(Ⅲ)癒やしの風

 ムシナ空港から東へ進むと、比較的緑豊かな町並みが見えてくる。

 ゲイリーはいま、国境にほど近いムシナの町へとバンを走らせていた。


 悪名高き「ファスト・トラック」――大規模農場の強制徴収と再分配に端を発するジンバブエの混乱は、現在一応の終息を見つつある。

 しかし、南アフリカへの難民流入は止まることなく、その数は累計150万人に上るとも言われている。国境の町であるムシナは、ヨハネスブルクと並んで、彼らジンバブエからの難民が多く住まう町だ。

 南アフリカ最北端、鉱業の町ムシナ。人口は4万人を超えるが……そこに、難民であるジンバブエ人の数は含まれていない。


 ゲイリーはしばらく町中を走り、ファミリーが経営する金物屋の駐車場にバンを停めた。

 通常であればこの手の車など車上荒らしのいいカモだが、〈ラスボーン・ファミリー〉の領地での狼藉は自殺行為であると、この付近の住民たちは知っている。警察署の軒先に駐車するよりもはるかに安全な場所だった。

 その足で、町の外れにある医療センターへと向かう。

 郊外に広がる難民キャンプ――そこに住まう人々の医療・衛生問題を一手に担うNGO団体、医療法人〈癒やしの風〉の活動拠点だ。


 入り口でアポイントメントを確認し、施設の中へと入る。周囲にテントが目立つキャンプの中では比較的しっかりした建物で、診断室も小型のものが3つと大型のものが1つ、別々に設えられていた。

 しかし中に一歩足を踏み入れれば、区割りなど関係ないとばかりに患者の群れがひしめき合っている。待合スペースはおろか、廊下の両脇にまで隙間なく人が座り込み、中央のわずかな空間をスタッフが足早に行き来していた。

 ゲイリーは勝手知ったる顔でスタッフの控えるバックヤードへと踏み込んだ。この施設の人間とは大半が顔見知りであるため、それをとがめるスタッフは誰もいない。


 少し歩くと、探していた人物が見つかった。

 ピーター・ウィリアムスはいかにも面倒くさそうな表情を浮かべ、バインダーの書類をめくっている。一見してやる気のない不良医師であるが、この場合、印象と実際の間にはそれほど距離は開いていない。


「酒も煙草もやっていないとは珍しいな」


 ゲイリーが声をかけると、ピーターは鼻を鳴らして顔を上げた。


「薬も女ともヤってねぇ。まったく何のための人生なのやら」

「守護天使が勤労意識に目覚めたようで何よりだ。久々にどうだ、このあと」

「そりゃいいな。こんな肥溜めで一日中働いてたんだ、神の血ワインで身を清めなけりゃ天罰が下る」


 ゲイリーの目的を察した不良医師が相好を崩す。

 会話はすべてドイツ語だ。周囲の現地スタッフは、彼らがどれほど汚れた会話を交わしているのか気づくこともない。

 自身がどうしようもない屑に成り下がったことをゲイリーは自覚している。

 自ら選んだ道であり、そうしなくてはならない理由があった。しかしいま、ピーターとの会話で嫌悪ひとつ感じない自分自身に、心の奥底で失望を覚えた。


 町内の高級バーで落ち合う約束を交わし、医療センターを出る。

 気づけば、地平線に太陽が沈もうとしていた。

 日中酷暑に見舞われるこの地域は、日が落ちてからの方が人通りは多くなる。キャンプの目抜き通りにはランプの明かりがともり、雑貨や食品を買おうとする人々の喧噪が、徐々に大きくなりつつあった。

 ふと、サッカーボールを片手に走る少年を見つけた。

 目で追っていくと、待ち合わせていたらしい少年の一団と合流し、いずこかへとまた走って行く。どこか心惹かれるものを覚えたゲイリーは、彼らを追って人混みをかき分けながら進んでいった。


 やがて、キャンプの外れへとたどり着く。

 その外に広がるのは一面の平野だ。しかしよく見れば、雑草や石が除けられて整地された一角があることに気がつくだろう。

 少年たちはそこで、サッカーに興じていた。

 人数は十人に満たず、フットサルの試合すら組めはしない。服装も動きやすいというより粗末で、靴にいたっては履いてすらいない子供もいた。


 しかし皆、一様に笑顔だった。


 日は沈んだが空はいまだ赤く、少年たちの顔を赤く照らしている。キャンプからの光を砂塵が反射して、どこか彼此を別する霧めいた印象を抱かせる。

夕べに赤ら顔ホイテロート」――本来なら不吉であるその言葉が、この瞬間はとてつもなく尊いものであるかのように思われた。


 気づけば、ゲイリーは手にしたカメラのシャッターを切っていた。

 ファインダー越しの少年たちに、一人の残影が重なって見える。たった一人の弟――ゲイリー自身が死のきっかけを作った少年の姿が。




「儲け話ぃ? どうした急に。お前さん、そんながっついた奴だったか?」


〈ロイズ・コリダー〉直営のバー。その隅の座席に陣取ったピーターが怪訝そうな声を上げる。

 ケープタウンにある本部に比べればグレードは落ちるものの、この一帯では一番の高級店だった。客入りはまばらだが総じて身なりが良く、近くに難民キャンプが存在する事実を忘れそうになる。


「こんな店で年中飲み明かしているお前にあやかりたい――っていうのは冗談だとして、ついこの間伝説の武器商人って奴を見かけてな。以来、どうにも血が騒いで落ち着かないんだ」


 言いながら、さりげなく懐からひとつの鍵を取り出す。

 ダーバンの港にあるコンテナの鍵。その中身はコロンビアから届いた〝白い原油〟――すなわち、高純度の麻薬だ。


 机の上に置かれた鍵を、ピーターはさりげなく内ポケットへとしまう。


 オーストリア有数の製薬会社である〈ヴィットマン・ブラザーズ〉。〈癒やしの風〉はその出資によって設立されたNGO団体だが、その実体はといえば、親会社の麻薬ビジネスの一翼を担う密売人ナルコの集団だ。

〈ラスボーン・ファミリー〉と〈ヴィットマン・ブラザーズ〉の間には、中南米の現地法人が精製したをアフリカへと輸送する契約が結ばれていた。〈ラスボーン・ファミリー〉側の流通網も〈ヴィットマン・ブラザーズ〉には魅力的に映ったのだろう。いまのところ、両者は良好な関係を保っている。


 そしてゲイリーとピーターは、それぞれの組織を代表して商品を受け渡す役割を負っていた。

 こうして会って飲み交わすのも何度目とも知れない。互いに気の置けない間柄であると言えるくらいには、気心知れた仲である。


 ――そうなるよう、努めてゲイリーが振る舞ったのであるが。


 アマルーラのロックに口をつけたピーターが、その甘さにわずかに眉を寄せた。


「金持ちに憧れ、年甲斐もなく一攫千金狙いか? やめとけやめとけ、お互いに上司が怖いタイプの勤め人だ。やんちゃがバレて、この世からリストラされたくないだろう?」

労働は自由への道Arbeit macht Freiというやつだ。そこまで大層のものじゃなくていい。何もせずに燻ったままでいるのが、いまさらながら嫌になったのさ」

「ナチスの収容所にも同じ題目が掲げられてたはずだがな」


 そう返されて、さすがにゲイリーも言葉に詰まった。

 間をつなぐため一口含んだモヒートの風味が、急いた気持ちを落ち着けてくれる。

 持ち直したゲイリーの様子を見て、ピーターが頬杖の上目遣いで尋ねてくる。


「大体お前さん、本職のフリージャーナリストはどうしたんだよ」

「ピュリッツァー賞なんて取れると思うか、俺が。〝ハゲワシと少女〟どころか、〝カラスと生ゴミ〟がせいぜいだ」

「ネタなんざその辺にいくらでも転がってるさ。なんだったら提供してやってもいいぞ? ただし有料だけどな」

「強突くめ」


 渋い顔で――しかしこの流れを予想していたゲイリーは、財布から一枚の紙幣を抜き出した。

 二つ折りのその間には、ひとつの紙包みが挟まれている。周囲にそれが分からぬようピーターの手に握らせると、彼にだけ聞こえるようそっとささやいた。


ゼロ・ゼロ・ゼロトリプルゼロだ」


 途端、ピーターの目の色が変わる。


 ――イタリアでは、小麦粉の等級を0の数で表記する。それが三つともなれば、触れても感触がないほどの最高級品だ。

 ゼロ・ゼロ・ゼロとはすなわち、それに勝るとも劣らないほどの品質を誇るコカインである。少量ながら、末端価格でいくらになるのか――それほどの逸品ならば、ピーターの口も緩むはずだとゲイリーは踏んだ。


「もちろん、ファミリーからくすねたものじゃない。俺だけの独自ルートで手に入れたものだから安心してくれ」

「……なんだよ、もう随分な火遊びをしてるみたいじゃないか、えぇ?」


 言いながら、紙包みを紙幣ごと乱暴にポケットへと突っ込むピーター。

 そのままグラスを煽ると、甘さに懲りたのかジントニックを注文する。次のグラスが届くまで、その指は落ち着きなく机の上を叩いていた。


「クソ、まさかここまで突っ込んでくるとは思わなかった。受け取った以上、ガチなネタを渡さなきゃならなくなったじゃねぇか」

「別に一晩でミリオネアになる方法でもいいんだぞ? 八百長競馬以外でな」

「あー、……よし、そこまで金の話がしたいんなら、難民と金を絡めた小話を一つしてやるよ」


 宙をさまよっていたピーターの視線が戻る。

 そして、口の滑りを良くするためか、酒を一口飲んだ後にこう切り出した。


「ここじゃないが、別の難民キャンプに行ってたときの話だ。そこはある部族が別の部族を虐殺した結果できあがったキャンプだったが、あるとき駆け込んできた一団が妙に物持ちがよくてな。家財道具一式を持ち込んでたり、現金や装飾品をそこそこ持ってたり」

「単に裕福な一家が逃げ出してきたんじゃないのか?」

「そんな連中は難民キャンプじゃなくてまず空港に向かってるさ。で、調べてみたんだがこれが傑作でな? その一団、なんと虐殺した側の部族だったのさ。そして持ち込んだものは一切合切略奪しただったというわけだ」


 ゲイリーはさすがに眉をひそめた。

 戦災に遭ったという意味では確かに、加害側の部族も被害者と言えるだろう。しかしそれは、その個人が虐殺に加担していないという前提条件があってこそだ。

 直接的な加害に関わっている以上、火事場泥棒よりなお悪い。それでよく被害側の部族も集うキャンプに入り込めたものだと、正直神経を疑ってしまう。

 そこでピーターは人が悪そうに笑った。


「話はここで終わりじゃないぞ? 連中、よりにもよって虐殺を受けた側の子供を連れ込んでいてな。、そういったのを取材に訪れたジャーナリストの前に引っ張り出すわけだ。当然、その写真が世界に出回る。そして、リテラシーが足りてないくせに金と善意だけは足りてる奴らが手持ちのNGOにこう言う。『』ってな」


 その結果なにが起こるか。

 いくつかの取材から得た知識を元に、ゲイリーは一つの事実を口にした。


「NGOは非営利団体だが、

「そうだ。ボランティアじゃないんだから、当然職員に払う給料分は稼がないと成り立たない。非営利ってのは、、利益を上げるために内と外にはばんばん金を使う。その活動を餌に、義援金もどんどん集まる。つまりNGOが来ると、その地域一帯が潤うって寸法だ。


〈癒やしの風〉も、そういった目的でアフリカに派遣されたNGOの一つだ。もっとも彼らの場合、さらに直接的なビジネスとして活動を行っているわけであるが。

 難民は金になる。彼らを送り込む密入国の斡旋業者から始まって、ピーターの語る集金システム、〈癒やしの風〉のような犯罪ネットワーク、その他諸々――祖国を追いやられた人々の不幸を養分として成長する、巨大な経済圏を形成するのだ。


 ――お前もその一員だと、内なる声がささやく。


 鳥肌が立つ。違う、という言葉を、ミント味の液体と共に飲み込んだ。

 そんなゲイリーの様子をどう見たのか、ピーターは口の端を歪める。


「そこでひとつ質問だが――手足に問題を抱えた、そんな金のなる木こどもが、?」


 そっとつぶやかれた問いかけ。

 一瞬、意味が分からなかった。あまりに不快すぎて、脳が理解を拒否した。

 アルコールの霧をかき分け、ようやくその答えに思い至ったとき、酔いが一気に醒めた。


……」


 


 背筋を悪寒が貫き、額に薄く冷や汗が浮く。どれほどおぞましい行為が行われているのか、想像することすら恐ろしい。

 薄笑いを浮かべたピーターだが、冗談の気配はない。いくつもの地獄を垣間見、いまやその住人と化した麻薬密売人は、その発言が事実であると言外に語っていた。


「結局、金になるのはいつだって奴隷と兵器さ。ここら辺でも似たような話は聞くぜ。噂じゃ中国の連中が、客寄せの役割を終えたそういう子供らを買い取って……っと」


 何かを言いかけ、口を噤むピーター。しかしゲイリーは、顎をしゃくってその先を促す。

 もはや情報を得ることなど二の次だった。この地で何が行われているのかを知りたいという、好奇心と怖いもの見たさ――そして何より、上っ面に過ぎなかったジャーナリストの魂が、その先を求めてやまなかった。

 腕を組んで逡巡していたピーターだったが、結局コカインの義理に折れたようだった。周囲を憚るようにして、ゲイリーへと問いを投げる。


「――?」


 

 ゲイリーの本来所属する組織――そのデータベースに存在していた兵器の区分だ。

 しかしそのことを明かすわけにもいかず、ゲイリーは首を横に振った。ピーターはさもありなん、というようにうなずいて見せた。


「人間の脳を兵器に移植して、ハッキングなんかの電子戦に対抗させようっていうクソイカレた発想の代物だ。それに、買い取られた子供たちが利用されてるっていう噂がある」

「……どこまで」


 命をもてあそべば気が済むというのか。

 悪寒はすでになく、純粋な怒りだけがゲイリーの身体を満たしていた。

 この負の連鎖を、なんとしてでも止めなくてはならない。そのために、自分はこの道を選んだのだから。




「――興味深い話だったよ」

「このヤマを追うのは自由だが、まぁどこかで海に浮かぶことになるからおすすめはしない。そもそも、こっちで稼いだ方が楽だしスマートだろう? 何が不服だ」


 ゲイリーは怒りを静めるため、ピーターは話しすぎたことをごまかすためか、二人ともいつにも増して酒量が多くなった。

 いい加減気持ち悪さが先に立ち始めたため、会計を済ませて外へ出る。酔い覚ましに夜風に吹かれながら、二人はバーの外壁に身を預けていた。

 ピーターの言葉に、ゲイリーは酒臭い息を吐き出す。


「不満はないさ。貯金だってそこそこ貯まっているからな。だがある一定まで達した後、そこから先が伸びない。ブレイクスルーが欲しいとずっと思ってたんだ」


 貯金だけでなく、についてゲイリーは語っていた。

〈ラスボーン・ファミリー〉に潜入し、アーロンの腹心になれたところまでは良かったが、そこから先に進むことがなかなかできていなかった。

 しかし、ファングシュレクンからの指示と、リヒャルト・トラクルとの接触によって、自身の任務が進展する感触を得た。ここで進めなければ、恐らく深層にたどり着くことはできないだろうという実感がある。


 二本の根と根源の一本――すなわち、、そしてそこから導き出されるに。


 真剣な表情のゲイリーに、どこか呆れたかのようにピーターは言う。


「貯金ねぇ……ちなみにいくらくらいよ」

「三十万」

「……一応聞いとくが、ジンバブエドルじゃないよな?」

「俺は今月どう生活すればいいんだ、それじゃ。米ドルだよ、もちろん」


 ゲイリーが貯めただけの金額ではもちろんない。潜入用に用意されたダミー口座――何らかの交渉を行わなくてはならなくなった場合などに用いる見せ金の金額だ。

 しかしゲイリーの言葉を聞いたピーターは、何かを考えるかのように首をひねっている。

 やがて、決心したかのように手を一つ打ち合わせると、


「お前さん、投資に興味はないか?」

「投資?」

「知り合いに腕のいいファンドマネージャーがいるんだ。それだけ持ってるなら、まぁ邪険にはされないだろうし、金を増やしたいって言うんなら悪い話じゃないと思うぜ」


 ――


 内心で、ゲイリーは半月の笑みを浮かべた。

 表面では驚き、そしてせいぜい意地汚そうに笑う。拳を握って突き出すと、ピーターもそれに合わせて拳を突き合わせた。


「よろしく頼む。儲かったらアブサンの一杯でも奢るよ」

「もうちょっと酒を選べ。だが実際、儲かると思うぜ。〈ヴィットマン・ブラザーズ〉も近々デカいM&Aやるって話だしな」

「おい馬鹿やめろよ、殺しでも薬でもなく、インサイダーで捕まったなんていったら笑い話にもならないだろ」




《定期レポート》


○癒やしの風

・以前からの報告通り、〈ヴィットマン・ブラザーズ〉の手がける麻薬ビジネスのアフリカ担当組織。

・コロンビア・カルテルからの積み荷に紐をつけることに成功。別途送付資料より追跡をされたし。

・二つ目の根、について手がかりを入手。一つ目の根と合わせて調査を続行。


○付記

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