第11話約束の重み

 目が覚めた。部屋の窓から外の薄明かりが差し込んでいる。いつもとは違う布団の香り。両隣から二つ寝息が聞こえる。


 昨日の晩、おりんさんの言葉に甘えてここに泊まらせてもらった。ここはおりんさんの住んでる部屋だと聞いた。そして、その隣がお菊ちゃんの部屋らしい。ここに泊まることが決まって、おりんさんは変な気を利かせたようだ。あまり広くないこの部屋に布団を二つ少しの隙間もなくくっつけて敷いていた。


 おりんさんは隣の部屋で寝るからあとは二人でゆっくりしなと言ったが流石にそれは恥ずかしくせめて部屋を仕切る襖をあけたままにしてもらった。


 隣の布団を見るとお菊ちゃんが寝ている。昔と違ってその目に涙はない。


 昨晩の事を思い出す。昨晩おりんさんはこの島に来てからのことを教えてくれた。はじめおりんさんはお菊ちゃんを金衛門邸の女中にしてほしいとお願いしたが、少し前に新しい女中を取ったばかりで、手も足りており断られたそうだ。


 仕方なく自分の小間使いとして一緒に遊郭で働き始めたそうだ。もとの顔のつく

りのいいおりんさんはすぐにこの街でも人気の花魁になったそうだ。


 一方のお菊ちゃんは慣れない環境やせっかく仲良くなった僕と離れ離れになり寂しさのあまり初めのころはふさぎ込んでいたらしい。


 しかしここで生きていくにはおりんさんに頼るだけではなく自分で働かなくてはいかないと腹をくくり一生懸命お店やおりんさんの手伝いをし始めたそうだ。


 ほんとかどうかは知らないが、おりんさんがお菊ちゃんは何か辛いことがあるといつも僕が絶対に迎えに来てくれると自分自身を励ましていたと笑いながらいっていた。その時お菊ちゃんは恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になっていた。お菊ちゃんと一緒に恥ずかしがりながら、僕はなぜこんなに大切な約束を今まで忘れていたのかと自責の念に駆られた。


 僕も二人にいろんな話をした。これから本格的に仕事を手伝うこと、今日なんでこの島にいるのかということ、親友の喜助のこと、そんなことを話しているうちお菊ちゃんはどうやら僕が迎えに来たわけではないということに気がついてしまった。そのことに少し腹をたてたのか彼女は両頬を膨らませて拗ねてしまった。


 布団を頭からかぶり


「先に寝る。」


 といって狸寝入りをはじめたお菊ちゃんをしり目におりんさんはこれからのことを僕に聞かせてくれた。


「徳坊や、お前さんのお菊を迎えに来てくれるって約束はこの子にとって心の支えだったんだよ。辛いことも悲しいこともその言葉のおかげで乗り越えてこれたんだ。この子を守ってくれてほんとにありがとね。」


「でも今は失望させてしまったみたいだね。」


「そんなことないさ。きっと今も布団の中で照れ笑いしてるよ。」


 丸く盛り上がった掛布団がゆさゆさと揺れた。


「でもね徳坊、もし本当にこの子を迎えに来ようとおもってるならなるべく早くおしね。番頭さんからね、この子を座敷にあげないかと誘いがきてんだよ。この子もいい年だし、親に似て可愛らしい顔をしてるから案外この店のお客さんに人気なんだよ。あの子が客を取りはじめたら、迎えに来ようたって簡単にはいかなくなる。半分親心でこの子を座敷にあげるのを反対はしちゃいるが、拾ってくれたこの街には恩がある。いつまでも我が儘は言ってられないよ。」


 おりんさんの言葉が僕の心に重くのしかかった。


 その後おりんさんは少し用事があると部屋を出ていった。僕は布団の上に横にな

って考えてみた。


「ねえ徳ちゃん。」


 布団の中からお菊ちゃんのこもった声が聞こえた。


「前みたいに手、握っちゃだめかな。」


 見ると手が布団から伸びていた。


「いいよ。」


 ふがいない自分が今できる精一杯の事をしてあげようと僕は彼女の手を優しく握ってあげた。お菊ちゃんの手は小さくとても冷たかった。対して僕の手は熱を帯びていて熱かった。手を握っているとおたがいの体温が絡み合いじきにちょうどいい温度に落ち着いていった。


「おはよう、徳ちゃん。」


 その声でいまに引き戻された。目が覚めたお菊ちゃんが起き抜けのふわりとした

笑顔でこちらを見ている。


「おはよ。」


「もしかしてもう行っちゃうの。」


「うん。そろそろ終電だし、それに喜助が僕を探してるはずだから。」


「そっか。じゃあ絶対また来てね。」


「もちろんまた来るよ。」


「約束だから。」


「うん。約束。」


 それから僕はおりんさんによろしく伝えてほしいとお願いすると布団をその場で

たたみ部屋を後にした。


 離れの廊下をおなるべく音をたてないように歩く。ところどころ襖の隙間から明かりが漏れいたが、どの部屋の住人もつかれているのか物音ひとつ聞こえない。


 離れと妓楼を結ぶ渡り廊下を歩く。朝方の空気が爽やかだ。僕が入ってきた庭は昨日の晩とはまた違った趣を漂わせていた。


 チャポンと池の鯉が跳ねる。昨日の街の喧騒は何処へやら、建物に響くのは落ち着いて歩く足音や、食器を片す小さな音ばかりだ。


 妓楼の一階をうろうろし、どこだか知れない出口を探り当てるまでに仕事を終えたばかりの遊女たち何人かとすれ違った。みな、すこしものめずらしそうにぼくを目で追ったが、僕に声をかける人は誰もいない。


 ようやく大きく開いた土間を見つけた。そこから外へ出る時に掃き掃除をしていた下郎に会釈された。僕は歩きながら会釈をかえした。たしか昨日おりんさんの部屋に来た下郎だった。


 外の通りにでるとまわりにも同じように大きく構えた妓楼がいくつも並んでいた。後ろをふりかえりおりんさんたちの妓楼を確認する。明かりの消えた提灯には金鶴楼と書かれていた。僕はそれを記憶する。絶対に忘れないように。


 左手を見ると行き止まりが見え、右手を見ると仕切りのようなものが見え神社の鳥居のような門が立っているのが見えた。僕はそちらへ向かって歩き出した。


 街に出るとあたりは薄明るくなっていた。人通りは夜にくらべ少なく、たまに泥酔した男が隅で横になっており、それを友人かだれか起こし上げようと必死だ。それをしり目に僕は道を急ぐ。


 約束の時間までまだ余裕はあるはずだが、いかんせん道がわからない。勘を頼りに歩いていると十字路に突き当たった。どちらへ行くと駅に出るだろうか。


「おい。」


 そう誰かに呼ばれたと思う。僕が振り向こうとしたときには頭に激痛が走りその場に倒れてしまった。誰かに担がれ運ばれる。僕の意識は徐々に遠のいていった。

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