赤い糸・6


「白井さんは歌決まった?」


「あ、いや、まだ」


 あまりにありきたりの質問に、私は動揺していたにちがいない。

 それを見抜いたのか、渡場は鼻で笑った。


「じゃあ、リクエストしようかなぁ?」


 とんでもないことだ! 私はレパートリーが少ないのだ。


「私、音痴なので……」


「いや、大丈夫でしょう? デパガと保険屋は遊びは得意でしょう?」


 まるでセクハラオヤジのような台詞だ。

 が、渡場のような男がいうと、説得力あるのが不思議だ。

 悔しいが、容姿で得をしている。


「不得意なデパガもいるんです」


 肩に力が入ったまま、私はむっつりと答えた。


「ちょっと、歌い終わったからね!」


 席を返せといわんばかりの杉浦に、私と渡場の話は途絶えた。

 渡場は片えくぼを作ると、あっけなく立ち上がった。既にマイクを握っている。

 二人おきに渡場は歌を入れているらしい。

 ふつうは誰もが嫌がるパターンだが、誰もが渡場の歌を聴きたがっている。今度はなつかしの歌謡曲だ。

 ノリノリのなじみの歌で、みんなが手拍しして一体となる。これもやはりうますぎる。



 時間が経つにつれ、最初に座った席はばらばらになり、歌ったり踊ったり語り合ったりと、仲間の行いも様々になる。

 私といえば、隣の杉浦がひっきりなしに話し掛けてくるにもかかわらず、渡場が気になって仕方がない。

 彼はあれ以来、こちらには来ず、美弥の話や理子のパンチを受けながら談笑中だ。

 私だけが気にしている。我慢ができない。

 理子がトイレにたった時、ついに私は渡場のほうへと歩み寄った。


「さっきのリクエストの話だけど……」


 ニコニコ笑いながら、さりげなく渡場の隣に座る。

 彼は、やはりきたか……というような含み笑いを浮かべた。


「渡場さん、歌がうまいから、こんなのも歌えるかな? と思って……」


 選んだなんて大嘘だ。

 私はただ、適当にページを開き、適当に指を指したのだ。


『スィート・メモリー』


 美弥が隣で大笑いした。


「それは……歌えない……」


 渡場が、やや表情を硬くして答えた。


「いや、大丈夫でしょう? 渡場さんは歌は得意でしょう?」


 一本取った……。

 そう思った。


 私は、意地悪っぽく迫った。

 さすがの渡場も女性の歌は無理なのだろう。

 渡場はまるで芝居がかったように、頭を抱えてみせた。


「いや……その歌を歌うのは、俺にはまだ……痛すぎるんだ」


 痛い? 何が? 


 大げさに頭を抱える渡場が、手で隠した影で歯を出して笑っているような気がして、私はさらに歌を迫った。


 渡場に限って、本当に痛いわけないじゃない!

 この人に、痛いことなんてあるわけないじゃない!


 なぜか知らないけれど、彼は演技をしているのだ。女の直感ですぐにわかった。


「やめなさいよ。本当に嫌がっているじゃない」


 隣で、見かねて美弥が囁いた。

 さすがに年下に諭されて恥ずかしくなり、私はリクエストを取り下げた。

 理子が戻ってきた。

 私は理子に席を譲って立ち上がった。渡場が歌のために席を立ったのと、ほぼ同時だった。


 なによ……。

 痛いことなんてあるはずないくせに。


 席に戻ると、杉浦が私のために追加してくれたビールがあった。彼本人は、トイレにたったらしい。

 私は一気にビールをあおった。

 頭の中は、既に渡場のこと一色になっていた。

 それは、けしていい意味でではない。嫌なヤツだと思えて、気になってしょうがないのだ。私を笑う悪魔の代表選手みたいな男だ。

 渡場は、なつかしいフォークソングを歌っている。


 それでも恋は恋……。


 恋は恋? 冗談じゃない。

 私は、男が女の立場になって歌う歌が大嫌い。

 男の願望なのだろうか? 女々しい女ばかりが出てくる。

 なぜ、男の人は、女が恋に苦しむ姿を喜ぶのだろう? 何がそんなに楽しいのだろう?


 男の都合で女は歌われる。

 男の都合で女は表現される。

 ふざけるんじゃない。


 その歌が終わらないうちに、私は次のビールも空ける。

 みんなが拍手喝采だ。

 ふつうは誰もが拍手するが、渡場の場合は本当に自然に拍手したくなるのだろう。

 でも、私は今回、拍手しなかった。

 かわりに空のジョッキをどすんとテーブルに置いた。

 渡場は、私をイライラさせておいて、そしてまったく気にもとめていない。それが一番腹立たしかった。

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