第6話潜入そして少年たちは夜の街へ
それから数日が過ぎ、いよいよ決行日前日になった。僕らはもう一度秘密の場所にあつまり明日の流れを確認していた。
「とりあえず親たちには春眠亭に泊まりに行くと伝えて、夕方の始発に潜り込む。その後、島の駅に着いたら解散し、おのおの朝の最終まで好きに街で過ごす。帰りは隠れる必要もないからそのまま汽車に乗り、それから、春眠亭に再集合し成果を報告しあう。流れは大丈夫だな。」
健がそういって僕たちの顔をみた。島から帰ってきたその日は春眠亭に泊まり島でどんな夜を過ごしたか報告しあう予定になっていた。彼の言う成果というのは、島で酒を飲んだとか、賭場に入ったとかそういったことを指しているのだが、なかでもこの度胸試しの時に、島の女性と一夜を過ごすと、今後仕事や子宝に恵まれるという言い伝えがあった。
毎年これを達成すべく多くの少年たちが勇気を振り絞り島の花街へ潜り込もうとするのだが、大抵は途中で引き返したり、見張りの男たちに見つかり追い出される。ここ数年でそれを達成し村に戻ってきたのものはいないと聞いている。
明日のためにと健は会議を切り上げ、解散し皆それぞれの家路についた。さすがの喜助も少し緊張しているようにみえ、僕に一言
「じゃあ、また明日。」
といって駅の方に帰っていった。
家に帰ると、すでに夕食が出来上がっていた。僕の家の夕食は決まって魚が主菜だった。しかし今日は違った。食卓にはあまり登場しない柄のどんぶりが置かれていた。先に一人で食卓に座り家族がそろうのを待った。そのうち、父が帰宅しすぐに食卓へ座った。
どんぶりの蓋を開けると中から湯気と共に食欲をそそるだしとみりんの香りが鼻の奥に広がった。のちに不夜知島でこの料理名がかつ丼と呼ばれるものだと知った。
今夜の母はなんだかそわそわしており、しきりに今日は早く寝なさいと言ってきた。お風呂の後、言われた通りすぐに布団に入ることにした。どうやら、明日あの島に渡ることはばれているようすだ。今日は緊張で眠れないだろうと思っていたがそんなことはなく、僕は意外とすぐに眠りについた。
島の夢を見た。僕の隣に女の人が座っている。顔ははっきりしないが金衛門の屋敷の中庭のように見えたから、おそらく澄さんなのだろう。彼女は僕の手を握りしめしきりに何か伝えていたが、朝目が覚めると夢の中で何を聞いたかすっかり忘れていた。
布団から体を起こすと、枕元に封筒がおいてあり、父の字で何かあれば使いなさいと書かれていた。開けると中にはおそらく島で一夜を過ごすのに十分なお金が入っていた。
居間に行くといつも通り、母が朝ご飯の準備をしていた。みそ汁とごはんをお盆にのせ、台所から出てきた。食卓に朝ご飯が並び終わるころに、父が外の倉庫から戻ってきた。手には、船の整備のための道具箱があった。
ご飯を食べた後僕はお昼過ぎまで、父の船の整備の手伝いをした。その間父とは整備のこと以外話をしなかった。もちろん、あの封筒の事も聞かなかった。そのことを直接父に聞くのは少し気恥ずかしかったのだ。
客室の掃除をし、備品の在庫確認をし終わるころには駅に向かう時間になっていた。僕は父に適当な事を言って、手伝いを切り上げようとした。父は船首で縄の取り換えをしていた。
「そろそろ約束の時間だから、先に家に帰るね。」
父は何も言わず、手を挙げた。
船から下船し、家の方に歩き始めると名前を呼ばれた気がした。振り返ると、船
の上で父がこっちを向いて立っていた。
「がんばれよ。」
それだけ言うとと、父は作業に戻った。
父にそんなことを言われるとは思っていなかった。やはり気恥ずかしかった。僕は父の柄にもない言葉に顔がにやけそうになるのを我慢しながら、家には戻らず途中に隠しておいた荷物を取りそのまま春眠亭へ急いだ。
約束の時間よりも少し早く春眠亭に着いたが、喜助はもちろんのことほかの6人はすでに宿の部屋にいた。部屋に入ると先についていたみんなが一斉にこっちを向いた。
「遅いぞ、徳。」
喜助は少し怒っていた。
話を聞くと実はみんな、1時間も前に自然と春眠亭に集まっていたらしく、僕が来るのを待ちくたびれていたそうだ。
持ってきた荷物をおくと一息つく間もなく駅へと向かった。駅は春眠亭から目と鼻の先にあった。始発までまだ時間があったが駅にはすでに汽車が止まっており、汽車の整備士たちが車輪などの点検をしているのが見えた。
汽車に乗るにはまず駅の入り口の窓口に並んで運賃を先払いする必要があった。4つある窓口には、この時間すでにかなりの人数が並んでいた。今日はあそこへ行こうなどと互いに談笑している。僕らはその列を横目に駅舎を通り過ぎた。
しばらく歩き汽車の貨物倉庫の辺りで足を止めた。左手に立ち入り禁止の立て看板が立っておりその横に一人の男が立っていた。
男は今回参加する喜助と僕を抜いたほかの6人うちの1人の兄だそうで、今回忍び込む貨物室への手引きをしてくれる手はずになっていた。
男について立ち入り禁止区域内を歩いていく。まわりにはこれから汽車に積む予定の食料品や生活用品の入った大きな木箱が何個も置いてあった。
島では野菜の栽培や家畜の飼育を一切していないので、食料品類はこの汽車に乗って島に届けられる。もちろん、生活必需品もだ。僕らは大きな木箱の山の脇をすり抜け汽車の方へ向かった。
僕らは汽車の最後尾に着いたが、男は歩みを止めなかった。しばらく車両沿いに歩きいくつかの車両を通り過ぎ、貨物車両の一番先頭に着くと男はそこで歩みを止めた。ここから先は客車になっている。
車両横の扉を開けると
「ここが君たちに乗ってもらう車両だよ。中の荷物は高級なたばこの葉やお酒が積まれているから、勝手に触っちゃだめだよ。ちなみにこの車両の中には島だけに許されている嗜好品とかもあるから、扉はかなり厳重に施錠される。むこうに着くまでに誰かがこの車両を開けて確認することはないから安心してね。むこうに着いたら、世話役の男が来るはずだから、彼が来るまでは息を殺して静かに待つんだよ。」
と男は優しくいった。
ここまできて誰かにみつかり村に強制送還という展開は避けたいというのが僕らの共通認識だったので、誰もその言いつけを破りはしないと思う。僕らは真剣な面持ちで彼の言うことにうなずいた。
それから僕らは貨物車両に乗り込み、一緒に運ばれる木箱たちに腰をおろした。
「くれぐれも静かにね。じゃあがんばって。」
と男は言うと、扉をしめた。閉め際に彼は弟に手を振ったが弟の方は手を振り返さなかった。僕が父にいだいた心境と同じ心境だったのだろうか。
扉が閉まると辺りは真っ暗になり、小さな隙間からもれる明かりでかろうじてお互いの顔は見えた。車両が動き出すまでの時間誰一人として会話をする者はいなかった。
「おーい、最終確認は済んだか。」
遠くの方から声が聞こえてくる。
「車両点検は済んだが、貨物がもうちょっとかかりそうだ。」
僕らの隠れる車両の一つ後ろの車両ではまだガタガタと貨物のつみこみをする音が聞こえる。
「もうすぐ出発時刻だからそれまでには終わらせろよ。じゃねえと短気な乗客が文句を言いはじめるからな。」
「わかってるよ。」
僕らは外から聞こえてくる誰かの声でもうすぐ汽車が出発することを知った。
しばらくすると後ろの車両の音は止み、かわりにおおきな扉の閉まる音が駅に響いた。そしてすぐに大きな汽笛の音が聞こえた。その後、前の方から車両の動き始める音が聞こえ、すぐに僕らの隠れる車両もゆっくり動き始めた。耳につくうるさい音を立てながら徐々に車両の速度が上がっていく。
列車が出発してからも、沈黙は続いた。
わずかな隙間は空いているものの、車両の中は蒸し暑く、煙草なのか何かわからない草の臭いで充満していた。車両の中には8人の呼吸の音と汽車の音だけが響いていた。
暑さのあまり頭がくらくらしている。それに直にお知りに響く振動が確実に痛みに変わりつつある。
そのうち隙間からは入る僅かな風に潮の香りが混じって香ってきた。先ほどまでの線路の上を走る汽車の音も変わっていた。下に音が抜けるような感じであった。
耳を澄ますとかすかに波の音が混じって聞こえる。どうやら汽車があの大きな橋を渡り始めたらしい。
すると誰かが、
「いよいよだな。」
とつぶやいた。
暗闇の向こうから聞こえてきたその声に僕も改めて緊張している。おそらくほかの7人も同じだ。いよいよなのだ。それからまた沈黙の時間が続いた。
どのくらいの時間僕たちは汽車に揺られていただろうか。お尻の痛みがひどくなってきた。ふと今まで一定の速さで走っていた汽車の速度が少しずつ緩やかになっていく。汽車は確実に減速している。汽車がどうやら島の駅はすぐそこらしい。
しばらくゆっくり進み、そして汽車は停まった。
汽車が停まるとすぐにひとつ前の客室から乗客が下りているのだろうか、たくさんの足音とはっきりとは聞こえないが沢山の話し声が聞こえてきた。どこかの貨物車両の扉の開く音が聞こえてくる。
どうやら荷下ろしがはじまったらしい。誰かが貨物を点検する声が僕らのいる貨物室にも聞こえてくる。熱のこもった車両の中にいるのは辛く、一刻も早く外へ出たかった。それになによりもお尻が痛む。僕の限界は近い。みんな平気なのだろうか。
しばらくしても僕らの車両には誰も来なかった。出発前に言われた言いつけを守り、誰一人声を出さず息を殺して世話役の彼が来るのを必死に待った。
客室からの声が少なくなってきた。僕らのいる車両の近くで二人組の話し声が聞こえてくる。はじめ何を話しているか聞き取れなかったが、その声がどんどんと近づいてくるにつれてはっきりとわかるようになった。
「今日のここの貨物はなんだっけ。」
「特別なものは煙草とか酒とかで後はいつも通りだったはずだな。」
野太い声が車内に響く。この男が例の男だろうか。
「先に貨物をあけて積み荷の確認だけしとくか。」
「そうすっか。」
「そういえば最近何かと物騒だし、もしかして誰か先に中にいたりしてな。」
ドキッとした。話の流れからしてどうも世話役の男ではないようだ。このまま彼らが貨物室の扉を開けたら一巻の終わりだ。はやく。お願いだからはやく世話役の人、来てください。
「ちょっと待て。」
片方の男が言った。
「そういや、台車もってきてねえな。ここの荷物には高級酒が含まれてやがるからな。手でもって落としでもしたら大ごとだ。しばらく飯抜きにされたらたまったもんじゃねえ。」
「たしかにな。じゃあ台車もってくっか。」
助かった。
とりあえず難を逃れたことに対してホッと胸をなでおろしたその時、車両の中で鈍いゴツンという音が響く。
音の方のした方を見ると、最悪なことに僕らの中で一番貧弱そうなやつが座った
ままふらつき近くの木箱に頭をぶつけていた。
「いま、なにか中で音がしなかったか。」
「さあな。おれは聞こえなかったが、気のせいじゃないか。」
嫌な汗が噴き出る。
「いや、気のせいじゃねえ。ほんとに中に誰かいるんじゃねえか。」
「まさか。鼠じゃねえのか。」
「やっぱ先に中だけ確認してみようぜ。鼠なら鼠で何かかじられるとよくねえからな。」
扉にかかった鍵がガチャガチャと音を立てる。まずい。このままこの扉が開いて二人に見つかり村へと追い返される展開が頭によぎった。うっすら見える喜助の顔がひきつっている。僕は手汗まみれの自分の手をぎゅっと握りしめた。
しかし、彼らがいくら鍵をいじっても扉は開かなかった。
「鍵が入らねえ。おい、鍵間違えてねえか。」
「見せてみろよ。ああ、こりゃ前に使ってた鍵だ。この間あいつらが積み荷に手をつけたらしく最近鍵変わったんだよ。」
「そうだっけな。」
「お前それぐらい覚えておけよ。しかたねえ、新しいやつを取りに管理棟に行くぞ。」
その言葉を最後に二人の声は遠くへ離れていった。彼らの声が聞こえなくなると僕はほっと息を吐いた。その瞬間、貨物室内にガチャリと鍵の開く音が響いた。誰かが扉を勢いよく開け放つ。僕は覚悟を決めた。
「おーい、少年たちよ大丈夫だから降りてきな。」
僕らは互いの表情を確認しあった。まだ心臓がバクバクしている。
「大丈夫。僕は君たちの世話を依頼された者だよ。だから安心して出でおいで。」
その言葉を聞いてやっとホッとした。僕らは座っていた木箱から立ち上がり扉から外へ出た。念願の外に喜びを覚え、みんなの顔を確認する。誰もさっき事を責めようとはしなかった。なぜかはみんなの顔色が物語っている。
外へ出てすぐ車両の脇に大柄で優しい顔立ちの男が立っているのに気がついた。
「よく来たね。迎えに来るのが遅くなって申し訳なかったね。少し面倒なことがあってね。もう少し早く来るつもりだったんだけど。」
彼は申し訳なさそうな顔をしてそういった。
「とりあえず駅の表から出るわけにはいかないから、別な出口に案内するね。じゃあついてきて。」
彼は島に運ばれてきた貨物を置く倉庫の方へと歩き始めた。僕ら8人は健を先頭に彼の後ろを一列に並んでついて行った。歩きながらまわりを見回してみる。みな自分の仕事に集中しているようだ。ここで作業している男たちのほとんどは力仕事ばかりだからかガタイがよくみな強面であった。
しかし、いくら集中しているとはいえ8人の少年を引き連れたこの男は少なからず浮いて見えるはずだ。けれども誰もそれを見て気にするそぶりを見せなかった。思えばそれはこの男のせいだったのだが、それについては後にわかる。
僕らは倉庫へと入り来た時と同じように貨物の合間を縫うように進んだ。倉庫の端に到着すると目の前に小さな扉が現れた。
「よし、この扉から外に出られる。ここからは君たちの好きに行動するといい。僕が案内するのはここまでだ。健闘を祈るよ。」
そういって扉を開けると男はもと来た方へと消えていった。
扉から外へ出るとむこうに大きな門と街を囲う大きな壁が見えた。さっきまで暑苦しい貨物車の中とはうって変わって、外は潮風が気持ちいい。スッと過分の汗が引き、ようやく生き返った気がする。
島の駅から出てきた人たちは皆その大きな門の方へ向かって歩いている。僕らもそちらへ歩いた。少し前に日は落ちたようで、辺りはすっかり薄暗くなっていた。後ろではからっぽになった汽車が村の駅に向かって出発したところだった。
正面の門はとてつもなく大きかった。僕がいつも入る裏門でも十分に大きいと思っていたが、こちらはその比にならないぐらい大きい。僕らは口々に驚きの声をつぶやいた。開け放たれた門の両側には数人の男たちが橙色の提灯を持ち街の中へと入っていく人々に笑顔で挨拶していた。
門へと入る前に一度立ち止まり道の隅へと僕らは集まり円陣を組んだ。
「よし。いよいよだ。ここからは別々に行動しよう。忘れるなよ、明日の朝またここへ集合だ。みんな、頑張ろうぜ。解散。」
健のその声を皮切りに皆バラバラに門の方へと向かって歩き出した。僕だけはその場にとどまり喜助のうしろ姿を眺めていた。
いよいよ始まるこの瞬間、僕は少し感慨にふけっていた。僕には目の前のこの大きな朱色の門は大人への入り口に思えて仕方なかった。今日この日を境に僕らの子供時代が終わりを告げる。喜助と過ごす時間も少なくなってしまう。そう思うとやはり寂しさを感じずにはいられなかった。
「おーい。徳、いくぞ。」
喜助がこちらに手を振っていた。僕は喜助のもとへ駆け寄った。
「ぼーっとつっ立って何してたんだよ。」
「ちょっとね。」
「怖気づいたか。」
「なわけないだろ。」
「鴨葱うどん、忘れるなよ。」
「当たり前だろ。」
僕は喜助と二人、門をくぐった。これからあんなことが待ち受けているとも知らずに。そして後にも先にも僕が正門をくぐったのはこれきりであった。
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