遊び・時々本気・2


 家に帰り着いたとたん、私は靴を脱ぎ捨て転がしたまま、台所に直行した。

 冷蔵庫を開けてビールを出し、その場で一気に飲み干した。

 悔しくて涙が出てきた。

 今度は寝室に飛び込んで、服のまま布団にもぐりこむと、大声を上げて泣き出した。


 私のこの十日間は、いったいなんだったのだろう?


「俺は本気」


 その、明らかに嘘で塗り固められた言葉にほだされて、ぼんやりため息をついていた日々って、いったい?

 渡場は、他の女の子たちとカラオケにいったりして、楽しく毎日をすごしていたのだ。


「女ったらしの最低男!」 


 そう、妻が留守だったのだ。

 それをいいことに、私の知らない女とだって、遊んでいたにちがいない。


 はじめから知っていた。

 ああいう男は誠実じゃないって。

 結婚しているとか、していないとかの前に、とにかく誠実さに欠けるって。

 だから、用心してきたのだ。もてる男なんか嫌いだ。

 もてなくたって、なんだって、誠実な人が好きだったのに。

 誠実で、一生一緒にいてくれる『いい人』を探さなくてはいけないのに。


 私は本当にバカだ。

 三十歳まであと二ヶ月を切ったこんな切羽詰った年齢になって、あんな最低な男が好きになるなんて。

 抱きしめられた腕の感触が忘れられないなんて。

 不倫の恋なんてしたくない。結婚に結びつく恋がしたいのに。

 会いたい。


 ——本気で死ぬほど会いたい。


 そこまで泣いて、少し落ち着いた。


「ちがうよ」


 と、一人つぶやいた。


 渡場なんか、好きじゃない。

 私はただ、失恋の痛みを慰めてくれる何かが欲しかっただけ。

 それは、別にアイツでなくてもよかったのだ。

 たとえば……酒とか。

 祥子や杉浦と飲みに行くのでもよかった。

 その場限りのおじさんと、世間話で盛り上がるのだってよかった。


 よろよろ起きて、冷蔵庫に向かう。

 先日補充したばかりなので、扉の部分はすべてビールだった。

 テレビもつけない。電気もつけない。

 ただ、コチコチと音を立てる時計の音だけを聞いて、救いようのない孤独に耐えるだけ。

 闇の中、今日はグラスにビールを注いだ。

 泡がこぼれたらしいけれど、かまわない。


 三本目を開けたところで、電話が鳴る。

 ふらふらと出る。


 渡場だったら……正気を保たなくちゃ。

 でもきっと、会いたいと言ってしまうかもしれない。

 もう、それでもいいかもしれない。

 メチャクチャになって、遊ばれたって、今よりはましかもしれない。

 だって、今までだって、この人こそは……と思った男に、散々もてあそばれてきたのだから。

 もう、私なんてメチャクチャなんだから。


 自暴自棄になって電話に出る。

 受話器を上げると、急にあんなヤツに弱みを見せたくはないと、わずかながらに正気になった。

 必死に平静を装って、泣き声を抑える。


「……もしもし……」

「もしもし、麻衣。私」


 玲子だった。

 ぐったりと疲れた。今夜はとても彼女の悲劇を聞いてあげるゆとりはない。


「あ、ごめん。玲子、私とても疲れているの」

「あ、ごめんなさいね。うん、じゃあ……あぁ、いつも長い電話でごめんね」

「……」

「麻衣、あのねぇ、私。ものすごく寂しいのよ。少しだけいい?」

「……私、疲れている……勘弁して」

「うん、手短にする。あのね、実は……どうしても彼が忘れられなくて……」


 彼女に手短を期待するほうが間違っていた。


「私、この気持ちをどうしたらいいのかわからなくて、断られたとわかってはいるけれど、あのデートに明け暮れた日々が忘れられないの」


 玲子の話なんて、聞いてなんかあげたくはなかった。

 どうせ堂々巡りで出口のない話なのだ。何の救いもないつまらない話だ。

 寂しくてたまらないけれど、一人にして欲しかった。


「……私も……忘れられない」

「寂しくて死にそうなのよ、麻衣。私、どうしたらいい?」

「私だって、わからない」


 私は泣いていた。


「麻衣、私あの人に会いたいのよ。どうしたら、この気持ちを抑えられるかしら?」


 私が電話を抱えながら泣いていることなんか、玲子はこれっぽっちもわかってはいない。人の話も励ましすらも、彼女には無意味なんだから。

 だから、私が自分のことを言っていても、まったく違うことで悩んでいても、彼女はちっとも気にしないのだ。


「私だって……教えてほしいわよ。あんなヤツ、ふっきりたいのに……」


 ビールをぐいぐい飲みながら泣いた。鼻もすすり上げた。

 玲子の声も泣き声だった。


「麻衣、私、寂しくて我慢できないの……」


 私も寂しかった。

 結局、私も玲子も、五十歩百歩なのだ。

 玲子は電話で寂しさを紛らわして、私はビールで紛らわしている。

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