秋風のごとく

秋空のごとく・1


 どうしてこのようなことになるのだろう?

 あっという間に後悔した。


 渡場と別れるときに、なぜか次の約束が成立していた。

 次の私の休みに渡場も合わせて休みをとり、ドライブしようということになっていた。

 断るきっかけを失ってしまい、手を振ってにこやかに笑って別れたものの、家に入ったとたんに落ち込んでしまった。


 相手は妻子持ちだ。

 そうは見えないけれど……。


 こんなところで、本気でもない恋愛事に付き合っているほど、私にはゆとりがない。

 十二月になったら三十歳になってしまうのに。

 ちゃんとまともな相手を見つけて、まともなお付き合いをして、まともな結婚をしなきゃ、まともな人生を歩めない。

 なぜ、血を吐くような思いで工藤と別れたのか、全然意味がないじゃない。


「バカ! 私のバカ!」


 叫んでむくれてバッグをソファーに叩きつけた。



 今まであまり、積極的な男性にあったことがない。

 今まで付き合ってきた人たちとのきっかけだって、何気ないことでなんとなくそうなっていた場合が多く、果敢なアタックなど受けたことがない。

 だから、どうやってあしらったらいいのか、まったくわからないのだ。


 重たい気持ちに耐え切れなくなり、冷蔵庫からビールを取り出し、グラスも使わずにゴクッと飲む。

 缶の金臭さが、ビールを切れる味にする。

 グラスを洗うのは面倒だし、どちらかというと、泡立った琥珀色を見ながらまろやかな味を堪能するよりも、こちらのほうが乾いた喉にはちょうどいいと思う。

 ソファーに寝転がり、テレビのリモコンのボタンをひたすら押す。それも面倒になり、面白くもないニュース番組などを見ながら、二本目のビールをプシュッとする。


 こういう生活……。


 お気楽で、今はいい。

 でも、それが一生続くかと思うと、どうしょうもないくらい、ざわっとするのだ。


 私に属しているものは何もない。

 宇宙の果てまで、寂しい。



 私はつまらない女なんだそうだ。

 男から見ると、少しお高くとまっているように見えて、声を掛けにくいタイプなんだそうだ。

 実はそうでもなくて、打ち解けてしまうと陽気なタイプなのだけど。場を盛り上げたりする役も、時々するタイプなのだけど。

 宴会の席で、酒に酔った先輩男性社員にいやみを言われたことすらある。


「お前と付き合うぐらいなら、金を払って女を買う」


 酔った勢いとはいえ、とんでもないセクハラ発言に私は腹を立てた。こちらも酔った勢いで相手をひっぱたくところだった。

 まぁまぁと、その場を取り持ったのが、工藤だったっけ。

 それが、工藤と仲良くなって付き合うきっかけともなったのだけど、今から思えば、本当に事なかれ主義の男だったのだと思う。


「麻衣はさぁ、確かに第一印象とっつきにくいから、損をしているところはあると思うよ。ちょっと美人があだになっているよね。ガードが固そうに見えるもん」


 とは、祥子の意見だ。

 確かに十代から二十代前半までは、彼らしき存在もほとんどいず、男友達は何人か……という感じだった。

 でも、私だって年齢を重ねた。気に入った人には、ちゃんと話ができるだけの、自己PRだって覚えたのだ。それなりの恋をしてきたと思う。

 それが工藤には、見かけの派手さとあいまって、遊び人に思われたのかも知れないが。


 渡場のように、背筋がざわりとするくらい、嘘っぽい告白をされるのは苦手だ。

 所詮は気を引こうとした美辞麗句に過ぎないとわかっているのだが、動揺してしまうのだ。

 同じレベルで、言葉を返してかけひきできるほど、私は恋愛ゲームに慣れてはいない。



 私は決心した。

 翌朝、職場の電話をこっそり使った。

 渡場の職場に電話を掛けて、約束を断る。

 何か言われたら、家からならばまた押し切られてしまう。職場からならば、それを理由にすぐに電話を切れるはずだ。


 不誠実な恋愛には、自ら身を切る思いで決別してきた私だ。

 前の暴力男だって。結婚した後も私と付き合い続けたがった工藤だって。


「俺たち、愛し合っているんだ。どんな障害があったって、うまくやっていけるだろ?」


 工藤の言葉にだって、正直よろめいた。

 本当に愛があるんだと思いたかった。

 今から思えば、あの工藤がずいぶんとくさい台詞を吐いたものだ。彼の愛は、その場限りだ。

 もしも、彼と付き合い続けていたら、ただ消耗してゆくだけだっただろう。

 寂しくて、そのたび死にそうな思いをしても、自分のためにはならないことに、一線を引くのは常に女のほうなのだ。

 不幸の元は、自分で刈り取っていかなければ、誰もつんでなんてくれない。

 男は悪魔の顔を持つ。

 甘く優しい言葉をささやいて、不毛の関係を保ちたがる。

 本当は、どうだっていいのだ。傷ついたふりして見せたって、影では舌を出している。

 その気になって期待したら、傷つくのは女のほう。

 私だって、何度も泣いた。経験をつんだ。

 夢物語なんて信じない。

 わかっているのに。

 自分が、これほどまでに優柔不断で流されるタイプだなんて、思ってもいなかった。


 緊張しながらかけた電話には、若い男の声が出た。


「渡場ですが、あいにく席を外しています。あとから電話させますか?」


 どうやら、研究室の学生らしい。私は慌てて、その申し出を断った。


「いいえ、いいです。あの……白井と申しますが、お約束の日は都合が悪くなったと、お伝えくださればわかると思いますから」


「あ、はい。では、一応電話番号を……」


「いえ、いいんです。それでわかりますから。では……」


 ガシャリと電話を切った。顔が熱くなっていた。


 拍子抜けしたような……。

 でも、ほっとしたような……。


 複雑な心境で、その日は身に入らない仕事をこなした。

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