第18話とある昔の出来事

 揺れる汽車の中、私の膝を枕にして弟が寝ている。さっきまでぐずっていたのだが、泣き疲れたのだろう。私は茂助の頭を撫でながら、ここまでの事を思い出す。


 私と茂助の住んでいた村はあまり裕福な村ではなかった。土地は痩せていて作物はちゃんと育たない。なおかつ今年は雨が少なく、例年以上に食べるものに困っていた。


 近くの村に何か分けてもらおうにも、そちらの村も自分たちの食べ物で精一杯なのだ。


 困り果てた村長はついに口減らしをするに至った。


 私と茂助の両親は一年ほど前に事故で亡くなってしまった。行く当てのない私たち姉弟を村長はひきとり育ててくれていた。


 村長はとても心優しく、私たちを本当の子供のようにかわいがってくれた。本当に優しい人なのだ。だから、口減らしをすることになってとても悩んでいた。


 彼には一年間とはいえ私と茂助を育ててくれた恩がある。私はすすんでこの村から出ることに決めたのだ。


 そのことを村長に話すと涙ながらにやめてくれと懇願してきたが、最終的に私の気持ちを汲んでくれた。


 弟は村に残すつもりだったが、茂助も村の状況を幼いながらに理解していたようで、私が村を出ていく当日になり、いきなり旅支度をし一緒についてきてしまった。


 私たちはいくつかの街を訪ね歩いてみたけど、どこも二人一緒に雇ってくれるとこ

ろはなく、風のうわさに聞いた不夜知島という島に行ってみることにした。


 はじめのころは弟も泣かずについてきていたが、村から出てひと月とたった頃には、戻りたい戻りたいとぐずるようになっていた。


 そんな弟をどうにかこうにか説得しながらようやく島の前の村までたどり着き、今こうして汽車に乗ることができたところだ。実のところ私だって村に帰りたい。村長に会いたい。けど、もう戻ることは許されない。


 村に着いた日泊まった宿のおじさんにこんなうわさ話を聞かされた。


 島で暮らすようになったものはもう二度とこちらへは戻ってこれない。戻りたく

ても島の主である金衛門がそれを許してくれないらしいと。だから悪いことはいわないからあの島に行くのはやめておけと忠告された。


 しかし、ここでやめたところで私たちにはいく当てがない。おじさんの心遣いだけありがたくいただいて、それでもあの島に渡ることを伝えた。


 おじさんもそこまで言うならと、汽車の人に話をつけてくれて私たちが安全に島に行けるよう手助けしてくれた。


 どんどんと陸地が遠ざかる。あの噂が嘘でもほんとでもどちらでもいい。私たちはあの島で生きていかなければならないと強く心に誓った。


 島に降りたってすぐ私と茂助は島の光景を見て驚いていてしまった。朱色の大きく立派な門とそれに負けないくらい高い夕焼け色に染まった壁が街を囲っていたのだ。


 それに門の向こう側では煌びやかな街がおいしそうなにおいを漂わせて私たちを待っていた。ここでならご飯に困ることはないし、きっと働くのにも困らない。門の向こうに待つ新しい生活に私はいつの間にか胸を躍らせていた。


 茂助の顔色をうかがってみると、まだ不貞腐れたような顔をしている。


 私は足どりの重い茂助を引きずるように街へと入っていった。


 私は街に入るとすぐ立ち並ぶごはん屋さんにしらみつぶしに入り、そこで雇ってくれないか頼んでみた。しかし、返事はみな同じで金衛門様にまず聞いてみないと分からない。


 そういうことならとその金衛門様とやらのところへ行こうと息巻いてみたが、なにぶん知らない土地で、なおかつ街は迷路のように入り組んでいる。金衛門様の家を探すうちにさっきとはうってかわってひっそりとした平屋の住宅街に迷い込んでしまった。


 急に人気のない静かな場所に怖くなったのか茂助が帰りたい、帰りたいと泣き出してしまった。私だって怖い。つられて泣きそうになるのを我慢しながら当てもなく歩き続けた。


「こんなところでどうしたんだい。」


 急に後ろから声をかけられて。


 びくっと驚きながらも後ろを振り向くとそこには一人の男がいた。手には行灯を持っており、あたたかな灯りに照らされた男の顔はこちらをとても心配している。


「こんな島に迷子なんているわけないし、なにかあったのかい。」


 とても優しい男の声に今まで我慢してきた涙が堰をきったように流れだし、私は弟に負けない勢いで泣き出してしまった。


 男は困ったような顔をして、


「泣いてちゃ何もわかんねえんだけどなあ」


 とつぶやき、私たちの手を引きどこかへ連れて行ってくれた。


 男は私たちが入ってきた門よりも少し小さな門の詰め所に私たちを連れ込み、私の涙が収まるまで居座らせてくれた。


 涙が収まりはじめると、男はどうしてこんなところにいるのかと聞いてきた。私はここに来た経緯をたまにひっくひっくとなりながら教えた。


「そうか、それは大変だったな。しかもこんな小さな弟を連れて、よく頑張った。」


 男はそういって私の頭をその大きな手で撫でてくれた。そのときようやく男の顔をまともに見れた気がする。初老の彼の顔はどことなく村長に似ていた。


「そういえばまだ名前を聞いてなかったな。俺は哲男ってんだ。」


「わたしは澄。こっちは弟の茂助っていうの。」


「澄に茂助だな。よろしくな。」


 男の明るい声にようやく気持ちが収まりだした。そういえば茂助もいつの間にか泣き止んでいる。


「ところで金衛門様に会いたいんだよな。」


 私は黙ってうなずく。


 男が少し困った顔をした。理由はすぐにわかる。


「実はな今、珍しく金衛門様は病気で寝込んでるんだよ。いつも元気なんだけどな、何十年かに一回こんな風になる。だからすぐには会えないかもな。」


 それをきいて少し焦った。しばらく会えないのならその間私たちはどうやって生活すればいいのか。お金だって残りは少ない。


 私の様子をみてなにか察したのか男は少し考えたあとこんな提案をしてくれた。


「もし行くところがないなら、金衛門様がよくなるまで私の家にくるといいよ。」


「けど、哲男さんに迷惑がかかるし、それに私たちもうお金をあんまり持ってないんです。」


「気にするこたぁねえ。これから先お前らは島の住人になるんだ。困った時はお互い様だよ。」


 哲男さんの心強い言葉に私はまた泣きそうになる。私たちは哲男さんの言葉に甘えることにした。


 哲男さんは昔からこの島に住んでいて、門番の仕事をずっと任せられているらしい。金衛門様のことは古くから知っているそうで、私たちが金衛門様のところへ行くときにはついてきてくれるそうだ。


 この島にきて二日がたった。私はせめて哲男さんの役に立てるよう朝ご飯を作ってあげた。朝ご飯といっても哲男さんは夜日が落ちると門へ行き、次の日のお昼近くに帰ってくるのでお昼ごはんというのが正しいかもしれない。


 お台所にあった葉野菜でおひたしとお味噌汁を作ってあげ、哲男さんが寝る前に一緒に食べた。はじめお料理をみたとき何かを気にする素振りをみせたのがきになったが、たぶん私の料理の見栄えが悪かったのかもしれない。


 昼間は哲男さんは相手をしてくれないので、街の道を覚えるために茂助を連れて近くを探検してみた。やはり迷路のようになっていて、この全部を覚えるのは一苦労しそうだ。


 夕方になり、遠くに汽車の煙が見える。あちらが駅の方なのだろう。夜のとばりが下りても駅の方はすこぶる明るい。


 暗くなると哲郎さんの家に帰りおとなしくしている。出歩いたらきっとここへ来

た日のように道に迷うに違いない。そういえばここにきてから茂助は帰りたいと駄々をこねなくなった。きっと優しい哲郎さんのおかげだろう。


 次の日いつものようにお昼ご飯を哲男さんと一緒に食べ辺りの散策に出たとき事件は起こった。いつもは茂助と手をつないで散策していたのだが、その日ばかりは手を放してしまっていた。ふと目を離した途端、茂助の姿はどこにもなかった。


 かくれんぼのつもりだろうと近くを探してみたのだがどうも見つからない。私は徐々に心配になり寝ている哲男さんを起こした。


「何かあったのかい。」


 眠い目をこする哲男さんに私は急いで説明した。


「茂助がどこにもいないの。近くを探してみたのだけれど見つからない。」


 私の震える声をきいて哲男さんは飛び起きた。


「何?本当かい。すぐに探してみよう。」


 哲男さんは勢いよく平屋から出ていった。私ももう一度近くを探すことにした。


 しかし私の方はいくら探しても見つからず、もしかして戻ってきているかもしれないという淡い期待を抱き家へもどってみた。


 家に戻ると、哲男さんが深刻な顔をして私を待っていた。


「もしかしたら門の外へ出てしまったかもしれない。」


 なんでも今日、修理のために門が昼間開けっ放しになっていたそうだ。茂助がスキをみてそこから外へ出た可能性は十分にあり得ると哲男さんは言った。


「じゃあ、今すぐ探しに行きましょう。」


 焦る私をみて哲男さんは少し考える。


「すまない澄。探しに行く前にお前にこのことは伝えておかないといけない。もしかすると最悪の場合、茂助はもう見つからないかもしれない。」


 まさかそんなことを聞かされるとは思わなかった。私はその非常な言葉に涙があふれてきた。


「ひどいわ。なんでそんなこと言うの。」


 泣きながら暴れようとする私を落ち着かせながら哲男さんは島の事、不死草の事を教えてくれた。何が何だか戸惑って私のところに哲男さんはあるものを持ってきた。それは昨日料理に使った野菜だった。


「これが不死草だ。これを食べるとさっき教えたようなことになる。もちろん島からでると死んでしまうんだ。」


 哲男さんの教えてくれたことを理解しようと試みたもののすぐには飲み込めずにいた。しかしこうしてはいられない。もし茂助がこの島を離れることがあれば死んでしまう。このことだけははっきりわかる。


 すぐに哲男さんについて門から街の外へ探しに出た。まずは門の近くを探した。それから竹林のなか、続いて畑の方。どんどん捜索範囲が海の方へ近づくにつれて嫌な予感がつのる。


 とうとう見つからず島の裏手にある船着き場のようなところを最後に探した。やはり弟は見つからなかった。その代わり、一足のわらじと着物が浜に脱ぎ捨てられているのを見つけてしまった。見間違うことはない。茂助のものだ。


 その場で泣き崩れ動こうとしない私を哲郎さんはしばらくそっとしておいてくれたが、日が落ち始めるとわらじと着物を拾い上げ、私を抱きかかえると街へと引き返した。


 その夜哲男さんは仕事の時間になっても私のそばにいて、何も言わずずっと胸を貸してくれた。ふたりで頑張っていこうと思っていた矢先に茂助に先立たれ、ついに一人ぼっちになってしまった。


 茂助の顔が浮かぶたびに涙があふれてくる。こんなにたくさんの涙、どこにしまわれていたのだろう。


 次の日になった。一晩中泣いた目はひどくはれ上がれ、頭のなかはいなくなってしまった弟のことでいっぱいだ。食事ものどを通らない。


 朝になればひょっこり帰ってくるのではないか。着物とわらじが脱ぎ捨ててあったのは近くで水浴びをしていただけなのではないか。そんな儚い願いもむなしく、弟は帰ってこなかった。


 お昼過ぎになってちょっと前に出かけていた哲男さんが戻ってきた。どうやら金衛門様の体調がよくなったらしい。しかしこんな状態で会いにいけるはずがない。


 昨日から寝ていないこともあり私は座りながらうとうとしてしまっていた。突然の戸をたたく音で目が覚める。哲男さんが戸を開けると、若い男の人が哲男さんを呼びに来ていた。


 哲男さんの耳元で男はひそひそ話している。何を話しているかは私には聞こえない。


 一度哲男さんがこちらを見た。それから私にここからどこにも行かないようにとくぎを刺すようにわたしに言って出ていった。


 ひとりになるとまた悲しくて涙がこみあげてくる。けど、どうやら涙が枯れてしまったようで、目の下だけが痛む。


 しばらくして哲男さんが戻ってきた。


「澄、今からお前を外に連れていくけど、覚悟を決めてほしい。」


 哲男さんのその表情に私は覚悟を決めた。もしそこに弟の死体があっても泣かないと。


 哲男さんは私を裏門に連れて行った。そこには見たことのない若い男が、ぐたっと力尽きた青年をおぶって立っていた。青年の顔はよく見えないがその雰囲気にどこか見覚えがある。


「寛治さん、どうも。」


 哲男さんがあいさつする。


「その子がそうですか。」


 哲男さんの質問に寛治さんという人がうなずいた。


 すぐに哲男さんは寛治さんをつれて平屋に戻りおぶっていた青年を布団の上に寝かせた。


 私はようやく見えた顔をみて驚いた。どことなく茂助の面影がる。


 寛治さんはその青年を見つけた経緯を話してくれた。


「この間から金衛門さんが寝込んでいると聞きまして、今日はその見舞いにと島に来たんです。そしたら島に来る途中この子が海の真ん中で大きな浮につかまって漂っているのを見つけたんですよ。まさかとは思ったんですがどうも気になって島まで連れてきたんですよ。」


「寛治さんいつもありがとうございます。島主様はおかげさまで回復しました。後で顔を見せてあげてください。それよりも、この子なんですが、どうやらこの子の弟に間違いないようです。」


 その言葉に耳を疑った。たしかに弟にそっくりだが、人違いだと思う。茂助は私の五つ年下だ。どう見てもこの青年は私よりも一回り大きい。


「どうしてこんなことに。」


 混乱する私を置いてけぼりにして二人は続ける。


「実はですね、この子たちはまだあれをのんでないんです。」


「あれとは種の事ですか。」


「はい。」


「それなら蒸発していない点は合点がいきます。しかし、先程の話だとまだこの子は幼いはず。それなのに今この子の見た目ははたちかそのあたりにみえますよ。」


「もしかしたら…」


 哲男さんはその言葉を最後にしばらく何かを考えていた。


「この子たちは少しだけ不死草と食べたのですが、もしかしたらそれの影響で。」


 哲男さんは絞り出すような声で言った。


「なるほど。副作用は出たが、死ぬまでには至らなかったと。」


 寛治さんは何かに納得していた。


「これは金衛門様に報告するべきですかね。」


 寛治さんは哲男さんに聞いた。


「するべきだと思うのですが、報告したところでただでは済まないかもしれないですね。」


 その時、気を失っていた青年がうなされるように呟いた。


「哲男さん、ごめんなさい。お姉ちゃん、ごめんなさい。」


 その声をきいて私のまぶたから枯れていたはずの涙があふれだした。声がわりをして少し低くなっていたが、その声には聞き覚えがあった。間違いない。茂助だ。


「お願いします。このことはどうか秘密にしてください。」


 私は何も考えることなく反射的に二人にお願いしていた。


「茂助がいなくなったら、私、一人ぼっちになっちゃいます。たった一人の弟なんです。」


 私は床に顔をこすりつけるようにお願いをした。目の前にまで床が迫っている。鼻はすでに床につきつぶれている。


 しばらく無言に時間が続いた。そして哲男さんが分かったと一言だけ言った。


 その後、大きくなった茂助を引き取り、茂助が良くなるまで看病してあげた。


 数日後、目を覚ました茂助は泣きながら私たちに謝ってきた。幼いながらも取り返しのつかないことをしてしまったことに気づいていたらしい。


 私は金衛門様に嘘をつくために茂助と口裏を合わせた。茂助は私の弟ではなく兄で、兄に連れられここまでやってきたと。


 茂助は不思議なことに中身まで成長してしまったようで、すんなりとそのことを受け入れてくれた。


 いよいよ金衛門様のところへ行く日になった。


 哲郎さんと一緒に金衛門邸に行く。その道中三人で口裏合わせを念入りに行った。しかし、ついてみたらあっけないことに何も聞かれず、私は金衛門邸で女中に、茂助は自警団の団員になることが決まった。


 それから話にきいていた白い種のような薬を飲まされ帰された。拍子抜けもいいところだ。


 次の日から私は金衛門邸で暮らすことになり、茂助とはたまに顔を合わす程度になってしまった。最初のころは仕事を覚えるのに必死で気がつかなかったが、茂助の体つきは日に日によくなっていく。そしてどのくらいの月日が流れたか覚えていないが、いつしか茂助は自警団長に就任していた。


 弟の立派な姿はとても誇らしく思えたが、姿は何年もたったはずなのに変わりない。私も同じだ。たまに鏡を見ることがあったが、十年たってもその変化はとても穏やかだった。


 いつからか私は年老いないことに寂しさを感じるようなっていた。

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