アバンチュール日和

アバンチュール日和・1


 絶対に本気にはならないようにしよう……。

 本気になっても、絶対に一線は越えないようにしよう……。


 相手は本気ではないのだ。

 所詮は遊びなのだ。遊べない女だと思えば、いつかは離れていくだろう。

 その頃には、私のもやもやした思いも、どうにか整理がつくだろう。そういった燃焼をしてしまえば、燃えカスがくすぶることもなく、すっきりするのかもしれない。

 適当な理由をつけて、妻子ある男性とのデートに正当性を見出そうとして、私は四苦八苦した。


 正直、流されているのだと思う。

 でも、工藤をふっきった時のような壮絶な孤独には、私は耐えることができなかった。

 相手は、闇を照らす太陽なんかじゃない。

 光を飲み込むブラックホールだ。

 それでも、宇宙に広がる闇の中でたったひとつの孤独な星であるならば、ブラックホールでも伴星が欲しい。



 日曜日、木曜日以上のいい天気だった。

 渡場は十分ほど遅刻をしてきた。

 もしかして来ないのでは? 騙された?

 私はかなり心配になったのだが、渡場ときたら、前回以上のラフな姿で現れた。

 疲れ果てたポロシャツとポケットがほころびかけたジーンズ。足元は、秋だというのにサンダルだった。

 今まで、完璧な男前ぶりを披露していたのだから、デートにあってこの格好とは、正直私はがっかりした。

 しかし、彼は今までと何一つ変わらない丁寧なエスコートで、車の助手席のドアを開けた。


「やぁ」


 さりげない一言といつもの笑顔。

 だが、どこか疲れているように見えるのは、格好のせいだろうか? 私の気のせいだろうか? 


「まずは……ブランチを取るか……」


 渡場の信じられない言葉に、私は耳を疑った。

 十時を過ぎている。

 一人暮らしのやや乱れた生活を送る私だって、すでに朝食は取っている時間だ。


「え? 食べていないの? なぜ?」


 つい、聞いてしまった。

 日曜日とはいえ、妻も子供もいる渡場だ。

 やましい外出であっても、妻にはそれなりの言い訳をしているだろうし、朝食を妻が用意して送り出さないとは、私の結婚観からは考えられない。


「なぜって……朝食は、いつも外でとっているし……」

 


 ここに来て、私は渡場の不思議な日常を垣間見たような気がした。

 だいたい、日曜日というものは事務の仕事をしている妻だって休みに違いない。

 つまり、渡場にとってはけして外出しやすい日ではないのだ。木曜日のほうが、よほど都合がよかっただろう。

 そう気がついたと同時に、どうやら渡場にとってはそうでもないらしいことにも気がついてしまった。

 渡場は、車を走らせてすぐに窓を少しだけ開ける。


「煙草、いい?」


 うなずくまもなく、彼は煙草に火をつけていた。


「あぁ、もしかして妻のこと気にしているわけ? 別に気にすることないから。あれ、俺のすることは気にしてはいないから」


 どこか投げやりに聞こえた。


「……つまり、朝食のことも気にしていないわけ?」


「まぁ、そういうこと。お互い自由な夫婦だろ?」


 私は、いつかの宴会の席を思い出していた。


「私も、渡場さんみたいな結婚したいです。お互いを尊重しあうって、大事だと思います」


 という、星野美弥の夢心地の言葉を思い出したのだ。

 お互いを束縛しない自由な結婚。

 渡場の結婚をそう呼ぶならば、お互いの尊重とは、すこし違うような気もする。


「なんかね、妻と子供は今日から休みを取ってヨーロッパに行くらしいんだ。だから、気にすることはないよ」


 ちょっと考え込んでしまった私に、渡場は見当はずれな言葉を連ねる。


「いや……あの……」


「だ・か・ら。別にデートがばれて、君が困るような事態は起きないから」


 私は呆れて口をつぐんだ。


 この男。

 本当に妻に愛されていると思っているのだろうか?

 毎日の朝食も別にとり、夫を置いて海外旅行に行く妻が、渡場という男に執着を持っているとは思いがたい。

 持っているとしたら……別の執着ではないだろうか?


 渡場の自信が、もしかしたら虚構の上に成り立っているのでは? と感じたのは、その時が初めてだった。


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