2:Anastasiya

 目前の男は際立った長身ではないが均整の取れた逞しい肢体と夕日に染まる稲穂色をした髪の男で、深い藍色の瞳が印象的だった。

 夜明け前の最初の光芒、深い夜の闇を切裂き地上に光をもたらす使者の尖兵。男の瞳を例えるならそんな言葉が似合うのではないだろうか。

 エフゲニーと名乗った男は静かに肯きながらわたしの話に聴き入っている。内容は店の店主に話したものと同じで、二度手間では在ったが話さないことには何も始まらない。

 可能な限り客観的に、分かり易いようにわたしは依頼の内容を話して聞かせた。


 グレゴーリィという名の恋人が居る事、その恋人には心臓の病に冒された妹が居る事、彼は妹の薬代のために無茶な仕事を繰り返していた事、漁師であるグレゴーリィが三日前から戻らない事を告げ、彼を探して欲しいと訴える。

 途中何度か質問を交えながら交渉は進み、報酬の話しに入ったところで、わたしは油紙に包まれた古めかしい騎乗刀をカウンターの上においた。


「わたしの父は若い頃に冒険者をしていたらしく、この騎乗刀は父が残したものです。わたしは武器のことはわかりませんが、幼い頃に父が自慢げにわたしに見せてくれた事があります」


 エフゲニーは断ってから油紙を解き、スラリとした騎乗刀を手にとって値踏みするように眺め見ていた。

 蜀台の明かりの中で白銀のきらめきを放つ刀身を丁寧に鑑定していた男は、静かに肯いて口を開いた。


「良い造りですね。銘は打たれていませんが、名のある職人の手によるものでしょう。手入れも行き届いていますしかなりの業物ですよ」


 鞘に収め、元通りに油紙に来るんで固く紐を結びなおす。


「よろしいのですか? お父様の形見なのでしょう?」

「わたしが持っていても剣の価値は判りませんし、父も、価値の判る方に使っていただけるほうが喜ぶと思います」

「分かりました。お引き受けします」


 男は立ち上がるとテーブル席で待っていた三人の仲間たちを呼び、わたしに紹介してくれた。

 一通り挨拶が済むと、店主は今夜は泊まるように進めてくれた。わたしは素直に肯いて鍵を受け取る、一瞬だけヴァレンティンと名乗ったエルフが胡乱げな視線でわたしを見つめたが直に眼をそらす。

   

 翌朝、わたしが身支度を終えて一階に降りてきた頃には四人の冒険者たちはすでに準備を終えてわたしを待っていた。

 早朝にもかかわらず店主は出発するわたしたちのために朝食を用意してくれていた。

 薄く狐色に焼かれた大麦のパンのトースト、カリカリに焼いたベーコンと半熟卵のベーコンエッグ、ポタージュスープ、ヨーグルトを掛けたフルーツサラダ、飲み物はたっぷりとミルクの入った紅茶。

 ありふれたメニューではあるが、店主の優しさが感じられるような暖かな食事を味わいながら朝の時間がゆったりと流れてゆく。


「ああ、それからこれを持って行くといい」


 出発の間際になって、店主が昼食用のサンドウィッチを持たせてくれた。わたしたちは礼を言って受け取ると、店を後にした。

 先頭を歩くのはくすんだ金髪のエフゲニー、柔らかくなめした皮の鎧を身にまとい、狩猟用の大型の弓を左肩に担いで腰には短剣を下げている。

 二人目は赤毛の巨漢のユーリィ、頑丈そうな鎖帷子を着込んで、両手持ちの巨大な大木槌を担いでいる。

 その後にわたしを挟んで、銀髪のエルフ、ヴァレンティンが続く。彼は枯葉色の短衣を着ただけの軽装で、左手でエフゲニーの大型の弓の半分程度の大きさしかない小型の弓を弄んでいた。

 最後尾を歩くのは干草色の髪をしたナターシャ。ニカワで固めた皮鎧を身につけ、左手に小型の盾を持ち、腰に星球棍を括り付けている。

 わたしを護るような隊列を組んだ四人の冒険者たちは、無駄口も聞かずに静かに朝の街道を進む。彼らは口にこそ出さないがグレゴーリィが既に命の無い事を想定し、わたしを気遣ってくれているのだろう。


   


 途中何度か小休止をはさんで歩き続けるとヴォルゲの村が見えてきた。秋の太陽は沈むのが早く、夕日はすでに遠く海の彼方で半分ほど水平線の下に隠れようとしていた。

 夕餉の支度に登る煙突の煙、茜色から紫へ、紫から藍色へと染まりゆく海。静かで穏やかな漁村の光景が広がっていた。


「今夜はもう遅いですし、村で一晩休んでから調査開始でよろしいですか?」


 乾草色の髪と碧玉の瞳の修道騎士が尋ねてきた。丸一日歩き詰めでもあったし、幼さの残る顔に疲労の色がうかがえた。


「そうだな、荷物も置きてぇし」


 夕日を浴びた稲穂色の髪の男が同意する。彼自身はまだ余裕があるのだろうが、左手で短剣の柄を弄びながらエルフの男を気遣わしげに眺めやっている。


「私も、休ませてもらえると有り難いですね」


 さらさらの銀髪と淡い翠色の瞳のエルフが、こちらは疲労困憊といった様子で口を挟んだ。

 それとは正反対に、赤毛の巨漢からは溢れんばかりの生気が漲り、疲労感は感じられない。彼は無言で事の成り行きを見守っている。

 口数の少ない巨人はすぐに調査を始めて欲しいといわれれば、やはり無言でことを始めてくれるだろう。

 依頼人の意向に従う、エフゲニーはそういった。

 彼は優れた狩人だが盗賊としての修練も積んでいるらしく、情報収集や、集めた情報を理論的に取捨選択する能力に長けているらしかった。それゆえに一同の交渉役を務める事になっていた。

 わたしはしばらく思案した後に口を開いた、すぐにでも調査を開始して欲しいが、この暗がりでは彼らも十分には能力は発揮できないだろう。それに、エルフのヴァレンティンは傍目にも辛そうなほどに疲労していた。


「こちらに、雑貨店を兼ねた宿があります」


 わたしは婉曲的な表現で同意を示し、四人の同行者を宿へ案内した。小さな漁村の小さな宿は村の集会所を兼ねる建物で、一階は雑貨店兼食堂、二階が宿泊施設とこの店の店主一家の住居となっている。


「おや、こんな寒村にお客様とは珍しいね。まあどうぞ、汚いところだけどゆっくり休んでおくれ」


 母性を感じさせるふくよかな中年の女性がわたしたちをテーブルに案内してくれた。

 物珍しげにヴァレンティンを見ているのは、おそらくエルフを見るのが初めてだからだろう。銀髪のエルフは慣れているのか平然としていた。


「注文は決まったかい? 久しぶりのお客様だ、サービスするから遠慮なく食べておくれ」

「それでは遠慮なく。海老の塩焼きと、それから……」


 エフゲニーが注文したのは海老の塩焼き、サザエの壷焼き、白身魚のフリッター、蟹の酒蒸し、ムール貝をふんだんに使ったサフランライスなど南部の豊かさを感じさせる魚貝類料理と地酒や葡萄酒、紅茶といった飲み物。

 和気藹々とした食事が一通り済むと、エフゲニーが店主の妻に声を掛けた。


「ところで、この村にグレゴーリィさんという方は居られますか?」

「グレゴーリィ……。かい、居たよ」

「居た?」

「ああ、四、五日前から行方不明なのさ。病弱な妹がいてね、無茶を繰り返すもんだから村の集は心配していたもんさ。案の定、この前朝方ふらっと居なくなったきりさ」

「実は、シビィルスクの遠い親戚から彼宛の手紙を預かっているんですよ。我々はヴァニノを目指していますし、その通り道ですからね」


 さらりと嘘をついた。背負い袋を覗き込むような仕種に不自然さは感じられない。

 “親切な旅の者”を装い、平然と嘘を並べながら、相互に矛盾を感じさせない話術。わたしが村による事に消極的な理由を勘違いしたのか、彼はわたしの名前を出さずとも、必要な情報をあっさりと引き出して見せた。


「そうなのかい、だったらマーシャに渡してやるといい」

「ああ、妹さんですね。マーシャさんはどちらに?」


 店主の妻から家の場所を聞きだすと、


「夜も遅いですから明日の朝にでも伺います、ありがとう」


 とうそぶいて彼は羊皮紙の包みを背負い袋に戻した。後で聞いたのだが、なぜすぐにこの話題を振らないかという問いに彼はこう応えた。

 ――理由はいくつかあるが、まず、武装した男がいきなり村の人間の事を聞いても警戒心が先立つから簡単に村の内部の話は聞き出せない。

 食事をして宿の代金を払えば、オレたちは“客”に成る。そういった交流が、例え短い間でもできれば警戒心が緩むだろう。

 そうすることで、いきなり聞くよりも、有益で詳細な情報が聞きだせるって寸法だ。詐欺師の論理だけどな――

   

 夜が明けた。まぶしい朝日がカーテン越しに室内に充満し、朝の冷気を心地よく払拭してゆく。

 結局昨夜は四人部屋を一つ、二人部屋を一つ借り受け、四人部屋にはエフゲニー、ユーリィ、ヴァレンティンの三人と全員分の荷物を、二人部屋にはわたしとナターシャの二人が泊まった。

 部屋に引き取るなり、エフゲニーは手紙の偽造を始めたらしく、彼の手には羊皮紙の包みに蝋で封印された手紙を右手でそっと掴んで部屋から出てきた。


「手紙?」

「ああ、昨日言っただろ? オレたちはグレゴーリィ宛の手紙を預かってるってな」


 薄く笑うと、彼は手紙の内容をさらっと説明して見せた。実在しない遠い親戚の名前を使い、西方聖教の診療所を兼ねた修道院にマーシャを収容する準備があることを告げる内容だそうだ。

 その修道院は孤児であるナターシャが育った処で、冒険者として独立してからも毎年銀貨二千枚に登る喜捨を彼女は欠かしていないらしい。

 彼女の名前を出せば修道院もマーシャを拒みはしないだろう、エフゲニーはそう語った。


「そこまでしてもらうわけには……」


 わたしは困惑の表情を浮かべる。彼は報酬の騎乗刀を“業物の一品”と評したが、マーシャの治療代まで賄えるほどの価値があるとは思えない。


「どんな病気かはしらねぇけど、重病なら重病なりに、そうでなくてもそれなりに治療は必要だ。治すためには医者も薬も要るだろう、ナターシャはそういうヤツを見て見ぬ振りはできねぇお人好しだからな。オレが彼女の名前を使う事も了承してくれた。オレが手紙を書かなきゃアイツがそうしたさ」


 彼は手紙がなければ怪しまれる、だから偽造しただけだとうそぶいたが、結局は彼自身もお人好しというほかない。

 偽の手紙を書くだけなら当たり障りのない内容で一筆取れば良いだけだし、グレゴーリィに親類が居たところでマーシャの治療費を肩代わりできるほどの裕福な人間は居ないだろう。


「オレたちだってそこまではお人好しじゃねぇさ、グレゴーリィが生きていればヤツに支払わせる、何年掛かってもな。そうじゃないなら、身寄りのない孤児から金をふんだくるほど西方聖教神殿もアクドクはねぇだろ」


 エフゲニーは人が悪そうに笑った。悪人ぶろうとする、そんな笑いを。

 グレゴーリィとマーシャの家は村の外れにある。貧しい漁村の中でもさらにみすぼらしさが感じられる。

 病気の妹を抱えているグレゴーリィは、家に金を掛けるような余裕はなく、最低限の生活費を残してすべてをマーシャの治療費に充てていた。エフゲニーが扉をノックすると、かぼそい声が返ってきた。


「オレたちはシビィルスクの遠い親類からの使いです。手紙を預かってきました」


 部屋に入ると、エフゲニーはもう一度名乗りなおした。

 貴族の姫君に接する忠実な騎士のようにベッドの脇に片膝を付くと、恭しくマーシャに手紙を差し出す。芝居がかってはいるが、そんな仕種も不思議と似合う。


「あの、貴方たちは冒険者の方ですか?」


 手紙を受け取ったマーシャは、エフゲニーを見上げながら尋ねた。エフゲニーは静かに肯く。


「お兄ちゃ、じゃない。兄を探していただけませんか?」

「お兄さんを?」

「はい、兄はあたしの為にすごくガンバってお仕事をしていたんだけ、ですけど。お兄ちゃんは、お兄ちゃんは」


 泣きじゃくるマーシャを慰めながら問答が続く、その内容はわたしが彼らに聞かせたものとほぼ同じで、ナターシャはそこまでする必要があったのかと言わんばかりにエフゲニーを睨め付けて居る。


「お兄ちゃんを助けてくれるなら、これあげる。お母さんの形見だけど、でも、お兄ちゃんのほうが大切だもん!」


 泣きはらした赤い眼を向けながら、マーシャは笑って幼い彼女には少し大きすぎる真珠の指輪を差し出した。


「分かった、お兄さんはオレたちが助けてあげるよ」


 エフゲニーは静かに肯いて指輪を受け取ると、マーシャがしゃくりあげた隙に彼女の枕の下に指輪を戻した。


「約束だからね、絶対絶対約束だからね」

「ああ。約束だ」


 ぽんぽん、っとマーシャの頭を軽く撫でてエフゲニーが立ち上がると。わたしたちを促してマーシャの下を後にした。その顔に新たな決意をあらわにして。


   


 皆を先導するようにわたしが先頭に経つと、さりげなく夕日を浴びた稲穂色の髪の男が海側に並ぶように歩みを進めてきた。

 人の後ろを歩くのは好きじゃねぇと笑うのは、きっと彼の照れ隠しなのだろう。精悍な顔立ちに冷笑を貼り付け、毒舌を吐くこの男の仕種からは仲間たちへの気遣いが垣間見れる。

 潮風の吹きつける街道から離れて十数分、波間の岩場にはサザエやアワビといった貝類、ヒトデやナマコといった海洋性の動物が住み着いている。


「グレゴーリィは、彼は村の掟を破っては漁の合間を縫ってこの辺りでサザエやアワビを獲っていました。ここは波が荒いというのもありますが、海の主との餌場が近く、ヴォルゲでは禁漁区として近づくのを禁じていた場所です」

「海の主?」


 赤毛の巨漢が質問する。わたしは質問に応える事はできなかった、微苦笑を浮かべて小さくかぶりを振る。


「まあいいさ。グレゴーリィがこの辺りで一人で漁をしていたというなら、遺留品があるかもしれねぇ。何れにしろ、ここを探して手がかりがねぇなら、オレたちの手に負えるようなレベルぢゃねぇしな」


 岩場を洗う海水を避けるように乾いた場所を選びながら足を進めると、海食性の洞窟が眼に入ってきた。

 わたしは引き寄せられるように洞窟に向かって行く。そう、そこに彼が居るとでも言うように……。

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