秋空のごとく・5


「え? 電話? 知らないな。でも、いいんじゃない? 別に予定はないんでしょ?」


 電話のことをとぼけていたのか、私の気持ちを読んでいたのか……いずれにしても、渡場は迎えにきた。

 微笑む渡場の口元から歯がこぼれる。

 それは作り物の歯だけあって、嘘のように白かった。

 小さな頃、いつか王子様が……などと夢見たこともあったが、青春ドラマのスターにも似た渡場は、まさにそのままの人だった。


 これは夢だ……と思う。

 こんな人が、私を好きになるはずなんてない。

 手をとってしまったら、きっと痛い目にあうに違いない。


 そんな私の悩みなんて、渡場はまったくわかっていないようだ。

 うやうやしく、助手席のドアを開けてくれる。

 そして私は晴天の中、ドライブに行くことができるのだ。

 これほどうれしいことはない。


「ずっと待っていたんでしょ? 俺は、白井さんがずっと待っていた人、その人なんだけれど」


 私は思わず渡場の背中に抱きついてしまった……。


 と、いうところで目が覚めた。



 はっとして飛び起きたせいで、心臓がどきどきする。

 カラスの鳴き声がする。日が翳っている。

 慌てて時計をみると、もう三時半を回っていた。

 せっかくの休みを、それも晴天の気持ちのいい一日だったはずの日を、寝て過ごしてしまったことになる。

 なんと、自堕落な生活だろう。

 机の上に残っている五百ml缶は、六本。つまり、ビールのストックはすべて飲み干してしまった。

 明日、お酒売り場に電話して、また一箱宅配してもらおう。

 杉浦と飲んだビールの量を合わせると、これでよく二日酔いにならなかったなぁ……と、自分の酒豪ぶりに驚嘆する。


 しかし、それにしても。

 実にリアルな夢だった。


 もう一度、窓の外を確認するが、やはり渡場の車なんかない。

 カラスがゴミステーションに出されたゴミにたかっているだけだ。

 思わず「あーぁ……」と声を上げてしまったのは、時間外にゴミを出した人を責めたいからではない。また、ゴミを出し忘れてしまったからだ。

 出し忘れてしまったゴミのごとく、未練がましい自分にも腹が立つ。

 なんともいえない少女趣味な夢だったが、抱きついた背中の感覚が、まだ腕の中に残っている。


「夢は夢だよねぇ……」


 つまらない独り言を吐いても、渡場は現れない。

 その事実は事実で、夢にすり替わるわけがないのだ。


 伝言は、ちゃんと伝わっていた。

 渡場と話すことなく、彼をふっきることができた。

 なのに、この虚しさときたら何なのだろう?

 不完全燃焼している感じである。


 今までも、このような気持ちは味わったことがある。

 最近では、やはり工藤のこと。

 ふっきったつもりでも、気持ちというのは中々ふっきれるものではない。

 ストーカーまがいの電話をしたこともあった。

 何かにつけ、思い出しては苦く思う。工藤の前では虚勢を張りたい気持ちになる。今でも傷ついたことは深く残ってはいる。

 だが、さすがに命を賭けて彼を呪うほどの気持ちは消えうせた。


 そんな日は絶対に来ないと思っていたのに。

 心の傷は、やはり時間が解決してくれるものなのだ。


 だから、渡場を気にしてしまう私も、いつかきっと消えてゆく。

 この想いが、一生を左右するような高尚な恋でも何でもないことは、よくよくわかっている。


 ちょっと見てくれがいい男に、調子よく優しくされたからといって、ふらふらしているようじゃあ困る。だいたい、見てくれで男を判断しないことが、私だったはずなのに。

 時につまらないほどにガードが固いと思われている私が、この年齢になってほいほい誘惑に負けるのも、自分らしくないと思う。


 明日からは、ちゃんとまともな生活をしよう……。


 そう決心して、机の上を片付ける。

 しばらくしていない掃除もする。洗濯もしよう。

 制服のブラウスにはアイロンをかけなければならない。

 今度のゴミの日は忘れない。

 でも、徹夜の肌荒れはしばらくは続きそうだ。

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