アバンチュール日和・3


 車を降りて浜を歩いてみた。

 やや、寄り添うようにしてくる渡場を避けるように、私は自分の世界だけに入ろうとしていた。

 渡場との二人の世界には、足を踏み入れてはいけないのだ。

 そこは、まともな人が踏み入れていい場所ではない。彼とは、ちゃんと距離をとっておかなければならない。


 海岸は日が当たって眩しかった。

 波の音が聞こえてくる。

 たぶん、夏は海水浴の親子でにぎわうだろう場所だと思われるが、今は誰もいない。

 大きな流木が砂地に黒い影を落とし、時々波に洗われている。

 寂しいなぁ……と思った。

 私の知っている海の風景は、岩礁があったりして海鳥が留まっていて、やや変化にとんだ荒々しい海だった。

 でも、この海は波も静かで岩礁らしきものも見えない。

 はるか向こうまで砂浜が続いていて、遠くの岬が辛うじて見えるだけだ。


「俺はこういった風景が好きだ。何もなくていい」


 渡場がつぶやいた。

 妙に悲しくなった。

 なぜか、渡場は寂しい人だなぁ……と感じた。



 秋の浜風に私は震えた。

 渡場の手が肩に掛かった。風をさえぎる温かさを感じた。

 しかも、慣れない運転でカチカチに凝った肩に置かれた手は、気持ちいいほどの重みを感じる。

 まさにツボを圧されたようで、思わずふらりとする。とても危険な気がした。


「寒い?」


 あまりにも身近にその声を聞いた。

 返事をしたら、そのまま抱き寄せられてしまうような、危うさを感じた。


 もしも、抱き寄せられてしまったら?

 抱きしめられてしまったら?

 絶対にまずいことになる。


「うん、寒い。ちょっと、走るかぁ!」


 そういうと、私は渡場の腕を振り払い、古い青春ドラマのように波打ち際を走り出した。

 

 本当にどうかしている。

 何をしようとしているんだろう? 私。

 何を望んでいるんだろう? 私。


「夕陽に向かって走るぞーーーー!」


 思い切って叫んでみた。

 そして、一目散に走った。

 私のおバカな行為に、さすがに渡場はついてこなかった。



 私の青春は、一人寂しく釣りをしているおじさんの前で終わった。

 いい年をした女が、スカートを振り乱して一心不乱に走っているのは、どう考えてもジョギングには見えない。

 おじさんは、アタリのなさそうな竿越しにこちらを不思議そうにちらりと見た。

 あまりの恥ずかしさに、私はUターンして走り出す。とたんに思いっきり波をかぶってしまった。

 あまりの凪に油断していたが、海というのは波がある。靴とストッキング、スカートの裾がビショビショになった。

 走り出したときから、靴の中は砂だらけ、ストッキングにも砂が入り込んで気持ち悪かった。脱いでしまいたいくらいだった。

 初めから海に来るつもりならば、もっと考えた格好をしてきたのだが、考えなしだった。

 さらに靴をちゃぽちゃぽ音させて、歩く羽目になるとは。この状態では、車の中まで砂だらけにしてしまうだろう。

 大人気ない行為をしている。砂浜を走るなんて。

 こんなことをすれば、どのような結果になるかは、わかっていたはずなのに。


 本当に考えなしすぎだ。

 私はもう、若くはないのに。

 感情の赴くままに走ってゆく、そんな時間は残されていないのに。


「……ごめんなさい」


 ゆっくり歩いて私の後を追っていた渡場と顔をあわせたとたん、つい口からわびの言葉が漏れていた。




 お尻まで濡れなかったのはよかった。

 とりあえずスカートを絞る。太ももあたりまであらわになって、うわっと思い、渡場の視線を気にしたが、彼は車のトランクの陰にいた。

 どうやらタオルを探しているらしい。


「あ、これでいい?」


 そういって渡されたタオルは……車を拭く雑巾だった。

 つい、苦笑してしまう。

 アウトドア派の工藤の車には、キャンプ用のテントや非常用のレトルトまで常に揃っていた。温泉グッズは当然、タオルは必然的に入っていた。


「あ、汚いようだけど洗ってはあるから」


「いえいえ、助かります!」


 私は慌てて足を拭く。内心を読まれて恥ずかしかった。

 ストッキングの間の砂は取れない。いずくて脱いでしまいたい。


「脱いじゃえば?」


 また、読まれた。


「うん、大丈夫。そのうち乾くと思う」


 また湿った靴の中に無理やり足を突っ込んだ。渡場の前で、靴下を脱ぐわけになんか、いかないのだ。

 渡場はサンダルの砂を払って再び履いている。今日は彼のほうが正解だった。


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