秋空のごとく・3
杉浦は、みてくれよりもいい人だ。
真面目なほうだし、意外とひょうきんで明るい。
まるで祥子と食事しているみたいに、何も緊張せずに楽しくビールが飲めてしまう。
逆に言うと、まったく男性と食事している気がしない。
この店のイモもちピザは安いわりには結構美味しいし、ラーメンサラダもボリュームがあっていい。
皿からはみ出しそうなホッケの開きは、私が必ず注文する一品だ。
「大根おろしと食べると、最高に美味しいよねぇ」
ビールも飲み放題とあれば、ついつい二杯目・三杯目と進んでしまう。
やっぱり食事はこうでなくちゃぁ……。
ざわざわと騒がしいほどの店内に、注文をとるアルバイトの学生の元気な声が響く。
「いやぁ、付き合ってもらえてよかった。家に帰って一人でコンビニ弁当でビール……って、結構わびしいんだよね」
杉浦も鼻の上を赤くしていた。
ざわざわ……は、波の音ではない。
見えるのは、楽しく飲む団体さんの波だ。
これが……現実というものだ。
私は、もっとも私らしい私になって、星の仲間のことやこれからの活動のことなどを、楽しく語っていた。
「そうだよ、そうだよ。十一月の獅子座流星群のときは、遠出ができるようなら遠出しようよ。札幌から離れたほうが、よく見えるはずだしね」
「車を出せる人が何人いるか……だね。あと、どこがいいかだよね」
星の活動は、いまや杉浦が音頭を取っている。
おのずと話も弾んできていた。
追加でたのんだつくね納豆にかじりついた時、見覚えのある団体が入ってきた。
工藤の売り場の人たちだ。
遅番が終わる時間だ。おそらく、仕事帰りの一杯だろう。
職場に近いし、私も普段使っている店だ。こんなことは、充分に考えられた。
思わず工藤の姿を探す。
……いた。
目をあわさないように、視線をそらした。
「え? どうしたの? 誰か知り合い」
杉浦が、微妙な私の変化に気がついて、ややとろんとした目で聞いてくる。気持ちよく酔っているらしい。
「あ、ああ……会社の人たち」
別に見られたって気にしない。私はにこやかに言った。
いや、工藤にはしっかりと見て欲しい。
私だって、ふられて泣いているだけの女なんかじゃない。
気持ち杉浦に対して、より馴れ馴れしい態度になったかもしれない。
先ほどよりも、身を乗り出して仲よさそうにしてみせる。
しばらくすると、工藤の後輩がトイレに立つついでに挨拶してきた。
私が手術すると聞いて、心配して階段で話しかけてきてくれた、年下の青年である。
「白井さん、こんばんは……どうも……」
挨拶によったものの、杉浦と二人だと知って居心地が悪くなったらしい。
それを酔った勢いで引き止めて、飲み放題で本当はしてはいけない一杯を注いであげた。
「はぁ、ありがたく」
彼は、ビールグラスにお辞儀して、一気にビールを飲み干した。
私は肘をテーブルにつき、組んだ指の上にあごを乗せて、彼の飲みっぷりに満足した。
まったくばかばかしいとは思うのだけど、これで工藤に返杯してやった気分になっていたのである。
「あの……今の人って、白井さんとは……」
「うん? 後輩」
杉浦は、少しだけ気分を害したらしい。
当然……といえば、当然かもしれない。
「でも、ちょっと気があるようにみえるね、彼」
「きゃはは! それってないって。デパートの上下関係って、こんな感じだもん!」
どうしても女性が多い職場だ。
後輩の男となれば、お姉さまたちは女王様のように振舞う。下もそれを甘んじてうける。
女がたくさんでよかったね……などという世間のうらやましげな目を、苦笑している男子社員も多いのではないだろうか?
女性のパワーに圧されてか、男の人はわりと小さくなっているのだ。売り場によっても違うのだが、朝の掃除は男女平等に担当していたりして、傍から見ると女性上位に感じられるだろう。
男子社員がちやほやされる他の企業とは、色が違うのかもしれない。
「ふーん。銀行じゃあまりないなぁ」
「ふーんじゃない、もう一杯ビール!」
……反省した。
やはり飲みすぎた。
送るといった杉浦もかなりふらふらだったので、断って地下鉄で帰ってきた。酔ってはいたが、いい酒だったせいもあり、悪酔いではなかった。
でも、地下鉄駅を出る頃になって、支払いを一切していないことに気がついて、青くなった。
飲み放題のビールはおごって! と言ったが、食事をおごらせるつもりはなかった。
私と杉浦の間は、ご馳走してもらうような関係ではない。
これは、あとでお金を清算してもらうしかない。
頭を抱えながらアパートの階段を上り、部屋の鍵を取り出したところ、自室からやかましい電話の音が響いていた。
この時間に電話とは……。下の階の人は、結構音にうるさいのに。
慌てて鍵穴に鍵を入れようとするが、酔いも回ってうまくいかない。やっとドアを開けたときに、電話の音は切れていた。
あーあ、と思ったと同時にほっとした。
まったく、この夜中に不謹慎である。
どうせ、いたずら電話か何かだろう。時々いるのだ。
出たとたん、口にも出せないようなひわいな言葉をつぶやいて電話を切るような輩が。我が家にも、この間まで頻繁に掛かってきた。
電話の向こうで聞こえる野球中継のテレビの音。それでいつもの男だとわかる。
スポーツを見ながらいったい何を想像しているのやら? あぁ、君を感じるよ……などと、バカなことを言いながら、うめき声を上げている。
その男から電話がこなくなったのは、工藤が撃退してくれたからだ。
とはいっても……。
「ねぇ、ちょっと電話に出て。もしもし? っていてくれるだけでいいから」
私は小声でささやいて、工藤に電話の子機を渡す。しかし、工藤はかたくなに拒んだ。
「ばか、人の電話に出られるわけないだろ?」
「いいから、ちょっとだけ……」
やり取りの間に、電話は切れていた。再び、日を改めて掛かってくるのは目に見えている。
「もう……いつも困っているいたずら電話だったのに……」
「でも、いたずら電話とはいえ知り合いかも知れないだろう? 俺、出られるわけないじゃないか」
そんな小競り合いが相手にも少しわかったのだろうか?
一人暮らしの女ではないと思いこんだのか、いたずら電話はそれっきりになった。
ソファーにバッグを投げ捨てたとたん、再びの電話だ。
あぁ、もう!
ちらっと上げてバンと切るか? しばらく受話器を上げておこうか? いっそのこと、モジュラージャックごと抜いてしまおうか?
しかし、もしかして……と思い、妙に心臓が高鳴った。
どうしても今日中に連絡をとりたいと、思っている人その人かもしれないのだ。
明日のことをどうするのか、はっきり決まったわけではない。
私が、ずっとここ数日、電話の前で待ったり、こちらから掛けようかと思ったりしていた相手かもしれないのだ。
慌てて受話器をとる。
渡場かも……?
ものすごく緊張して声が出ない。
私はしばらく黙って、向こうの出方を伺った。
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