流れ星・5
「家に電話した上、自分の名前も電話番号さえも教えるなんて、君はそそっかしいね」
トイレにたった時だった。
たまたま出口ではちあわせた渡場が、私に声をかけてきた。
違う……渡場は、私がトイレから戻るのを見越して、ここで待っていたのだ。
「え? 何か悪いことでしたか?」
渡場は、ややひきつった笑顔で私を見た。
「そりゃあそうでしょう? 俺は、妻からどんな仕打ちを君が受けたって、かばい切れないよ」
私には、渡場の言っていることがまったく理解できなかった。
「え??? いったいどういう事?」
意味がわからず、私はオロオロするだけだった。
「身の安全には気をつけたほうがいい」
彼は軽蔑するような微笑で一言残して、宴会場に戻っていった。
全然わからない。
理解できない。
私は別に渡場と親密なわけでもない。
千歩譲ってあの電話で誤解されたとしても、後ろめたいことは何もない。
そう、何も後ろめたいことなんかないのだ。
なのに、どうして電話しただけで、こんなに後ろめたくなりなさいと言われるのだろう?
渡場直哉という人間は、どこかおかしいのではないか?
勝手に、私が何か下心を持って電話したとでも思っているのではないか?
とすれば、自意識過剰も甚だしい。
それとも、本当に妻が私に何かする可能性があるのだろうか?
そういう事実が過去にあったのだろうか?
電話一本で嫌がらせをする女……なんて、想像もつかない。
だって、妻という安定した立場にいるのに。
私よりもずっと、安定したところにいるのに。
そこまで、女を追い詰めるのは、渡場が悪いに決まっている。
渡場はいつも、家庭などをかえりみない。生活感を感じない。
妻も子供もいるだなんて、誰が思うだろう?
いつも、楽しく遊んでいる話しか聞かないし、聞こえない。
彼は、独身貴族よりも貴族を謳歌している。
渡場の笑顔は、自己中心的でわがまま勝手な男の表情だ。
ぱっかり割れた笑顔から飛び出してくる本性に、振りまわされるのは、いつも女のほう。
妻は今日も子供を抱えて、帰ってこない夫にイライラしているに違いない。
男はわがままな悪魔だ。
私には、かえって私に災いするかもしれない妻のほうに、同情さえおぼえた。
宴会はおおいに盛り上がっていた。
私が戻った時には、渡場はいつもの彼に戻っていて、理子のパンチを受けていた。
美弥が、渡場のジョークに腹を抱えて笑っていた。
私が席につこうとした時、渡場は私をちらりと見た。
何か、呼ばれているような気がした。
「いやぁ、渡場さんは、不思議だよね。だって、毎日夜間テニスにも通っているんでしょ? それで、奥さん怒らないわけ?」
まるで、私と渡場の視線がからむのを断ち切るように、杉浦がヤボな話題を出した。
杉浦の鼻の頭が、ホンワリと赤く染まっている。
けっこうお酒がすすんでいるらしい。
「別に。俺達はお互い自由を尊重しているし。あいつもあいつで、のびのびやっているよ。なんか、杉さんてさぁ、そんなに結婚って束縛しあうモノだと思っているの?」
渡場はタバコを煙たそうに吸いながら、逆に杉浦に質問した。
「いや。だって、子育てとかもあるでしょ? そんなに何でも自由になるなんて思えないなぁ」
場渡は鼻で笑った。
鼻からタバコの煙が、ふっと漏れた。
「杉さん、まだ独身でしょ? 今からそんな心配かい? それは、お互いの考え方次第なんだよ。もっと夢を持ったほうがいいよ。結婚は別に人生の墓場じゃぁない。杉さん、あんた年いくつ?」
結婚していない杉浦が、結婚に対して悲観的な意見を述べる。
でも、この地味な男が、本当は結婚して家庭を持ちたいと思っていることは、誰の目から見ても明白だった。
渡場のような華のある男には、風貌のさえない杉浦のコンプレックスなど、まったく理解できないのに違いない。
事実、この席だっていつの間にか女性に囲まれている渡場に対して、杉浦の回りは男ばかりになっていた。
私は渡場の自信たっぷりな態度に、違和感を持った。
「いいなぁ。そういう理解ある夫婦関係って……」
突然、星野美弥が夢心地につぶやいた。
「私も、渡場さんみたいな結婚したいです。お互いを尊重しあうって、大事だと思います」
私もそう思ったに違いない。
先ほどの会話がなかったら……。
渡場の妻が、にっこり笑顔で渡場の自由を許しているとは思えない。
渡場が主張するお互いを尊重しあっている夫婦……それは単に男に都合がいい夫婦ではないのか?
杉浦が頭をひねりながら、必死の反論を展開している。
渡場は煙たそうに目を細めながら、煙をはく。その表情は、ゆとりすら感じる。
理想の自由夫婦を演じる男。
「俺は、どんな仕打ちを君が受けたって、かばい切れないよ」
先ほど、渡場は確かに私にそう言った。
そんな事を言いましたか?
……とでもいう傲慢な微笑を渡場は浮かべていた。
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