未来保険

「ご契約ありがとうございます。早くて明後日には保険金が下りると思いますので是非、ご活用ください」

 セールスマンはそういって玄関の扉を閉めた。

 まさに天の助けだった。職もなく、貯金もなく、カードや家賃の請求書がたまりにたまってもう首を吊って自殺するしかないというところで、あのセールスマンがやってきた。なんでも、契約してすぐに保険金が下りるらしく、それがあれば状況は変わる。

 なんの保険なのか全く聞かなかったが、まあこの状況がしのげるならなんでもいい。明日はこの保険屋に出向く必要があるらしいが面倒くさがりな俺でも手間には感じない。

 その夜は明後日の保険金のことでうきうきして眠れなかった。すべての請求書を支払っても有り余るくらいのおつりがくるのだ。今から何に使うかを考えておかないと。

 次の日、言われた通り保険屋へ向かった。保険屋は駅前の雑居ビルの3階と4階にあった。中に入ると事務の女性や会社員たちが忙しそうに仕事をしていた。すぐに昨日うちに訪ねてきた男がこちらへやってきた。

「今日はわざわざありがとうございます。詳しい話は4階に応接室がありますのでそちらで」

 彼に案内されて上の階に上がった。応接室と掲げられた部屋に入る。中はいたってシンプルな作りだった。目の前のソファーに腰を下ろした。彼は正面のソファーに座り、手に持った封筒の中から書類をあさり始めた。

 書類を探すガサガサという音のほかに、入ってきた扉とは別の給湯室か何かに通じる扉の方から、ぐわぁんぐわぁんという大きな音が聞こえた。洗濯機でもあるのだろうか。彼がテーブルの上に資料を広げた。そして開口一番突拍子もないことを言った。

「今日これからあなたには過去に行ってもらいます」

「へ?」

 あまりにもいきなり言われたので声が裏返った。

「昨日あなた様に加入していただいた保険は、わが社が独自に開発した未来保険という保険なんです」

「よく意味が分からないのですが」

「まあ、無理もありません。実はですね、わが社の優秀な研究者たちがついに世界初の過去へ行くタイムマシーンを開発したのです。それでわが社の社長は思いついたのです。病気や怪我をしてしまった時に、もしあなたが保険に入っていなかったとします。膨大な費用を目の前にしてあなたは思うはずです。あぁ、保険に入っておけばよかったと。そんなときにこの保険の出番です。私どものタイムマシーンを使ってご本人様に過去に行ってもらい過去のご本人様にこの保険に加入してもらうのです」

 まだ頭の中が整理できていない。もしやこれは新手の詐欺なのかもしれない。確かめる必要がある。

「もし仮にそれが本当だとして、なぜ本人でないと?」

「それはあれです。私が過去のお客様にお話をするよりもご本人様でお話しして頂く方がより簡単に納得していただけるのですよ。まあこれだけで信じていただくというのも無理な話です。百聞は一見に如かずです。隣に装置が準備してございます」

 彼はうそを言っていないと思うが、にわかには信じがたい。とりあえず隣の部屋に移動してみることにした。

 隣の部屋に入ると大きな球体の装置があり、大きな音を部屋に響かせていた。床は無数のコードで覆われている。彼が装置の横についている青いボタンを押すと球体が割れ、座席が現れた。

「こちらの座席にお座りください」

 俺は言われたとおりにした。

「では、簡単に説明させていただきます。今回お客様にはお客様の生まれたその日その場所にいっていただきます。そのあとの事は着いてからご説明いたします」

 俺が座席に座ると彼は先ほどの青いボタンを再度押した。座席が動き出し球体の中に入った。球体の割れ目が閉じ目の前が暗くなった。外から声が聞こえた。

「では始めますね」

 まわりの音が徐々に大きくなる。暗闇の奥の方から小さな光がこちらへものすごい速さでやってくる。ひとつ通り過ぎたと思うと次から次にいくつもの光が通り過ぎてていく。ひどく高音の音が辺りに響いている。そして最後に大きな光が近づいてくる。俺は眩しくて目をつむった。

 気が付くとあの音は止み、そのかわり車の通りすぎる音がする。目をあけるとそこには大きな総合病院があった。近くの看板を見る。俺の実家のあった地名を冠した病院の名前が見えた。さっきまで雑居ビルの一室にいたはずなのに、まさか本当に過去に来たのだろうか。

「お待たせしました」

 急に後ろから声を掛けられた。びっくりして振り向くと彼がいた。うちを訪ねてきた時のような見事な営業スマイル。

「ではいきましょう」

 彼について病院へと入った。もし仮にここが俺の生まれた病院なら、幼いころ何かあるとここにお世話になっていたはずだが全く記憶にない。それもそのはずだ。生まれてから少し経った頃に引っ越しをしたと昔両親から聞いたことがある。

 彼がとある病室の前で止まった。ここですと言ってドアをノックすると中から聞き覚えのある声でどうぞと聞こえた。中に入るとベットに座り、俺を愛情いっぱいにだっこする母と、それを傍らで見守る父がいた。二人ともずいぶんと若い。

「どなたでしょうか」

 彼は、ここではなんなのでと言って俺たちを病室の外に連れ出した。待合室のベンチに腰を下ろすとすぐに彼は持ち前のトーク力を発揮し説明し始めた。彼の話を聞き終えると父がこっちを向いた。

「おまえが未来の息子なのか」

 久しぶりに父と話すと思うと妙に緊張する。

「そうです」

「にわかには信じがたいが、この人が言うにはなんだ、怪しそうな保険に加入するそうだが、考え直す気はないのか」

 偉そうに話すところは昔から変わらない。

「未来の私に相談したのか」

「実は…」

 俺は父に今の俺の現状を伝えた。数年前に派手なケンカをしそれ以来、絶縁関係になっていることも。

 それを聞き終えると父はしばらく黙った。そして口を開いた。

「未来にそうなってしまった原因はお前にある」

 その一言を聞いた瞬間、昨日考えに考えた計画がパーになると思い怒りがわいた。せっかくのチャンスが台無しだ。だが父は続けた。

「しかし、こうして時を超えて過去の私に助けを求めるのは私のせいでもある。未来の私がお前に何もしてやらないなら、せめて過去の私が力になってやるのが親心というものだろう。分かった。その保険に加入するのを認めよう」

 俺はうれしさのあまり小さくガッツポーズをきめた。これでいい。これで俺の人生は好転する。その言葉を聞いて彼はすぐに書類を準備し、父に書かせた。その後、病室に戻り小さな俺の手に朱肉をつけ母印を押させた。

 すべてのことが滞りなく終わると、彼は先に帰って手続きをしておきますと言って元の時代に帰った。彼が帰ると俺と小さな俺と両親が残された。俺が帰るまでの短い間俺は母の手を握ってやった。

 ふっと力が抜けた。足元を見ると俺の足が徐々に消えてゆく。

「すまなかったな」

 すべて消える直前父が言った。

「未来の私に代わって謝っておく」

 まったく素直じゃない頑固おやじだ。そして再び目の前が真っ暗になった。未来に帰るまでの間少し考えてみた。余ったお金で久しぶりに実家に帰ろう。それで許してもらえるかわからないが俺から謝ってみよう。行った時と同じように最後に大きな光が目の前を覆った。眩しい。

 くたびれた敷布団からからだを起こす。カーテンのない窓から降り注ぐの光が眩しい。俺は部屋を見渡す。家具はほとんどなく小さなテーブルがひとつあるだけだ。床には様々な請求書が散らばっている。今日は何日だろうか。カレンダーもスマホもテレビもないからそれさえわからない。

 俺は立ち上がり玄関の郵便受けを開けた。たくさんの郵便物がぎゅうぎゅうに押し込められている。なんの郵便物かはわかり切っていたが手に取り確認した。重要なお知らせ、最後通告、未納金のお知らせ、お誕生日おめでとうございます。

 まえに登録したDMからのメッセージで自分の誕生日を知った。そうかそろそろ俺の誕生日か。郵便物を持ったまま布団の上に座りしばらくぼーっとした。

 呼び鈴が鳴り我に返った。ドアに近づきのぞき窓を見ると、笑顔のセールスマンが立っていた。俺はドアを開ける。

「おはようございます」

 俺は挨拶を返さない。

「お迎えに上がりました。今日は腎臓の出荷日です」

 俺は黙って彼について行った。これが俺の生まれてきた意味なのだから。

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