本気・時々遊び・4
杉浦と食事することになったのは、売り場の観楓会の翌々日である。
獅子座流星群以降、一度しか渡場に会わない状態だったから、本当は会いたいと電話するつもりだった。
あとから思えば、すればよかった。
杉浦が買い物に来てくれた時、後で……と、保留になっていた支払いを今度こそ! と思ったら、おごり返せといわれてしまったのだ。
「そりゃあさぁ、白井さんが先約があるんだったら、きっとその人を優先すると思うけれど」
また、杉浦はいじける。
もしかして、渡場と手を握っているところを目撃された? という負い目があった。
だからついつい、フリーであることを強調してしまい、自ら墓穴を掘ってしまったのである。
それに、杉浦と飲むのは別に嫌じゃなかった。
男としては見てはいないが、友達としてはけっこう好きだ。
わけのわからない渡場よりも、ある意味気軽に話せるところがあって、楽しいと言われれば楽しかった。
再び星の話題で盛り上がり、十二月のふたご座流星群はどうする? とか、そのような話になった。
「あぁ、そういえばねぇ。この間の獅子座は大出現はなかったようだよ。あと、数年後かもしれないね」
そのようなことも、渡場は知っているはずなのに教えてくれない。
所詮は、星を餌に友達と仲良く遊べればいいと思っている女……というのが、渡場の私への評価ではないか? と思う。
はずれではないと思うが、あたりでもない。
知らないことを知りたいと思うのは、人間の欲求のひとつだ。
でも、渡場は、私が本気で星のことを知りたい……とは、考えていない。学歴の無い女、知識欲などないと思っている。高卒でデパートで働く私のことを、たぶん軽蔑しているのだと思う。
渡場と話していると、言葉の些細な端々に恵まれたもののおごりを感じることが、時々ある。私を、軽薄で頭が軽い女のように思っていて、対等に話をしてくれないのだ。
それに比べると、星の話題を真剣にしてくれる杉浦は、私を認めてくれているのだろう。
心地よかった。
杉浦は楽しそうに話を続ける。
あげくのはて、杉浦は気持ちよく酔って、本来の目的を忘れて、おごるから……と言い出す始末。
がんばってやっと割り勘にした。
「じゃあ、そのかわりタクシー代を、渡場さん出して」
それが杉浦との、前回の飲み代清算にしよう……となった。
まだ地下鉄に充分間に合う時間だった。
そのような清算は、少しもったいないなどと、私は思ってしまう。
酔っ払いながらも、地下街に吸い込まれてゆく人々の群れを、目で追いかけながら、杉浦の後をついてゆく。
育った環境のさもしさというのか、私はデパートという物欲の誘惑に囲まれていながら、ケチなところがあった。
タクシーは、地下鉄が無くなってから乗る乗り物で、どう考えても杉浦と二人では、さすがにそこまでは飲むわけにはいかない。
が、杉浦は少し酔い覚ましに歩きたいという。地下鉄は嫌だと思っているらしい。
しばらくぶらぶら歩いて、タクシーに乗った。
「あのさ、本当に誰もいないなら……で、いいんだけど、あのさ」
突然、杉浦がタクシーの中で言い出した。
本当は、歩きながらでも、飲みながらでも、どうにか自然な感じで言いだせる機会を狙っていたのかもしれない。
「白井さん、僕と付き合ってみる気ない? け、結婚とか前提……とかなんか、言ったら断るでしょ? まぁ、そこまでいかなくてもいいから、ためしに……でも、いくないよね。やっぱり……」
突然の告白に度肝を抜かれたのは確かだが、自己完結されたことにも驚いた。
「うん、悪いけれど……」
あっけなく止めを刺して、まるで何事もないようになってしまった。
「あ、やっぱりいい人がいるんだ」
どうしてか、杉浦は最終的にそこに話を持っていきたがる。
「いい人がいるとか、杉さんが嫌いとか、そんなんじゃないの。……なんていうか、私、まだ結婚なんて考えられないんだよね。仕事も順調だし……」
杉浦がガックリと頭を垂らす。
「だよねぇ。白井さんって、売り場でもまぶしい存在に見えるもんなぁ。じゃあ、前言撤回。今までどおり友達でいてくれたら、それで充分です。ハイ」
杉浦は本当に女の人に慣れていないのだろう。
自分で断りやすい状況を作ってくれる。
確かに、私はどうしても杉浦を男としてみることができないのだ。
彼とキスしたりすることが、まず、どうしても想像できないし、ときめかない。
でも、言い方とかタイミング次第で、どうにかなることもあるのに、と思う。
実際、杉浦との結婚も、考えたこともあるのだから。
母が言っていた。
「麻衣、ああいう人いいよ。きっと……」
そう、渡場のような男に夢中になるよりは、ずっといいのだ。
杉浦は私を愛してくれていると思う。
しかも、お互い結婚したくてたまらない年代だ。
これこそ、出会いのタイミングとしては最高で、私の結婚相手として運命付けられた人なのかもしれない。
だから、今は愛を感じなくても、いつかは愛するようになるかもしれない。
男だと強く意識しないから、気楽に一緒にいられるし、一緒にいるのが嫌ではない。
むしろ、一生懸命さが心地よく思えるのだ。
こういう人こそ、一生の相手にいいのかもしれない。
でも、最悪なことに、私には悪魔が微笑んでしまったのだ。
何かの本で読んだことがある。
『女は真面目な男よりも、どこか危険で危ない男に惹かれるものだ』
まさに、その通りなのである。
杉浦のような人を愛したいと思うのだけど、どうしても渡場が気になってしまう。
気がつくと、彼のことばかり想っている。
この病ともいえる熱が冷めない限り、困ったことに、他の男の人のことは考えられない。
だから、心にもない仕事熱心なふりとか、一人の自由とかをアピールして、せっかくの申し出を断る羽目になってしまうのだ。
もしかしたら、三十年間待ち続けていた言葉の種を摘んでしまったのかも知れないと思うと、少しだけ落ち込んでしまった。
その後、言葉が続かないので、杉浦は慌てていた。
タクシーの後部座席で、それなりの距離をとって座りながらも、こちらをチラチラと見ていた。
「あ、ほんと。忘れてね、今のこと。いやぁ、困ったなぁ……。僕、本当にいいから。お願いだから、今までどおりでいてください」
杉浦は必死で取り繕った。
私は、何気なしに杉浦の視線をそらし、外の風景を見ているふりをした。
「別に……。まぁ、これからも友達としてよろしく……」
と、言ったとたん。
家の前にある車を見て、私は焦った。
どういうわけか、渡場の車がある。いくら杉浦が酔っているとはいえ、左ハンドルのドイツ車という車だから、すぐにわかってしまうだろう。
「あ、ごめん! 買い物したかったの。コンビニによって!」
私は慌てて叫び、家の手前でタクシーをUターンさせた。
地下鉄駅前のコンビニで降りた。
バイバイと手をふって別れてすぐ、タクシーは交差点で止まってしまった。杉浦はこちらを見ている。
私はそのまま帰るわけにも行かず、慌ててコンビニに飛び込んだ。
タクシー代を杉浦に渡さなかったことに気がつき、私はガクッと肩を落とした。
ふう……と息をつき、つい、癖でビールを買ってしまった。
帰り道、渡場が本当に来ていたとしたら、ちょっとまずかったかな? と後悔した。
とりあえず、小さなバッグの中に無理やりビールを押し込んだ。
時間は十時を回ったくらい。遅い帰りでもない。
お酒の量もそれほどではなく、あまり酔っ払ってはいない。
さりげなくアパートの階段を上がろうとした。
渡場は私の姿を見ると、車から降りてきた。
「あれ? どうしたの? 今日は……」
私は、まるで今気がついたとばかりに驚いて見せ、声をかけた。
渡場は近づくと、奇妙に膨らんだ私のバッグに目を落とした。
「なぜ、電話くれなかった?」
「え? なぜって……。一昨日までは、観楓会で温泉に行くっていったでしょ?」
「でも、今日はいる。しかも飲んで帰宅?」
後ろめたさも確かにあったが、なぜそこまで妻子もちの男に文句を言われるのかわからない。
腹が立った。
だいたい、渡場は望むときだけ会えばいいとは言わなかっただろうか?
利用すればいい、とすら言った。
「私の勝手でしょ? 直哉には関係ない」
私は無視して、ツカツカと階段を上った。
「たまたま夜間テニスの帰りに近くを通ったら、部屋に灯りがなかった。だから、心配して待っていただけだ」
渡場は、私の後をついて階段を上ってきた。
「心配されるようなことないもん。何さ、待ち伏せなんてストーカーみたい」
束縛されているようで、苛々してきた。
が……。
渡場の表情に、なんだかいつものゆとりがない。
なにやら怖くなって、私は部屋の鍵を開けるのに手間取った。
十一月は、もう寒い。手がかじかんで、鍵が落ちた。思ったより酔っているのかもしれない。
拾おうとしたが、その前に渡場が鍵を拾った。
渡場は、あっという間に鍵を開けると、私を先に家の中に押し込んで、自分も入り、その後鍵を再び掛けてしまった。
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