賭け事・4

 

 どういうわけか、そういうことで、いつのまにか食事まですることになっている。

 場渡の車は、なぜか街とは逆の郊外に向けて走っている。


「一番人気はなぜ外したの?」

「君も外したから」

「どうして?」

「君を信じた」


 嘘っぽい。


「やる気がなさそう……って言っていたでしょ?」


 確かにそう言った。

 でも、それは馬がそのように見えただけである。


「陣営が勝つ気がなかったよね、たぶん……。元々が、あのクラスで勝ち続ける素養の馬じゃない。下手に勝って、厳しいレースを重ねたくはないんだろ?」


 私に陣営のことはわからない。

 馬は稼いだ一着賞金でクラス分けされる。勝てば勝つほど、出るレースは厳しくなる。

 たしかに、強い馬ばかりが出るレースで負け続けるよりも、弱い馬ばかりのレースで着に絡み、賞金稼ぎができたほうがいい。そう思う人もいるかもしれない。


 渡場は、なぜ、万馬券の馬券と手堅い馬券とを分けて買ったのだろう?

 あとで不安になって買い足したのだろうか?


 違う……。

 万が一、万馬券が当たったら、私にきっとこういったに違いない。


「俺は勝負師なんだ」


 安全馬券など、私に見せるつもりはなかったはずだ。

 私は、純粋に馬が走る姿を見ることが好きだから、なんだかあまりいい気持ちになれない。

 勝負なんかどうでもいい。いや、もちろん勝ちたいけれど……。

 それよりも何よりも、人が金の計算をして馬を走らせていると考えるのは嫌だった。それがたとえ真実だったとしても、目をつぶっていたいのだ。

 馬が走っている姿は、見た通りの美しいままでいい。

 渡場のような考え方は、私をとても不快にする。


 なぜ、私には渡場の嫌なところばかり見えるのだろう?

 なぜ、渡場は絶対に見抜かれるような、せこいことを言うのだろう?


 バカバカしいと思いながら、付き合っている私も私——どこかで上手に扱ってほしいと思っている。



 渡場は、今まで付き合ってきた人……たとえば工藤とかとは違いすぎる。

 工藤の場合、正直言ってデパート勤めの若い男なんてお金があるわけでもないし、アウトドアグッズにお金をかけてしまう男だったし。

何よりも、結婚を控えていたのだから、こそこそ付き合っている女の子に費やすお金なんかなかった。

 もちろん、付き合い始めたときは、夜景の見えるレストランに食事に連れていってくれたけれど、後半は私の部屋に転がり込んで、即席で作った夕食を一緒に食べるのが常だった。

 だから、正直いって渡場のすることは、なんだか自分にはもったいなすぎるような気がした。


 海岸線の静かな道を車は走り、途中小さな道へとそれた。木立の向こう、広場が見えた。

 私は驚いた。それは広場ではなく、建物の屋根だったのだ。

 コンクリートの打ちっぱなし。こちらからはよく見えないが、どうも大きな建物らしい。その中に車は吸い込まれていった。

 駐車場から奥へ入ると、まるでホテルのような受付があり、私は少しだけ緊張した。

 やや、薄暗いホールには所々に水槽があり、そこには色とりどりのイソギンチャクとヒトデがいて、妖しい美しさだった。

 その色にも似た不思議な照明は、かなり高級なラブ・ホテルを思わせたのだ。

 何の承諾もなく、連れ込まれたのかと思った。あまりに上品な場所だけに、どうしていいのかわからず困り果ててしまった。

 しかし、いくら渡場が遊び人であっても、そこまではいきなりはなかったらしい。


 通された部屋は横に細長く広がっていて、かなりの大きさがあった。

 最初に目についたのは、前面に広がる海だった。壁一面がガラスになっていて、崖下の海が見える。

 この素晴らしい眺めを最大限に活かすため、部屋はやや扇形をしていた。

 窓はほとんど繋ぎ目はないが、部屋は衝立程度の仕切りで区切られ、他のお客とは隔離されている。入り口もそれぞれ別にあるために、あのホールに受付があったのだ。

 海側から見れば、ガラス張りのモダンな建物なのだろう。しかし、道路側からはまったく見えない。まるで秘密の要塞か、砦か。

 ハイクラスなカップルのデートのためにあるような、レストラン・バーだった。

 私には、どうも似合わない。

 しかし、かすかに流れるクラッシック音楽と聞こえる波の音が心地よかった。

 料理は、和洋を合わせたような創作で、ガラスのお皿に少量が美しく盛られていた。海の幸中心に何皿がいろいろ出てきたが、あまりにも私には場違いで、印象に残ったものはない。

 やがて、波の音だと思っていたものも、実は録音されたものだと気がついた。防音壁の建物の中に、海がいくら近くても自然の音など響いてくるはずもない。

 すべてが作られすぎていた。


 渡場といえば……実は、料理同様に、まったく印象が薄かった。

 彼にとっては、このような場所は慣れているのかも知れない。一杯のカクテルが、おそらく私が普段飲んでいるチューハイの五倍はしそうな値段であろうが、平然と飲んでいる。

 にこやかに話をしていて、不思議なことに私もそれを微笑みながら聞いていたりしているのだ。まるで、恋人同士であるかのように、デートをしている図式である。

 しかし、やはり何を話したのかも何も覚えていない。なぜ、笑っていたのかも……張り付いたような笑顔だったと思う。

 海の向こうに陽が沈んで行き、微妙に空と海の色が変わって行く様だけを、私は見ていた。

 海岸線の奇岩のシルエットが際立つ。それは、夢の世界のように美しかった。

 そして、この時間もやはり夢なのだと思った。何もかも実感がない。


 帰り、やはり渡場は車のドアを開けて私を乗せてくれた。

 先ほどのカクテルはノンアルコールには見えなかった。渡場にとってはいつものことなのだろう。私の不安そうな顔を無視している。


「白井さん、もっと遠くへ行きたい?」

「は、あ?」


 いきなりの言葉に、私はびっくりした。


「白井さんが望むなら、もっと遠くまで行くけれど。君が望むなら、俺は何でも叶えてあげる」


 ウィンカーがカチカチと音を立てている。

 なんだか、嫌な気分だ。


「それって、なんだかスケベ親父が愛人に言うような台詞じゃない?」


 私は、やや苦笑して言い返した。

 渡場の片えくぼが現れた。日焼けした顔に白い歯がのぞいた。


「え、そう? 俺、かなり本気で言ったんだけど」


 そう言いながら、渡場はウィンカーの方向を変えた。

 車は左手に曲がり、私の家の方向に向かった。

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