第17話思わぬ助け。思い慕う心。

  地下牢の床の冷たさを感じながら僕はいろいろと考えを巡らせていた。金衛門は薬の副作用でこの島から出ることができない。そして、この島の住人は例外なく島に来た時に薬を飲む。もちろん僕らが連れてきた遊女も同じだ。


 つまり、お菊ちゃんも薬を飲んだに違いない。


 金衛門の話が本当なら、お菊ちゃんをこの島から連れ出した瞬間もとの時の流れに引き戻され、これまでの代償を支払うことになる。しかもお菊ちゃん自身が望んだわけではないのにだ。


 それに今の自分だって同じ状況だ。不死草の葉を食べてしまった今、僕の周りを取り囲む時の流れはすでに変わってしまっているに違いないのだろう。どうにかして牢から逃げ出て、ひとり村に帰ろうとしたところでこの島からでた瞬間死んでしまうかもしれない。


 死んでしまうくらいならこの牢で一生暮らすのも悪くないかもしれない。金衛門だって本当は優しいのを僕は知っている。ほとぼりが冷めたころになって島から出ないことを条件に牢の外で生活させてくれるかもしれない。


 この島には働き口なんていっぱいある。昨日行ったあの麦酒の店で見習いとして雇ってもらえないだろうか。たまに喜助にも会えるかもしれない。


 そうだ。この際、金鶴楼で下男として雇ってもらえばいいじゃないか。そうすればずっとお菊ちゃんのそばにいられる。お菊ちゃんとの約束は守れないけど、ずっと一緒にいられるのならそれでもいいかもしれない。


 それに周囲の許しさえ得られれば、島のなかでお菊ちゃんと家庭を築くことだってできるかもしれない。


 そうやってこの島ではじまるかもしれない明るい未来を一生懸命思い描こうとしてみたが、すぐに牢の床に冷やされ消えてゆく。それに楽しいことを想像しようとするとどうしても思い浮かんでしまうのだ。


 何も知らせず島の住人になってしまった僕を父さんはどう思うだろうか。


 家に帰れなくなってしまった僕のことをきいて母さんはひどく悲しむに違いない。


 そして両親のもとを勝手に離れ、島のなかで気ままに暮らす僕をみて喜助はどう思うだろうか。きっと僕を軽蔑するに決まっている。


 このままではいけないとどこかで思いつつも、どうすることもできない自分にすこぶる腹が立つ。いつの間にか複雑な状況に巻き込まれた自分が不憫で仕方ない。そして何よりも、自分勝手な事情にこんなにもたくさんの人を不幸にした金衛門が憎くてしょうがなかった。


 ドンドンと地下牢の間に入る扉が音をたてた。牢番の男が扉に近づき誰だと尋ねる。


「ご飯をお持ちしました。」


 女の人の声が牢に響く。


「よし、入れ。」


 扉の開く音が聞こえ、おそらく一人女の人が入ってきた。ここからはその姿を確認できなかった。牢番と女の人の会話が聞こえてくる。


「ここは夏でも冷えます。温かいお茶とおにぎりをお持ちしました。」


 その澄んだ声は固く冷たい牢のなかでもよく弾んで聞こえる。


「気が利くな。」


「よければ牢のなかの子にもおすそ分けしても。」


「おう、もちろんいいぞ。金衛門様のお知り合いらしいからな。こんなところに入

れられてはいるが、体を壊されると金衛門様も悲しむ。」


 牢番の男がそういうと、足音がこちらへと近づいてくる。僕の牢の前で立ち止ま

ったのでそちらを確認した。かがり火に照らされたその顔をみて僕はドキッとしてしまった。そこには澄さんが笑みを浮かべて立っているのだ。


 僕は澄さんの方へ近づいていった。


 澄さんは持っていたお盆を檻の目の前に優しく置く。そして、冗談めかして


「あら、徳ちゃん久しぶりね。」


 と言った。


 澄さんにこんな姿をみられてしまいとても恥ずかしい。


「どうも澄さん。ご飯、持ってきてくださってありがとうございます。」


 こんな姿を長く見られたくなかったので僕は少しぶっきらぼうにそれでいてこの

床のように冷たく反応した。


「そんなによそよそしくしないでよ。いつもみたくすーちゃんって呼んでよね、とっくん。」


 澄さんはいつもとは違い猫なで声でそういった。それをきいた牢番はくすくす笑っている。僕は違った意味で顔を赤らめ、


「いつもそんな風には呼んでないです。」


 と勢いよく言った。


「ふふ、ちょっとは元気になったかしら。」


 澄さんはいつもの声に戻した。僕を元気づけるために澄さんは芝居をうったみた

いだ。


「ありがと、澄さん。少しだけ元気出たよ。」


「それはよかったわ。何か困ったこととかないかしら。」


 姉のように気をつかう澄さんに僕は首を振った。


「困ってることはたくさんあるけど、今はどうすることもできないよ。気をつかってくれてありがとう。」


 それをきいて澄さんはちょっぴり残念そうな顔をした。それから澄さんは牢番に促されもときた扉の方へ歩いて行った。


「そうそう、徳ちゃん。金衛門様が心配するからちゃんと持ってきたもの食べるの

よ。特におにぎりは元気が出るから残さず食べてね。元気が出るように塩と私の愛情がたくさん入った澄ちゃん特製おにぎりなんですから。」


 澄さんはそういって地下牢の間から出ていった。今度澄さんに会えることがあればきちんとお礼を言わなければならない。


 檻の前に置いてあるお盆に近づきおにぎりを一つ手に取る。まだ温かみをおびたおにぎりが冷えた体に優しく熱を分けてくれる。


 一口ほおばると塩気が効いていて疲れが一気に吹き飛ぶようだ。意識はしていなかったが怒涛の出来事に心身ともに疲れているらしい。


 もう一口。今度は大きめな一口でおにぎりをほおばる。具はおかかのおかかのような触感だ。いや、おかかというよりも紙に近い。なんだろうこれ。僕は口の中の違和感の種を取り出してみた。


 そこには小さく丸められた紙があった。くるくると広げ中を確認する。ちいさな可愛らしい文字で1時間後また来るわと書かれていた。


 おそらく手紙の送り主は澄さんで間違いないだろうが一時間後にまた来るとはど

ういった要件なのだろうか。僕は紙をそっと胸にしまい、残りのおにぎりとお茶を流し込んだ。


 異変に気付いたのはまだ一時間も経っていないころだった。暗闇の向こうにいる看守の息づかいが何だかおかしい。一定の間隔で大きく呼吸している。まるでそれは寝息のようだ。


 すぐにそれは確信に変わる。看守はのん気にいびきをかきはじめたのだ。牢番のくせに緊張感のない人だと僕は思ったがこの後の出来事で僕はこの事態を理解した。


 扉が開く音がする。誰か来た。澄さんだろうか。しかし、いっこうに牢番は起きる様子がない。これほどまでに堂々とした音がしたのにも関わらず、相変わらずいびきをかいている。


 暗闇から誰かこちらに来る。影がはれるとやはり澄さんがそこにはいた。しかもその手には鍵のようなものを携えている。


「澄さん、どうしたの。」


 澄さんは何も言わず牢の鍵をあけた。


「徳ちゃん、一緒においで。ここから出してあげる。」


 僕はためらった。金衛門をこれ以上怒らせたくないし、それにここから出たところで僕には何もできない。


「大丈夫。私を信じて。薬の事も心配しなくていいのよ。」


 僕は驚いた。澄さんのいいようからしてどうも澄さんも島の秘密を知っている一人らしい。


 僕は澄さんの言葉に従い牢から出た。


「澄さん、これからどうするの。」


「しっ。話はあとよ。今は黙って私についてきてちょうだい。」


 澄さんに連れられ地下牢の間を抜ける。


 どうしたことか金衛門邸のなかは妙にあわただしかった。廊下のあちこちでどた

どた足音を立てて走り回っている。


「あいつらは見つかりましたか。」


「いいえ、お台所にはいませんでした。」


「では、奥座敷の方を。」


 そんな話声がどこからともなく聞こえてくる。


 澄さんは人目を避けながら移動し、中庭の岩陰に身を潜めた。


 岩の向こうで事を知った。


「勘兵衛たちめ、どうやって牢から逃げ出した。」


「どうやら牢番が薬を盛られて眠りこけていたらしぞ。」


「なんたることか。して、金衛門様は。」


「茂助をつれ街の方へ探しに行ったらしいぞ。」


「そうか。まだ屋敷内にかくれてないとよいが。」


 どうやら勘兵衛たちも逃げ出したらしい。それに僕が逃げ出したことはまだ知られてないらしい。


 澄さんに事情をきくとやっと話してくれた。


「澄さん、これはどういうこと。」


「私が勘兵衛たちを逃がしたの。」


「なんでそんな危ないことを。」


「徳ちゃんの為よ。金衛門様ったら徳ちゃんを殺すおつもりなのよ。」

 その言葉に僕は冷静さを保てなかった。


「どうして。」


「生かしておいて島に住まわせても不都合が多いからって、勘兵衛たちと一緒に…」


 澄さんは続きをはっきりとは言わなかった。


 これからどうすればと僕はぼそっと呟いた。


「大丈夫。安心して。私が何とかする。勘兵衛たちならまだしも徳ちゃんだけなら

この島から出られるわ。」


「でも、島から離れたら僕は死んでしまうんじゃ。」


「徳ちゃんなら死なないわ。その代わり、今までの徳ちゃんじゃいられなくな

る。」


「どういう意味。」


「徳ちゃんは私の弟にあったでしょ。」


 そういわれたが心当たりがない。


「弟は茂助といってこの街の自警団の長をしているわ。」


 それをきいて驚いた。あの男は澄さんの弟だったのか。しかし、どうもそれはおかしい。明らかに弟の茂助さんのほうが歳がいってるようにみえる。


「弟はわたしとここに来たばかりのころ私たちの故郷の事が忘れられず、この島から

逃げ出したことがあるの。」


 それをきいて何となく想像ができた。


「幸運なことに島の潮からは出られたのだけれど、副作用が出て弟の急激な老化がはじまってしまった。幼い弟はそれに耐えきれず気を失ってしまったらしいのだけど、来たばかりでまだ種自体を金衛門様にもらう前のことだったから死ぬには至らなかったわ。海の上で漂流しているところを寛治様に見つけていただいてここへ戻てくることができた。島から出る前は私の五つ下だったのだけれど、戻ってきた弟は私よりもひとまわり年上のようになっていたわ。」


 そういうことだろうと思っていた。


「金衛門様はそのことを知らないの。だから少し不死草の葉を食べただけの徳ちゃんも殺そうなんて考えたの。でもこのことを金衛門様に話したら弟は殺されてしまうわ。」


 澄さんは今にも泣き出しそうだ。僕は気をきかせてそっと澄さんを抱きしめてあげた。


「ありがとう。徳ちゃん。徳ちゃんはいつの間にかこんなにも成長したんだね。」


 澄さんが顔をあげ僕を見つめる。


「私ね徳ちゃんのこと弟のように思ってるけど、それ以上に徳ちゃんの事大好きだっ

たの。私たちにはもう届かない外の世界でどんどん成長していく徳ちゃんが羨ましくってしょうがなかった。叶わぬ夢だと知ってても、あなたと一緒に暮らせればどんなに幸せかいつも思っていたわ。だから徳ちゃんが私の事を思い慕ってくれているって気づいたとき、とっても嬉しかったの。今日弟から徳ちゃんが捕まったって聞いた時、何とかして逃がしてあげなきゃって思ったの。」


 澄さんの目から涙があふれる。震える声で澄さんは続けた。


「けど、徳ちゃんと牢であった時、私は気づいてしまった。あなたは私以外の誰かの事を必死で考えていたわ。その時気づいたの。もう徳ちゃんは私だけのものじゃなくなってしまったと。けど、徳ちゃんを逃がしてあげたいって気持ちに変わりはなかったわ。」


 もう一度澄さんは僕の胸に顔をうずめた。


「徳ちゃん。お願い。どうか逃げて。逃げて、逃げて、私の分まで幸せになって。」


 こんな時なんと声をかければいいか僕にはわからない。


 しばらく澄さんは僕の胸の中で泣き続けたが、落ち着きを取りもどし、また元の笑顔の素敵な澄さんに戻った。


 それから中庭の隅にある。小さな潜戸に僕を案内した。


「ここから徳ちゃんは街に逃げ出してちょうだい。それと、弟から伝言。喜助君があなたを探しているらしいわ。うまく会えるといいわね。」


 澄さんは潜戸をあけ、僕を外に押し出した。お礼を言わなくちゃと僕は振り返る。その瞬間、澄さんの柔らかくて温かい唇が僕の唇に触れていた。澄さんの涙の味がした。そして何も言わず、いや何も言えず、澄さんは潜戸の向こうへ消えた。


 こんなにも優しい口づけをしてくれたのは島に来て二人目だった。

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