虹色の泪

思井中

1:Evgeni

 柔らかな晩秋の日差しを受けながら、オレは隊列の先頭を歩いていた。オレのすぐ後ろには赤毛の巨漢が続き、四頭立ての荷馬車を挟んで西方聖教の修道騎士、エルフの術法使いが続いて歩てる。

 古ぼけた荷馬車には醸造場から出荷されたばかりの新酒の葡萄酒ヴィノーや、塩漬けのにしん、大麦といった食料品が積み込まれており、オレたち四人はその護衛の仕事を請け負ったてわけだ。


「どーやら……。退屈だけはしなくて済みそうだな」


 口の中で呟きながら、右手の人差し指と小指を立てて後ろに居る連中に襲撃者の存在を知らせた。その間に、肩に括り付けた大型の弓を掴みつつ、左斜め前の茂みを警戒する。

 オレの合図を受けて赤毛の大男が背負っていた大木槌を両手で構える、体格に見合った怪力で振り回される大木槌の破壊力は並みの刀剣を遥かに上回る。

 何しろどんなに頑丈な鎧を着込もうがお構いなし、たとえ鎧は無傷だとしてもその中身は人間である以上衝撃には堪えられるわきゃねぇからな。

 後ろのほうでは修道騎士が御者席に乗っていた依頼主でもある商人を誘導し、術法使いは荷台に飛び乗って広い視界を確保する。


「臆病なオレとしては、身包み置いて命乞いをするのはやぶさかじゃないんだが……。護衛の依頼を受けた以上そーゆー訳にも行かないんでね」


 仲間たちの準備がそろったことを気配で感じ取ったオレは、茂みに潜んでいるであろう山賊に向かってそう言ってやった。

 その台詞を合図に、細い鎖を編み上げた鎖帷子の上から太い鎖を巻きつけてある独特の鎧を着込んだ大男がオレの前に進み出る。

 細い鎖は弓や槍のような突き刺すタイプの武器に対する備えであり、その外側にまきつけた太い鎖は剣や斧のような切るタイプの武器を阻むという寸法。

 獲物はさっき言った通り、両手持ちの特大の大木槌だ。


「俺たちの待ち伏せに気づいたのは褒めてやろう。だが、とっとと逃げ出すんだったな。野郎ども、やっちまえ!」


 茂みの中に潜んでいた山賊の親玉だろうか? 髭面の男が叫ぶと同時に総勢二十人ほどの山賊たちが一斉に群がってきやがった。


「さあ、パーティーやろうぜ!」


 そう言いながらオレは右の太腿に括り付けた矢筒から矢を引き抜くと、大型の弓に矢を番える。

 文字通り矢継ぎ早に狙いも定めずに次々と矢を放って山賊どもを牽制する、その隙にユーリィが冗談じみたサイズの大木槌を構え、最も脚が早く、最も不幸な山賊目掛けて振り下ろした。

   

 どむっ!

   

 カボチャを叩き割るような鈍い音を立てて哀れな山賊のドタマがカチ割られた。あんなモンでドツカれたら、どんなに頑強な人間でも耐えられるわけがない。

 怪力に恐れをなしたのか、はたまた予定通りの行動なのか。赤毛の巨人に向かって行ったのは三、四人ほどで残りの連中はその脇を抜けて荷馬車に向かう。

 その大男を避けたこと自体は間違いじゃないが、戦術的には大失敗であるといわざる負えないだろう。


「大地と共にある我が盟友よ、我が呼び声に応え給え……」


 霊術の素養がないオレにはなんと言ったかは正確にはわからない。だがその直後に起こった現象を見るまでもなく、荷台の上のエルフが精霊に向かって呼びかけたのは間違いない。

 道端に転がっていた無数の石コロが弾け山賊たちに襲い掛かる。無知な山賊どもには、怪奇現象にしか見えないだろうが……、こいつは『石礫の呪文カーミェニ・キダーチ』という名の立派な霊術だ。


「ヤァ!」


 気合の声とともに修道騎士の星球棍が振り下ろされる。こいつは扱いが難しいが、破壊力という点においては、赤毛の大木槌に勝るとも劣らない威力を秘めている武器だ。

 構えた小型の盾を巧みに操り、山賊どもの三日月刀を受け止め、星球棍を振るってなぎ倒す。一見すれば人当たりの良い修道女ではあるが、戦士としての能力は山賊とは比べるまでもねぇな。やっぱり。

 すでに乱戦の様相を呈しているだけに、オレも弓を捨てて腰にぶら下げている短剣を引き抜いた。大型の弓は殺傷力という点では申し分ないのだが、いかんせんデカ過ぎて乱戦向きの武器ぢゃねぇ。


「死ねぇ!」


 山賊どもの一人がオレに向かって切り掛かって来た。まったく、めんどくせぇ……。オレは軽くステップを刻んで山賊の一撃をかわすと、相手の踏み込んできた足を軽く払ってやった。

 たたらを踏んでバランスを保とうとしている山賊に容赦なく短剣を振るって首の

動脈を短剣の切先で正確に引掻いてやる。

 断末魔の悲鳴を上げてのたうち回る山賊を無視してオレは山賊の親玉めがけて走り出す。

 途中で二、三人の山賊と切り結んだが、いずれも三号と打ち合わずに押し退けて前に進む。

 馬鹿正直に全員を倒す必要はねぇ、頭を潰せば後は散り散りに逃げていくのがせいぜいの雑魚どもだ。


「何をやっていやがる。相手はたったの四人だ、囲んじまえばどうにでも成るだろうが!」


 赤毛の巨漢が大木槌を振り下ろすたびに、修道騎士が星球棍を振るうたびに、オレが短剣を閃かせるたびに……確実に数を減らしてゆく部下に業を煮やした山賊の親玉がそう叫んだ。

 確かにその考え方は間違いじゃぁない。一人一人の技術は劣っていても、何倍もの人数で攻めているのだから同時に複数人で切り掛かれば、誰かがぶち殺される間に別の誰かが相手を倒せば良い。

 だが、しかし。

 オレたちだって馬鹿じゃねぇ。複数の連中を相手にする時は常に動きを止めずに走り回り相手を攪乱し、相手の隊列が乱れた所を必殺の一撃で仕留めてやれば良い。

 囲まれて動きを封じられる前に別のポイントに移動し、追いすがる相手を薙倒し、また別のポイントに移動する。それを繰り返し相手に包囲網を完成させないようにしながら、互いに常に仲間のポジションを確認しあい、時に連携を交えて相手を潰す。


 この段階ではすでに術法使いも荷台から飛び降りて白兵戦に参加している。一撃必殺のパワーという点では劣っているが、牽制に専念すれば身軽なエルフである。並の山賊程度では相手になるわけが無い。

 そんな中、オレは包囲網を突破しつつ、左手で投擲剣を引き抜き、すれ違いざまに山賊に叩き付けてやる。振り下ろされる三日月刀を短剣で弾き、横合いの一撃を体を振ってかわし、人波を切り開き、山賊の親玉を目指す。

 オレの背後で鈍い音が短く響いた。おそらくオレを追い回していた山賊を赤毛の戦士が薙倒した音だ。


「さんきゅ。ユーリィ」


 そう言いながら下からの一撃で山賊の三日月刀を跳ね上げ、返す刀で首筋に短剣の柄を叩き込む。ぐらつく相手を押し退けて進路を確保して突っ走る。親玉までの距離は五メートルを切っている。


「てめぇから血祭りに上げてやる!」

「良いから……掛かって来いよ……。それとも……てめぇは口先野郎か?」


 気勢を揚げる親玉に向かって冷淡にそう言い返してやった。とはいえ、ここまで数人の山賊と切り結びながらの全力疾走で多少息が切れ掛かっていたからあまり凄みは効いてねぇが。なさけねぇ。


「なめるな小僧!」


 怒声を揚げながら親玉が切り掛かってくる。例によってステップを刻みながら体をかわし、左足で相手の足を払う。

 が、なかなかどうして。さすがに親玉だけに手下に通用した戦法は通じないらしい。

 くっくっくっ。この程度で終わってもらっちゃぁ、つまんねぇ……。


「どうした小僧。その程度か?」

「別に……脚払いだけが……オレの技って……訳じゃぁねぇ……。……よっと」


 親玉との会話中に後ろに回りこもうとした手下に投擲剣を喰わせてやる。振り向きもぜず、狙ってもいなかったが当ったらしい。親玉の目が驚愕に見開かれる。


「そろそろ飽きた。とっとと終わらせてやる」


 右足を引き体を低く沈ませた体勢を取る、一撃必殺の突きの構え。外せば後がないが当たれば文字通りの一撃必殺、とくおがみやがれ!


 低い体勢から大地を蹴り、一瞬でトップスピードに載せ体ごと短剣を突き上げる。狙いは違わず山賊の親玉の胴を突き刺し、切先は体の向こうにまで突き出ている。


「ぐはぁ」


 親玉は血と共に断末魔を吐き出しつつ、オレの身体にもたれかかる。そこで気を緩めずに、突き刺した親玉の身体ごと振り返った。

 後ろに居やがった手下の一撃は、体勢を入れ替えた為、哀れな親玉は身を挺して敵であるオレを庇うことになった。

 厳つい顔のオッサンに抱きつかれても嬉しくはないが、盾として有効活用するためには致し方ない。

 オレの突きで致命傷だったようにも見えたが、最終的にトドメを刺したのはアンタの手下だから、オレのことは怨まないでくれよ。


「まだるか? いくらでも相手してやるぜ」


 オレは返り血に汚れた顔で、ニヤリと笑いながら手下どもにそう呼びかけてやった。

   

「いやあ、助かったよ」


 戦闘が終わって一段落したころで、依頼主でもある商人が笑いながらそう話しかけてきた。


「仕事だからな」


 修道騎士は死んだ山賊どもを路肩に埋めると、太陽神に祈りの言葉を捧げて跪いている。

 術法使いも何かに祈っていたようだが、神を信じないエルフが何に祈りを捧げたかは判らない。大方、精霊の王にでも祈ったのだろう。

 大木槌使いの戦士は、リュートを爪弾き、鎮魂歌を奏でていた。


「ノーヴガラトについたら官憲に報告しないといけないな。こんなに街の近くで襲われるとは思わなんだよ」

「退屈しのぎには、なったけどな」


 矢筒に残されている矢の数を確認しながら商人の旦那にそう応えた。旦那は不服そうな表情を浮かべたが口に出しては何も言わない。

 まぁ、大事な商品を奪われかけた事を退屈しのぎ扱いでは不満もあるだろうが、そのためにオレたちを雇ったんだろう?


「……この者たちの御霊が安らかたらんことを」


 ナターシャの祝詞が終わった、略式だろうか? いずれにせよ正式な葬儀を行う時間はねぇが。

 路肩の土饅頭には、あいつらの使っていた三日月刀が、墓標の代わりに突立てられている。これは傭兵流の弔い方だ。


「そろそろ行くとするか。あんまりここにいても気分がいいものでもない」

「そうですね」


 旦那の言葉にナターシャが肯いた。確かに土饅頭を眺めていて機嫌が良くなることはありえねぇ。

 晩秋の日差しは西に傾き始めているし、早めに野営のできる場所を探す必要がある。街道沿いに進めば宿場町もあるが、今のロスで日がある内に宿場町につくのは難しくなった。

 無理をすれば辿り着けないこともねぇだろうが、ここまでの旅程で荷馬車を引く馬にも疲れが見えていたし、山賊どもも追っ払ったから、しばらくは襲い掛かってくることもねぇだろうという、計算もある。


「急がねぇと次の宿場町まで進めなくなるぞ。とっとと出発しよう」


 旦那が御者台に戻り、今まで通りオレとユーリィが馬車の前に、ナターシャとヴァレンティンが後ろに続く。

   


 羊肉と玉ネギの串焼き、川魚のフリッター、鶏肉とキノコのシチュー、温野菜のサラダ、鮭とホウレン草のクリームパスタ、マッシュポテト、ライ麦のパン、そして麦酒ピーヴォ

 六人がけのテーブルに並んだ料理と酒の分量は軽く七、八人前はあるが、その半分はオレの胃袋が予約済みだ。

 そうそう、自己紹介が遅れたな。食事をしながら簡単にオレとオレの仲間を紹介しておこう。

 まず、あそこでクリームパスタの大皿を抱え込んでる赤毛の巨漢はユーリィ・ザンギエフ。縦にもデカいが、横にもデカい。

 実際には二メートルは無いが、印象としてはもっとでかく見える。傍目で見れば小柄なオーガーぐらいには見えるんじゃねぇかと思うぐらいなんだけどな。本人には言えねぇが。

 んで、元々はシビィルスクの傭兵隊に所属していたんだが、“ちょっとしたトラブル”があって除隊。そこをオレがスカウトしたってわけだ。巨体に見合った怪力とタフネスを発揮する、オレたちの主戦力だ。

 ちなみに、外見からは想像もつかねぇが、趣味はリュートでこれが玄人裸足の腕ときているから、人は見かけによらねぇ。吟遊詩人としても食っていける程度の腕があるってぇんだからなぁ……。


 二人目はお上品にシチューをすすっている西方聖教の修道騎士、ナターシャ・ダヴィデューク。

 黙って座ってれば貴族の令嬢としても通じるぐらいに整った顔立ちには気品がある。金髪碧眼で、修道院育ちだけあって生真面目で潔癖症。

 んで、その外見を気に入った“る”貴族が妾にしようと、たらし込もうとしたらしいんだが……。相手が悪かったな。修道騎士としての訓練も受けていた彼女に張り倒されちまった。

 彼女にしてみれば自分の操を守っただけなんだが、こっちも別の意味で相手が悪

かった。

 修道院の――言葉は悪りぃが――パトロンを張り倒した以上そのまま修道院に残れるわけも無く、他の修道女たちに迷惑は掛けられねぇと飛び出て来たってわけだ。名目としては修行の旅ってことになってはいるけどな。

 修行中とはいえ、神の奇跡を体現する“法力”の使い手であり、ユーリィほどタフってわけじゃねぇが、無駄のない身のこなしは戦士としてでも十分通用する腕前だ。

 修道院時代には神学も納めていて、オレたちの知恵袋でもある。


 三人目のもそもそ温野菜のサラダを食ってる銀髪のエルフはヴァレンティン。以上……。ってのは冗談で、コイツは二人とは違って人生のドロップアウト組ってわけぢゃねぇ。

 見聞を広めるとエルフの集落を飛び出す若手のエルフって言うのは、どの集落にも一人、二人は居るモンらしいが、コイツもご多分に漏れず見聞を広めようと人間の町に出てきたって寸法だ。

 んで、例によって世間知らずのエルフ様が人間とトラブルを起こし掛けた所をオレが仲介して、そのままなし崩し的に仲間になったというわけだ。

 なんか……冷静に考えてみると……、ロクなヤツらぢゃねぇ……。まぁ、まともなら冒険者なんてやろうとは思わんだろうが……。

 まあ良い。エルフだけあってヴァレンティンは精霊の力を操る、“霊術”の使い手で、弓の扱いにも長けている。まだ上位精霊の力が借りれるわけでもないし、オレのように剛弓を引く力があるわけじゃねぇけどな。


 最後になったが、オレの名はエフゲニー、エフゲニー・プロタソフだ。オレは他のヤツらとは違ってちゃんと目的持って冒険者やってる。別に人生踏み外したわけぢゃねぇ。信じろって。

 オレが生まれたのはシビィルスク北部の、なんつぅかまぁど田舎の寒村だ。地図にも載らねぇぐらいのな。そこで猟師をやってる親父と弟、妹の四人家族。お袋は妹を生んだ時に死んじまった。

 オレの生まれ育った村には、どういう訳か元冒険者の魔導師が住み着いちまったんだ。

 最初は雲散臭さがれてた魔導師の爺さんだが、魔導師だけあって知識は豊富だし、薬学にも通じていたらしくて医者も居ない寒村では結構重宝がられるようになった。

 村人と打ち解けて来れば、子供に文字の読み書きを教えてやってくれとか、ウチの牛の具合が悪いから見てやってくれとかそういう関係になっていったわけだ。

 そんなわけでオレや弟のセルゲイ、妹のイリーナなんかもこの爺さんから文字の読み書きやなんかを習っていたわけだが、この爺さんが言うにはセルゲイには魔導師としての才能があったらしい。

 砂が水を吸うように、爺さんの知識を吸収してった訳だが、爺さんの手持ちの本だの巻物だのには限りがあるし、この才能を伸ばすにはもっと多くの賢者や魔導師の指導を受けたほうが良い。

 そのためには“魔導師の学園”に入学するのが一番だって言うわけだ。

 とはいえ寒村の猟師の家には“魔導師の学園”の就学費用を払う金なんてあるわけがねぇ。莫大な金を稼ぐには、まっとうに働いても埒があかねぇ。

 オレは、コネも権力もない人間が大金を稼ぐ最短の方法を選ばざるを得なかった。即ち、命の保障を売り飛ばしたってわけさ。

 もっとも、オレだって弟の為だけにやってるわけぢゃねぇ。ちっぽけな村で鹿やら猪やらを追い掛け回すよりは、スリリングな人生を送れるわけだしな。何より、今の生活は気に入っている。

   

「ぷはぁ。食った食ったぁ」


 最後の羊肉の一欠けを麦酒で流し込んでオレは満足の溜息と共にそう口にした。テーブルを占拠していた料理はきれいに片付き、後に残されたのは激戦を物語る空皿の山だけだ。


「まったくあきれた食欲ねぇ。それだけ呑み食いして、どうして太らないのかホントに不思議だわ」


 空皿を片付けに来た給仕の娘、オーリャが大きな眼をさらに見開いて感歎する。喋りながらも手際良く皿を片付けテーブルを拭き、デザートやら食後の酒やらを並べてゆく。


「売り上げに協力してやってるんだ、感謝して欲しいぐらいだな」


 陶器のカップになみなみと蒸留酒ヴォッカを注ぎながら応じる。酒と飯の量はドワーフにも負けねぇってのがオレの自慢の一つだ。


「まぁ、それはそうだけどね。エフゲニーが居るのと居ないのじゃ、売り上げがぜんぜん違うもの」


 積み上げられた空皿を抱えるようにしながら、オーリャは振り返りもせずにカウンターの向こうに消えていった。

   

 仕事の打ち上げも兼ねた飲み会もたけなわと成って、ナターシャが席を立とうとした頃、店の扉が音を立てて開かれた。

 店に入ってきたのは二十歳を超えるか超えないかという若い女で、亜麻色の髪を肩の位置で切りそろえ、アーモンド形の琥珀色をした瞳が印象的ななかなかのイイ女だ。

 時刻はすでに夜半を回っている、若い女が一人で出歩くような時間ぢゃねぇ。この店も若い女が一人で入るような小洒落た店ではなく、厳つい男共が出入りするような類のモンだ。


白詰草亭クレーヴェルというのはこのお店ででしょうか?」


 鈴を鳴らすような、そんな形容が似合う涼やかな声が女の口からすべり出た。どうやら仕事の依頼人らしい。


「ああそうだよ、仕事の依頼かい?」


 店主兼シェフ兼バーテンダー兼仲介人であるこの店のマスターが、カウンターの内側でグラスを拭きながら応じた。

 マスターは女のためにグラスに葡萄酒を注ぎながら、親身に話し込んでいる。この席かい内容は聞き取れないが、ワケアリの依頼であることは話を聞くまでもない。

 そうでないなら、若い女がこんな時間にこんな店に足を運ぶわけがない。しばらく話を聞いていたマスターが店に残っている――呑んだくれの――男たちを見回し、……やがてオレたちのテーブルで視線の旅を終えた。

 どーやら、オレたち『名も無き者ニェクトー』をご指名のようだ。

 この店の常連の中で、オレたちの実力は屈指といって良い。そのオレたちを指名したってことはそれなりの難題なんだろう。

 オレは仲間たちを残して席を立つと、カウンターに居る女の隣に腰を下ろした。


 オレたちの中で交渉事はオレの役目だ。口下手なユーリィや世間知らずのヴァレンティンではそもそも交渉にならない。

 西方聖教の修道女ではあるが、ナターシャは根が正直すぎて百戦錬磨の商人やクセのある依頼人相手には役者不足、そーなれば消去法でオレが交渉を担当する事にならざる負えねぇ。


「どうも。ご紹介に預かりました『名も無き者』のエフゲニー……エフゲニー・プロタソフです。よろしく」


 営業スマイルを浮かべて女に自己紹介、女は緊張しているのか短くアナスタシアと名乗った。

 改めて顔を見るとアナスタシアの美しさが良くわかる。化粧っ毛の無い卵形の顔に薄紅色の蠱惑的な唇、すっと通った鼻筋とアーモンド形の双眸は琥珀色、細く整えられた優美な曲線を描く眉が絶妙のバランスで配置されていた。

 スラりとした肢体はスリムではあるが、胸や腰周りといった出るべきところはキチンと出ており、ピッタリとした黒革のパンツがアナスタシアの脚のラインの美しさを強調している。

 商売女のような妖艶さ、貴族の淑女のような気品とは違うが、冬の軒先に延びる美しい氷柱のような危うさを伴う美とでも言おうか。男の保護欲を掻き立てる磁力めいた魅力を持つ女だ。


「詳しい話をお聞かせ願いますか?」


 オレはアナスタシアの魅力を断ち切るように、カップの蒸留酒を呷ってからそう切り出した。われながら声が硬い。

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