子宮で育つもの・5


 職場の仲間内が、私の退院お祝いをしてくれるという。

 復活して、そろそろ退屈しはじめていた。

 遊びに行くのも、解禁してもいい頃だ。


「……でね? 麻衣は工藤さんの結婚式出られなかったでしょ? 新婚旅行のお土産話も一緒に、工藤さんのお嫁さんのお披露目もしちゃおうって事になったの。ね、ね、グッドでしょ?」


 あまりの気のきいた演出に、私は呆然となった。

 やっと立ち直りかけているというのに、これでもか! と後から殴られたようだった。

 工藤も……そんなことを、受けるはずがないだろう。


「でも、私の片手間にじゃあ、奥様に悪くない? 工藤さんは何て?」

「全然かまわないって! もちろん、麻衣がいいのなら……って言っていたけれど」

「……本当に、かまわない……のなら……」


 私は無理やり笑っていた。

 工藤は、またもや私に言葉を言わせようとしている。

 私が嫌だといえば、いいわけができる。


 私が遠慮すると思って、あいつは……。


 少しでも、自分が怪しまれそうなことなんか、しない。

 いつでも自分の保身でいっぱい。


 本当に! なんて最低な男なのだろう?


 あんな男を、わずか十ヶ月とはいえ好きだった自分の過去を、切って捨ててポイしたい。


 いいわけなんかさせない!

 自分が傷ついたって、あいつに楽な思いなんてさせない!


「じゃあ、楽しみにさせてもらうね」


 私の中に、再び憎しみの炎が蘇った。



 私は念入りに着飾った。

 少し伸びてきた髪は、うなじがきれいに見える服のデザインにあわせて、無理にアップにしてみた。


「酔っ払い厳禁!」


 私は手のひらに書いて、三度飲みこんだ。

 元々酒乱の気があるうえに、しばらくお酒を飲んでいない。

 シラフでいなければ、あいつの顔を観察できない。

 どんな顔で過ごすのやら……。




 居酒屋の個室で、ドンチャン騒ぎが始まった。

 まずは私の退院を祝う言葉が飛び交い、私に花束が贈呈された。

 私はポーカーフェイスで、工藤と工藤の妻を観察した。

 どこが売れ残りで、どこが歳だ……。

 私は鼻で笑った。

 どこにでもいる普通のお嬢さんではないか……。

 工藤にとって、私はいったい何者だったのだろうか?

 遊ぶに都合のいい女だったのか? 

 ぽい捨てしても、何とも思わないとでも、思っていたのだろうか?

 私には心がないとでも思っていたのだろうか?


「はい、それでは愛の質問コーナーです。まずは、主賓の白井さん、ずばりと質問してくださーい!」


 突き出されたマイクを、拒絶せずに受け取った。

 思いっきり悪魔っ子になって微笑んだ。

 しかし、工藤もまったくのポーカーフェイスだった。


「はい、それでは……ずばり! プロポーズはどのように?」

「オオオーーーッ! いきなりそうきました! さすが白井、して答えは?」


 まわりはかなりのハイテンションだ。

 さすがの工藤もうつむいた。


 私にそんなこといえるはずがないよね?


「……いや、ちょっと……それは……」


 みんなが照れ隠しだと思って、工藤をこづく。


 本当に……この男はなんと言ったのだろう?

 私を一番好きだと言った、その口で……。


 すると、今まで静かだった妻が、いきなり見かねて口を開いた。


「あの……愛と青春の……って映画を見にいって、その帰りに」

「その帰りに????」

「もう! どうでもいいだろ! いうなよ、照れくさい!!!」

「何て? 何て?」


 みんなが迫る。


 映画……。

 私は仮面のように笑っていた。


 それは、私とも見に行った映画じゃないか!

 映画を見ながら、繋ぎあっていた手のぬくもり……。

 あれは?

 あれはいったい、どういうつもりだったのだ?


 恥ずかしそうにうつむきながら、でも、本当は勝ち誇っていたのだろう……妻は言った。


「……君を…あの映画のヒロインにしてあげるよって……」

「わーーーっつ! 何で言っちまうんだよ!!!」


 大声で叫んでひっくり返った工藤を、仲間全員がよってたかって、座布団で埋め尽くした。


 


 一次会・二次会と、私は流れていった。

 工藤たちは早々と帰った。

 私はぷっつり切れたように飲みつづけた。

 本当に付き合いのいいやつらだけが残り、人数は減っていた。


「まだ本調子じゃないんだから……」


 声を掛けたのは、同期の女性だ。たぶん、祥子だと思う。

 もう、誰が誰かもわからない。

 化粧は剥げ落ち、髪は乱れて、それでも私は、ずっとケタケタと笑い上戸だったらしい。

 カラオケのあるスナックで、誰かがいい声で歌っている。

 心に染み入るいい声だ……。

 本当に今夜、私は真綿で絞められて殺された。そんな気分。


「柔らかく殺せ! って……何さ、それ?」


 その歌は、たしかコーヒーかなんかのコマーシャルで使われている曲だったと思う。

 英語力のない私は、拾い読みしたタイトルを見て笑った。そのあたりのことは、ちょっとだけ覚えている。


「いやだなぁ……。KILLってこの場合、うっとりさせるとか、そういうことじゃない? しっかりしてよ。麻衣」


 私は急に悲しくなった。

 私って本当にばかだ! こんなことして惨めになるのは私の方だけなのに……。

 工藤のばかやろうなんか、幸せいっぱいだったじゃないか!


「……ちょっと麻衣、今度は泣き上戸?」


 あきれて誰か……そう、もう誰が誰かさっぱり……。

 誰かわからないけれど、男の人が私の横に割り込んで座った。


「白井さん? ああ、あの白井さんかぁ。どっかで見たことあるとは思っていたけれど、俺、記憶力なくってねぇ。ねえ、どうしたの?」


 もう、この人誰よ!!! わかんなーーい……。


 酔っ払うと視界が狭まる。

 

 本当はね、本当はね、工藤のばかやろう! って叫びたい。

 でも、そんなこと言っても惨めになるだけ。

 この仲間内に、工藤と私がどんな間柄だったかなんか、死んでも知られたくはないんだから。

 私の過去から抹殺してしまいたい出来事なんだから!


 知らない男の人の声はとても甘くて心地いい。

 ついつい本当のことをいいたくなってしまう。でも、絶対にいえない!

 私はついに号泣した。


「……私の好きな……」

「君の好きな???」

「……私の好きな馬が死んだの……!」


 私はテーブルに伏した。

 そう、この間の大きなレースで、競走馬が四コーナー回ったところで転倒した。

 いつのまにか、悲しい事を別の悲しい事におきかえていた。


「ずっと好きだったのに、あの馬はね、一生懸命走って走って……すっごくがんばって走っていたんだよ。本当にがんばっていたんだよ。もうちょっとで引退できたはずなんだけれど、すんでのところで足を折って……」


 意識が朦朧としていたけれど、私は泣き続けていた。


 結婚して幸せになるはずなのは、私だったのに。

 誰かと繋がりたくて、がんばっていたのは私だったのに。

 私はすんでのところでこけてしまった。


「薬殺処分されちゃったぁ……。もう……私も死にたい!」


「……君は、競馬が好きなの?」


 その質問に答えたかどうかは、もう記憶にはない。

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