賭け事・2


 その日、時間通りに渡場は迎えにきた。

 一度送ってくれたので、迷わずにきたらしい。


「車でないほうがいいんじゃない? どこかで待ち合わせしたほうが……」


 そう言った私に、渡場はにこっと笑った。

 嫌だという意思表示でも、この男は必ず笑顔を見せる。本当に嫌なのか、嫌じゃないのかわからない。


「俺はバスとか地下鉄とか、乗りたくないんだ」

「なぜ?」

「俺が運転しているもの以外の乗り物は、安心できない」


 ……あきれた。

 自信過剰もここまでくれば、アッパレというしかない。



 何かが違う印象。

 ちなみに、私は競馬は貴族の由緒あるスポーツだと思っているし、海外のポスターで見る紳士・淑女の姿と馬に憧れを抱いているので、それなりのおしゃれをした。

 フリルをあしらった上品なブラウスも、フレアたっぷりのスカートも、それに合わせたミュールも、けして渡場に会うためではない。

 しかし、渡場ときたら私の想像とは少し違っていた。

 彼は、ポロシャツにジャケットを羽織り、下はジーンズだった。つまり、いつもと何のかわりもない格好だったのだ。


 もっと気取ったヤツかと思っていたけれど……。


 今日のような晴れ渡った空の下に、日焼けした渡場はよく似合う。

 一見、さわやかな好青年だ。

 そういえば、明るい日差しの中で会ったことなんて無かったかもしれない。

 会うのはいつも夜、星の集まりだけだった。


 渡場の車は、そんなに大きな車ではないが、左ハンドルのドイツ車である。

 車に疎い私は、名前もなにも知らない。うっかり間違って運転席のドアを開けそうになった。


「白井さん、こっち」


 渡場はにこにこしながら、助手席のドアを開けた。

 車のドアを開けてもらうなんて、今までしてもらったことがない。

 普段の自分との奇妙なくらいの違和感を感じながら、私はいそいそと乗り込んだ。


「外車なんて、なんか扱いにくそうじゃない?」

「あまり関係ないな。慣れたらそれなり」


 渡場が乗り込んで、エンジンをかける。なぜか突然、ワイパーが窓を拭く。


「確かにね、慣れる前はウィンカーとワイパーをよく間違えた」


 ぎこちなくてしかたがない渡場の隣と、濡れてもいない窓を拭くワイパー。

 渡場の笑顔から、白い作り物の歯がこぼれた。

 私が唖然として一往復するワイパーを見つめているうちに、車は走り出した。



 免許は持っている。

 でも、ペーパードライバーである。

 スクーターの運転のためだけにあるような免許だった。

 その私が、普通は運転するサイドの助手席に座っているのだから、見える風景が違いすぎて、やや怖い。


「なんで左ハンドルを選ぶの?」

「左だから選んだんじゃなく、選んだ車が左ハンドルだっただけ」

「普通はそういうこと、考慮して選ぶんじゃないの? 使いやすさとか、燃費とか……」

「普通はそういうことじゃ選ばない。車は自己表現のひとつだから」


 確かに昔の彼——アウトドア派の工藤は、RV車に乗っていた。

あの男は、何でも使い分けるヤツだったんだ……二股を掛けられていたことを思い出し、やや苦々しい気持ちになった。

 仕事ではスーツの彼も、一緒に遊びに行く時はいつもフリースのパーカーを着ていたっけ。仕事と遊びの顔は違った。

 車を見れば、仕事だけではわからない工藤という人物がわかってくる。

 でも、渡場のいう自己表現とはちょいと違う気がする。

 工藤がRV車を選んだのは、悪路をよく走るからであり、キャンプ用の荷物もたくさん積めるからだ。表現ではない。目的がある。


 私の父親だって、家族と家計のバランスを考えて、車を選びつづけていた。

 自分らしいとか、かっこいいとかでは、車を選べるようなゆとりはなかったけれど、車が好きだということは、何となくわかる。

 小さな頃の楽しい思い出に、家族とのドライブがあるから。

 一人暮らしは気ままだから、今更親元に戻ろうなんて思わないが、だからといって家族仲が悪かったわけではない。


赤信号で車は止まる。

 目の前の交差点を、家族を乗せたワンボックスカーが右折していった。

 後部座席で騒いでいる子供たちの影が、幼い日々と重なった。

 かすかに頭をよぎったものを、渡場の声がかき消した。


「たとえばあの車を運転しているヤツ、どんな男か想像つくだろう? 家族サービスで自己犠牲を強いられていることがよくわかる」


「そんな言い方……」


 ほのぼのとした気分になっていただけに、心が凍りつく思いがした。


「別に生き方を否定しているわけじゃない。ただ、俺はそんなかっこ悪い生き方は嫌いなだけさ」


 そういうと、場渡は運転席側の窓を五センチほど開け、ポケットから煙草を取り出した。


「いい? 煙草」

「え? あ、うん……」


 あいまいな返事だったが、よしと判断したのか、渡場は煙草に火をつけた。

 そして自分の吐き出した空気に、煙たそうに顔をしかめた。


 どこかぴんとこない男。


 私にとって、渡場という男は何だか存在感が薄い。

 いや、薄いっていうのじゃない。存在感はあるのだけど、何かが大きく欠けているような気がする。

 人間の本質のどこか大切なものを、まったく殺ぎ落としているような……。

 だから、何をしても決まっていてかっこいいのだけど、何か心を打つものがない。

 まるで、グラビアみたいでプラスチック人形みたいで、生きている感じがしないのだ。


 うまく言えないけれど……。


 中味が見えない。見えないんじゃなく、おそらくないんだろう。

 それでいて、渡場の奇妙なほどの丁寧な扱いに、遊びとか気取りだけではない重さを感じるのはなぜだろう?

 渡場は、車を降りる時も自分が最初に車を降り、助手席に回ってドアを開け、私に手を差し出した。


 ……いくらなんでも、やりすぎだろう?


 そこまで女王様扱いされると、女ったらしもたらしすぎ……と、あきれると同時に、何か怖いものまで感じてしまう。

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