すると。

 こそばゆい——。


「あ、だめ……そこ、触れちゃあ……あっ」


 私は慌てて渡場から逃げようとした。 

 でも、逃げられない。

 渡場の指先が、私の傷跡をなぞっていた。

 絶対に見られたくはなかった、あの醜いミミズのような傷である。


「麻衣、ここ、すごく感じるんだね。肌が桃色に染まっている……」


 いつの間に起きていたのだろう? いたずらっ子のような声が響く。

 体中がざわざわとし、鳥肌が立った。


「ばかぁ! 違うって! そこは感じるんじゃなく……! あっ、あああ……」


 くすくすと笑い声交じりの声が響く。


「色っぽい声だね」

「やめて! そこはこちょばしいの!」


 私は真っ赤になって身をよじり、肩で息して否定した。

 渡場は、昨日のおかしな様子は微塵もなかった。いつもの彼に戻っている。


「あれ? 青あざ? これ……」


 暴れた反動で、太ももが布団からはみ出していた。


「それ、昨日帰り道で転んだ……! 痛いっ! 押さないで」

「やっぱり、麻衣は一人にしておけないな。どこで転ぶかわからないし」

「嫌だ! 嫌だってば! 触っちゃ嫌あぁ……あっつ……」


 渡場は、這いつくばって逃げ出した私の首に腕を回すと、耳元で囁いた。


「俺、すっかりその気になった。麻衣のせい」

「バカ! 何を……あぁぁ……」


 私の声は、いつの間にか別の声に変わってしまう。




 何度も愛を重ねた。

 ぐったりしながらも、渡場の腕枕で胸に抱き寄せられている。


「直哉、仕事は……?」

「うん? 休む」

「……そろそろ、起きる?」

「いや、まだ」


 そういいながら、渡場は無防備な笑顔を見せた。

 もう明るい。昨日の雪で外は真白だろう。


「せっかく麻衣を手に入れたから、もったいない」


 けだるい午前中を、ずっと二人で抱き合って過ごしている。

 さらに午後も? さすがに苦笑してしまう。それもまた、いいかもしれないと思いながら。


「もう。いつだって側にいるんだよ、私は」


 半分体を起こしかけた私を、渡場は片えくぼを見せた顔で引き寄せた。


「いや、麻衣は気まぐれだから……。また、いつ気が変わるかわからないからね」


 渡場は私の額に何度かキスした。そして再び私の頭を自分の胸の中に抱え込んでしまうのだ。

 明日に融けて消えてしまう雪だるまではあるまいに。

 もう、家に帰れ、なんていわないのに。


 ……そのままでいいのに。


 どうやら私は、愛情を実感してもらうまで、この疑い深い男を甘えさせなくてはいけないらしい。

 私は微笑みながら、一度やってみたかったことをした。

 つまり、片えくぼの出る頬を思いっきり引っ張ってみる。気持ちがいいくらいよく伸びて、おかしかった。


「……お正月、スキーに行ってきてもいいよ」


 渡場は頬をつねられた変な表情で、しかも涙目になって、でもうれしそうに返事をした。


「うん……」

 


 渡場が幸せそうで、私もうれしかった。

 落ちるところまで落ちて、もう何の言い訳もできないところまで来てしまったが、私には後悔はなかった。


 この時は……。


 でも、やはり許されない恋路というものは、それほど甘いものではない。

 恋は、悪魔の顔を持つ。

 その後、私を苦しめたのは渡場の妻でも子供でもない。世間でもない。


 ——私自身だった。




(前編・終わり 後編に続く)

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