月のない夜

月のない夜・1


 長かった髪を、顎の線で揃えて切った。

 やっと雪解けしたアスファルトの道を、真っ赤なスクーターで飛ばす。

  まだまだ、風は冷たい。

 というよりも、いつも風は冷たい。

 たくさん着込むのは寒いせいだけでもないのだが。

 メーターを振りきって走る無謀さを持ち合わせているくせに、私はメットを欠かさない。

 足を揃えて乗れるスクーターにもかかわらず、乗る時はいつもジーンズだ。


 いつも転倒を怖がっている……。


 見かけ以上に私は臆病者で、無鉄砲に突き進みながらも、いつも不安で足がすくむ。


 笑っちゃうな……。

 スクーターを買ったのは、どんな理由?


「君がそうしたいなら、僕は何でも力になるよ」


 そういっていた二年前の彼に冷たい仕打ちを受けるようになってからだ。

 お別れを言ったとき、彼は悲しそうな顔をした。

 

 でも、ぱかっと割れたのだ。

 笑顔が……。

 白い歯がこぼれたのだ。

 汚物がいっぱい飛び出して、私の心まで汚していった。


 私は、彼を足代わりにしていた。

 勝手気ままに電話で呼び出し、わがまま放題し放題……。

 彼はきっと疲れたんだろう。

 他に女を作ったらしくて、私にとんでもないほど冷たくなり、殴ることさえあった。

 女王様から奴隷に突き落とされた気分……。

 ものすごく惨めだったのに、私は別れを切り出せなかった。

 殴られたって、蹴られたって、やっぱり好きだったから……。

 売場に立てないひどい顔になっちゃって、三日間、風邪と偽り仕事を休んだ。


 こんなことで、人に迷惑かけたり……。

 こんなことで……。

 私だって惨めな気分になるだけ。

 鏡を見ながら泣き笑いして、彼が望む言葉を告げよう……と、心に決めた。


 彼は、さんざんこき使われたあげく、捨てられたかわいそうな男を装っていた。

 が、本当に捨てられたのは私のほうだ。

 みんな、私を悪い女のようにいうけれど。


 言葉にしたのは私、心がさめたのは向こう……。


 あの日から三ヶ月間、来るはずもない電話をいつも待って膝を抱えて泣いていたことなんか、誰もわからないだろう。

 すべては私がピリオドを打つように、まんまと仕組まれてしまったのだ。

 男は傷ついたふりをして、影でにっこり白い歯を出して笑っている。


 私にとって、男はいつも悪魔だった。


 こんな日だって電話をすれば送ってくれたはず……。

 電話をするのは、楽だからなんかじゃない。

 いつだって、あなたにすがってもいいんだよねって、思っていたかった。

 バスを待つ停留場には、いつも風が吹いていて、いつも私は寒かった。


 でも、彼は来ない。

 これからはどこでも、自分の足で行かなきゃいけないんだ。


 だからスクーターを買った。 

 今、スクーターが私の足だった。

 キュンとスクーターを止めると、メットを抱いて私は走った。


 星の集会の集合時間に、すでに十分遅刻している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る