赤い糸・2


 相手が、既に父親を亡くしているので、父は遠慮した。

 私と母は、おばさんに連れられて、待ち合わせのホテルの喫茶ルームで相手を待った。

 堅苦しくなく……という配慮から、そこでお茶を飲みながら、お見合いすることになっていたのだ。

 窓からホテルの美しい庭が見える。

 相手がこないので水だけを飲みながら、私達三人は待っていた。母とおばさんは、時間を埋めるように会話を続けていたが、私は何も話しことも考えることもなく、ただ、ぼうっと庭の花の数を数えていた。

 

 何か……。

 生贄に捧げられる羊のような気分だった。


 きっと結婚したいという願望のため、私はここに来たのだ。でも、見知らぬ男と一生を共に過ごすなんて、何かが間違っている。

 いや、これは出会いのきっかけに過ぎないのだ。赤い糸はどこにあるのかわからない。


 ……違う。

 私は売春婦と一緒だ。


 結婚という希望をかなえるために、自ら自分の身を売ろうとしている。

 一生を保障してもらいたいがために、不純な行為に走ろうとしている。

 そもそもなぜ結婚したいと思うのだろう?

 両親は口をそろえて言う。


「おまえの将来が心配なんだよ。私たちももう歳だし……」


 今の私は、一人で充分食べていけるだけの稼ぎがある。男に身を売ってまでして、一生の面倒を見てもらう必要なんてない。

 親の心配など、よく考えれば無用なのだ。だから笑って「一人でも生きられるよ」と言えばいい。


 ……それも違う。

 私はただ、誰かと繋がっていたいだけなんだ。

 目の前に広がる人生という名の宇宙の闇を、たった一人で歩んで行くなんて、もう嫌だ。


「君と一緒に生きていきたい」


 ただ、誰かにそう言ってほしいだけ。


 否定・肯定・また否定……。


 繰り返すうちに、ますます嫌な気分になった。三杯目の水を飲み干す。


「おかしいわねぇ。ごめんなさい。時間、間違ったのかしら?」


 さすがに待ち合わせの時間を十分過ぎると、おばさんが不安そうにそわそわしだした。



 お見合いの相手は十五分遅れて、しかし平然としてあらわれた。 

 年老いた母……と思いきや、六十過ぎとは思えない女性がニコニコ笑顔で近づいてきた。

 私達はたち上がって挨拶した。あら、いいのよ、とでもいうように手を軽く振り、女性はテーブルについた。

 かすかに香水の香がする。シャネルの五番? 何だかそぐわない。

 肝心の相手は……?

 というと、母親の後で従者のようにしたがっていて、ほとんど存在感がなかった。

 私はその姿を見て、思わずあきれてしまった。

 紺のスーツを着ているが、第一ボタンが引っ張られている。腹がデップリと出ているのだ。身長があるだけに、まるで小山のようにモッソリとして見える。

頭は禿げ上がり、少ない髪がバーコードのように七三に分けて張り付いている。そして何よりも、顔色が青白い。

 何か言おうとしてあけた口元から、すかすかな歯がちらりと見えた。

 顔色が悪すぎる……。

 そう、彼は緊張して青くなっていたのだ。

 言葉の出ない口元が、パクパクと動いた。


「私はアイス・コーヒーにするわ。あなたはどうするの?」


 母親の問い掛けに、青年はパクパクと口を震わせたあと、小声で「ウン」とだけ言った。


「アイス・コーヒーをふたつ」


 情けない息子の態度に、母親は気にすることなく注文を入れた。二本の指をV字で示す指先に、大きなキャッツアイの指輪がはめられていた。

 その後はこの老婦人の独談場になり、我々は時々話をあわせながらも聞き役に徹していた。


「ミルクとシロップ、入れますか?」


 それがこの席で、唯一青年が口にした言葉だった。しかも、それは自分の母親に対しての言葉だった。


「あら、優しいのね。ほら、この通りいい子なのよ」


 ホホホと母親が笑うので、愛想笑いで私も笑った。

 しかし、顔は引きつっていたと思う。


「もう、本当に何か話はないの? あなた。あ、そうそう、パラグライダーの話をしたら?」


 だんまりの息子に、老婦人はみかねて話をふった。しかし、息子は無言のままだった。


「実はこの子、パラグライダーをやりたいなんて言い出したのよ。もう驚いちゃって……」


 結局は、母親がやはり話を続けていた。


 パラグライダー……。


 私は工藤を思い出していた。

 彼はアウトドア・スポーツが好きだった。

 いつだか忘れたが、友人に連れられて体験コースで空を飛んだ時、彼はものすごく興奮して私を訊ねてきた。


「俺、やってみたいなぁ。でも、金かかるからなぁ。色々……」


 残念そうな工藤の顔が、あの時はとてもいとおしく感じたのだ。

 今は苦いだけ。

 金がかかるのは結婚を控えていたから。

 工藤は自由に空を飛びまわるよりも、結婚して地上に縛られることを望んだのだ。


「空を自由に……飛べたらいいですね」


 私ははじめて本心から言葉を紡いだ。

 しかし、返事はこうだった。


「でもね、そんな危険なこと止めてちょうだいって、私言ったの。そしたらこの子はすぐに「ウン」って」


 ねぇ……というように目で語る母に、いい年をした青年は大きくうなずいた。


 間違いなくマザコン男だった。


 しかも、母親は自分たちがおかしいことにまったく気がついていない。

 K大は優秀な学校で東京からの求人も多く、彼も東京へ行きたいと駄々をこねたそうだ。


「止めなさいといったのに、この子ったらお友達がみんな東京へ行くからと言ってね。案の上、辛い思いをして二年で帰ってきてくれたけど……お勉強にはなったわよね」


 まただ。青年は「ウン」と大きくうなずいた。

 私も母もおばさんさえも、開いた口が塞がらなかった。


「……まぁ、なんですから、二人きりでお話してみたら?」


 最初の計画とおりなのだろう。おばさんが口を切ったとき、まさかと思った。

 こんなマザコン息子と二人きりになるなんて、アルバイト料をもらったって嫌だった。

 二人っきりになったとたん、くだらない話を延々としだした青年に二時間ほど付き合って、その日は親元ヘ帰った。


 母も父も何も言わなかった。

 ただ、おばさんがごめんなさいね、と謝って帰ったそうだ。

 相手の写真は六年前の写真だった。

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