赤い糸・5


 十一月に流星雨が降る。

 そのようなことが元で、かつての星仲間が集まり始めていた。


 獅子座流星群は、雨のように流星が降って人々を驚かせたことのある流星群だ。その後は目立った出現はないものの、誰もが夢再びと思っている。

 しかも流れ星の元となる彗星が地球に接近したため、ここ数年のうちに流星雨の可能性があるというのだ。

 夏のペルセウス座流星群のようなイベント企画はないものの、にわか流れ星ファンである星野美弥や桜田理子、それに杉浦が中心になって、声掛けしている。



「獅子座流星群は、ここ数年は目が離せないよ」


 売場に訪れた杉浦は、青白い顔を桃色に染めて熱弁する。

 売場の同僚が、ひそひそしている様子が後ろ目でわかる。ちらりと気にする様子に、杉浦は気分を害したらしく、まるで子供のようにいじけて見せる。


「仕事中に迷惑だった? そうだよね、ごめんね。じゃあね」


「いや、そんなことはないって! わかった、あとで電話するね」


 私はあわててフォローする。

 でも、なぜ流星雨を見る前に集って宴会なんだろう? それにまだ九月だ。


 酒は星のおまけなのか、星は酒のダシなのか……。


 杉浦の誘いは、星を見る誘いではなく酒を飲む誘いだった。

 でも、それがまた楽しい。そういうのが楽しいのだ。

 ……さすがに聞けなかった。

 メンバーに渡場がいるのかどうかとは。




 すすきのの安居酒屋で、夜にはびこる星好きが集まる。

 職場の付き合いで飲む宴会に比べると、色気も何もない。

 あたりの会話は、望遠鏡の性能やら天文現象やらに変化してゆく。

 女性に気を使って酒を飲むより、自分の好きな趣味ネタで盛り上がるほうが、結局は楽しいのだろう。

 さらに、カメラやパソコンネタへ……。最近の星見は、目ひとつでは楽しめないのか、難しくなりがちだ。

 機材に関係のない流れ星は、私や美弥・理子のような機械音痴でも楽しめる。

 ただ、星をみてロマンティックな気分に浸る。本当は、私はそれだけでいい。

 

 渡場は少し遅れてやってきた。

 今までの話題はぴたりと止み、メンバー全員の興味が渡場のほうに向く。


「よう」


 たった一言だけ。

 こぼれる笑顔に白い歯と目が光る。ますます日焼けしたようだ。


「うわ、直哉さん。すっげー真黒ですね。一瞬見えませんでした」


 真っ先に声をかけたのは、やや色めきだった女性陣ではなく、高井だった。

 彼は、大学の先輩である渡場を尊敬しているらしく、主人を見つけた子犬みたいな喜びようだ。

 渡場は、まったくさりげなく、日に焼けて色落ちした髪をかきあげた。そして、ちらりと私に視線を送った。


 私……といえば。


 正直いって渡場がいないことに、ほっとした気持ち半分・拍子抜けした気持ち半分だった。だから、彼が現われた時、うれしそうな顔をしてしまったと思う。

 それは、渡場が気になるというよりも、あの変な言葉の意味が気になるせいに違いない。

 あわてて顔をそらしたのは、照れたわけでも何でもない。

 渡場は私の前を片えくぼの微笑みで通りすぎ、理子と横に席を陣取った。 まもなく、理子の酔っ払いパンチを受け流すことになる。


 いったいなんなの……あの男。


 私は、肩透かしを食らったような気分で、ビールを半分一気に飲んだ。


「さあさ、面子が揃ったところで、また乾杯だよ!」


 杉浦が鼻の頭を赤くしながら、私のジョッキにすかさずビールを注ぎたした。


 かんぱーーーーい!


 ガチャガチャとジョッキがぶつかる音が飛び交った。

 渡場は、まるで華だった。

 地味な宴会が一転、華やかな笑い声が飛び交う場となった。

 私もついつい飲みすぎて、かなり陽気になっていった。そしてみんなもそうだった。

 二次会のカラオケは、当然のごとく全員参加の大所帯となった。



「いやーだぁー、渡場さぁん。マイク、ちゃんと離してくださいよぉー」


 甘えた声で理子がいう。

手は既に渡場の背中を、平手でぺちぺち叩いている。

 渡場は、叩かれた勢いでタバコの煙を輪にして吐き出し、笑いながらも歌を選んでいた。

 どうやら、理子と美弥は渡場とのカラオケは初めてでないらしい。


「白井さん、ほら、ちゃんと歌選んでね」


 いきなり膝の上に、重たい曲目リストが乗っかっている。杉浦だ。


「実は、私音痴なんだよね……」


 申し訳なさそうにいうと、杉浦は疑いの眼差しを向けた。

 デパート勤めでしっかり化粧・ブランドらしき服を着ている私が、今時カラオケで歌も歌えないなんて……考えられないという表情だ。


 仕方がないでしょう?

 入社したての頃は先輩たちの派手さに圧倒され、今は若い子たちのパワーに呑まれ、音痴の私には、マイクなどめったに回ってこないのだから。


 私はぱらぱらとリストを見るふりをして、回りの様子を観察した。

 見回すと、曲目リストの種類が、みんな違う。

 増沢は私よりも若いくせに、なつかしのアニメソングを物色していて、美弥もそれに便乗するようだ。

 高井は、意外にも新しもの好きらしい。新曲リストを眺めている。

 渡場は……見ていたリストを片っ端から理子に奪われている。

 このメンバーはバラエティに富んでいる。曲種は何でもよさそうだ。

 私は、先輩がよく歌っていた歌を探す。それならたぶん、歌ったことはないが、どうにか切り抜けることができるだろう。


 理子に曲選びを邪魔されていたにもかかわらず、一曲目は渡場だった。

 マイクの前で、彼は咳払いをする。

 後でわかったが、これは歌い始めの彼の癖だった。

 わりと新しい歌にもかかわらず、彼は歌いなれているらしく、歌詞画面を確認することもなく歌い始めた。


 一瞬……。


 思わず歌を探していた手が止まった。


 うわ……。

 上手すぎ……。


 声が甘い。思わずうっとりしてしまう。

 音量もあるし、音域も広くて、情感もたっぷりだ。

 職場にも歌がうまい人はいるが、渡場のうまさは別格だった。

誰もが一瞬、曲選びの手を止める。

 視線の先にいる渡場は、マイク本体に指がかかるような少し気取った持ち方をして、陶酔しきっている。

 歌のうまさだけではなく、もって生れたマスクのよさとバランスのとれた体型のせいだろう、それが様になっている。


 もしも、神様がいるとしたら……。


 なぜ、渡場をこんなに贔屓するのだろう?

 何をやっても様になる男に、プロ並の甘い声まで与えなくてもいいだろうに。


 誰もが呆然と聞きほれる中、やや眉をしかめ、すっかりなりきった表情で、渡場は歌を歌いきった。

 私の横で、杉浦の顔色が抜けていった。

 二番手は杉浦だったのだ。これはあまりにも歌いにくい。

 疲れたサラリーマン風の杉浦は、背も低く、太ってはいないものの、下腹部の贅肉は隠せない。しかも、眼鏡に青白い顔ときている。

 マイクを両手で握りしめ、必死にリズムをとって、前奏を真剣に聞いている。

 案の定、歌いにくかったのだろう。歌いだしからタイミングがずれて、伴奏とあっていない。そのうえ、高音部の声が出ない。

 二小節目のタイミングを渡場が合図したが、杉浦には通じなかった。

 結局、杉浦はお経のような歌を歌い、一番が終わったところで演奏を終了した。


「はい、はい、もう次!」


 歌い終わりと同時に、投げやりにマイクを美弥に渡す。

 

 杉浦が立ち上がったあと、なぜか渡場がそこに座った。

 つまり私の隣に彼は座ったのだ。ついに……。

 心臓が高鳴った。

 あの時の言葉、説明を求めるチャンスがきたのだ。

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