(Ⅱ)ラスポーン・ファミリー
――ヨハネスブルク郊外。
ソイケールボスラント自然保護区にほど近いナイジェル地区の一角、広い庭にプールが付いた豪勢な邸宅が、アーロン・〝ウグヮイ〟・ラスポーンの隠れ家の一つだった。
アーロンはその漆黒のがっしりとした身体を、バルコニーの安楽椅子に横たえている。その背後には三人の秘書が控え、屋敷の周辺各所には合わせて三〇人ほどの武装した男たちが万全の警備を敷いていた。
これから行われるある人物との面会を邪魔されないためか――あるいは、面会する人物を極度に警戒しているのか。とにかく、大陸すべてが自分の庭と豪語して憚らない麻薬組織の長にしては、普段の強気が嘘のように思えるほどの気の配りようだった。
「――ラ。おい、聞いているのかイシケラ」
秘書のうちの一人、ゲイリー・トゥロンは、アーロンのやや不機嫌そうな声で我に返った。
「……はい、ボス。申しわけありません、昨日の品質調査がまだ少し残っているようです」
「好き者だな、お前も。商品に手をつけない限り止めはせんが、身を崩さん程度にしておけ」
その通称通り吹かしていた〝
「あの男に会うのは初めてだったか、と聞いたんだ、イシケラ。お前が〝
「はい、ボス。名にし負うプリンチップ株式会社のエージェント――世界有数の武器商人と聞いています」
「実際には武器商人なんていうかわいげのあるもんじゃねぇが……その様子だと初対面だな?」
ぎろりと、剣呑な光を湛えた視線が肩越しにゲイリーを射抜く。
「いいか、イシケラ。奴はそこらのゲリラやファミリーなんかとは格が違う。奴に邪魔だと見なされれば容赦なく排除される。それも、メキシコやコロンビアの連中が裸足で逃げ出すような方法でだ」
「はい、ボス。それほど重要な人物との会合の前日に、品質調査を行うとは軽率でした。以後は厳に慎みます」
アーロンの言わんとすることを察知し、先回りして反省の弁を述べる。その言葉に納得したか、アーロンは鼻を一つ鳴らすと新しく葉巻を取り出した。
ゲイリーとは別の秘書が進み出て、シガーカッターとマッチを差し出す。アーロンが葉巻を大きく吹かすと、バルコニーの天井に紫煙が雲を作った。
「本当に頼むぞ、イシケラ。俺はキキ・カマレナの二の舞は御免だ」
「はい、ボス。ボスの喝のおかげでようやく抜けてきました。醜態を晒すことはありません」
「だといいがな」
と、主従がそこまで話したところで、警護の人間から来客が告げられる。
緊張の鞭がアーロンを打ったかのようだった。にわかに厳しさを増した表情で客人を通すよう命じると、再び葉巻を灰皿に押しつけて揉み消し、それを秘書の一人へと投げるように手渡す。
受け取った秘書は灰皿を片付けるために屋内へと消え、代わりに一人の男がバルコニーへと姿を現したのだ。
はげ上がった頭、生気に満ちた緑の目、特徴的な鷲鼻、象牙色のスーツ、小さな黒い手が格子状にプリントされたネクタイ――その姿に、ゲイリーは我が目を疑った。
――なぜ、この男がここにいる?
その疑念をよそに、男が朗々たる声で挨拶を投げる。
「やあ、初めまして、ミスター・〝ウグヮイ〟! かの自由の国の諜報機関すら煙に巻く、アフリカ有数の大商人にお目にかかれるとは光栄だ」
にこやかに差し出された手を、アーロンは唸りながら握り返した。
「……なんてこった。瓜二つなんてもんじゃねぇ、まったく同じだ。お前さんみたいな人間が、あと何人いるってんだ?」
「私は常に一人だとも、ミスター・〝ウグヮイ〟。リヒャルト・トラクルという形を持った、ただ一つの真実さ」
握手を解くと、トラクルは勧められるままアーロンの対面に座した。
一度席を外した秘書が、一つのアタッシュケースを持って再度現れる。アーロンが目線で指示を出すと、机上にそれを置いて安楽椅子の背後に戻った。
「依頼されたブツだ。確認してくれ」
にこやかさを保ったまま、しかしその緑の目をぎらつかせて、トラクルがケースに手を伸ばした。
取り出されたのは書類の束――死亡証明書、遺体検案書、死因医療証明書、搬送許可書、遺体搬送許可書、税関検査証、旅券などだ。発行責任者は「医療法人癒やしの風」と印字されている。
それらがざっと三十人分。さすがに分厚すぎたのか、トラクルは一部だけを取り出してぱらぱらとめくると、感嘆したかのような声を上げた。
「聞きしに勝る仕事ぶりだ。ここまで完璧に偽装した遺体搬送書類ならば、ヨーロッパはおろかアラスカにすら荷が届くだろう」
「そっちの仕事は〈癒やしの風〉の連中の成果だ。俺は足を貸す。パイロットは自前で。そういう契約だったな?」
「入国関係の書類は……素晴らしい。さすがは〈ラスボーン・ファミリー〉、中南米、アフリカ、ヨーロッパを繋ぐ、現代の三角貿易の担い手だ」
「飛行機だけでよかったのか? なんだったら潜水艦くらいは用立てできるぞ。〈ウラジャーイ〉の連中から、製造から運用ノウハウまで全部買い取ったおかげでな」
「ソ連崩壊時に流出した、数多ある商品のうちの一つだね。その節は我々もずいぶんと稼がせてもらったものだよ」
書類をケースに戻しながらトラクルが言う。
「だが、今回は遠慮させてもらおう。荷の送り主からはぜひにもと空輸ルートを指定されていてね」
「豪勢な話だ。これだけの人数分の棺桶に、ダイヤの原石をいっぱいにして運ぼうってんだからな。まったくもってあやかりたいもんだ」
「おや、〈ラスボーン・ファミリー〉のビッグ・ボスどのはいまの稼ぎに不満でも?」
「……実際、俺なんてのは大したことねぇもんさ」
対するアーロンは、じっと何かに耐えるような姿勢でトラクルに対していた。
「たまたまアフリカ有数のファミリーを抱えるまでになっているが、それだって運がよかったからに過ぎない。もう一人のお前と、オイラーの奴と組んで、なんとかって部隊が戦ってる最中にモルヒネをパクった。それがうまくいっただけだ」
「君の貢献と才覚は聞き及んでいるよ、ミスター・〝ウグヮイ〟」
大仰にトラクルはうなずいた。
「当時、コロンビア・カルテルの傘下だった君が、モルヒネからヘロインを精製する事業に真っ先に手を挙げた。君よりも大規模かつ高い精製技術を持つ組織は他にもいたが、なによりジンバブエの隣の南アフリカを拠点としていたのは大きかった」
「新しいビジネスを制するには、とかく速さと適切な流通ルートってのが鍵になる。その辺にうようよゲリラがいるから顧客開拓には困らん。となれば、あとはいかに早く捌く段まで持って行けるかどうかだった」
「万人に幸福をもたらしたビジネスだったと言えるだろう。たかだか数万人を救うための外科手術で使われるよりも、何倍も多くの人間に夢を見させてくれる商品だ。己が業績を誇るべきだよ、ミスター・〝ウグヮイ〟」
しかしそんなトラクルのおだてすら、アーロンを崩すことはできなかった。
アーロンの眼前で組んだ手が震えている。ニコチンが切れたか、あるいは気の昂ぶりゆえか。己の辿ってきた道のりを思い返すかのように、アーロンは言葉を継いでいく。
「あのビジネスは成功した。大当たりだった。結果俺は親目であるコロンビア・カルテルと同等の地位まで昇り、世界中から流れ込む麻薬を適切な場所へと流す、パイプ役の一人と目されるまでになった」
「実業家としての手腕と、新事業を嗅ぎ分ける嗅覚。まさにアフリカの〝エル・チャポ〟というわけだ。そんな君とお近づきになりたい。ぜひ私のことはトラクルと呼んでくれ」
「リヒャルトじゃあないんだな、トラクル? まぁどっちでもいいが、つまるところ俺は、俺自身が大人物だなんて微塵も思っちゃいない。だからこそ大口を叩き、それに見合うだけの地位と財産を築きたい。だからこそこんなところで終わりたくはねぇ。分かるか、トラクル?」
机上のアタッシュケースを、アーロンの傷だらけの拳が叩いた。
「――戦犯法廷。大丈夫なのか。アフリカ・ヨーロッパの武器密売と資金洗浄ネットワークが潰れれば、少なからずこっちにも影響が出る。だからこそ純粋なステークホルダーではないお前に協力し、ここまでの膳立てをしたんだ。勝算はあるんだろうな、トラクル」
「もちろんだとも、ミスター・〝ウグヮイ〟」
にこにこと請け負うトラクル。その薄皮一枚隔てた内側に、ゲイリーは獰悪なハゲタカの嗤いを垣間見た気がした。
「真実を暴こうとした者たちは、死をもってその罪を償うことになるだろう。三色目の原油は
揺らぎなく言い放ったトラクルが、安楽椅子から立ち上がる。
「報酬はバンク・オブ・ニューヨークの所定口座へ送金済みだ。また一緒に仕事ができる日が来ることを楽しみにしているよ、ミスター・〝ウグヮイ〟。そのときはぜひ、君の麻薬販路を我々の販路と合流させることを検討してみて欲しい」
アタッシュケースを手に取りゲイリーに一礼すると、トラクルは屋内へと姿を消した。
その後一台の車が走り去るのをバルコニーから確認して、ようやくその場の全員がほっと胸をなで下ろす。
「死神が去ったぞ、ちくしょうめ」
「お疲れ様でした、ボス」
差し出された葉巻を奪い取るようにして火をつけると、アーロンは深々とその煙を吸い込んだ。その手がわずかに震えていることを、ゲイリーは見逃さなかった。
たっぷり時間を掛けて一本目を吸い終えると、屋敷の主は少しだけ落ち着きを取り戻したようだった。だがその表情は苦々しさで満ちており、彼自身が言う通り、まるで死神にでも出くわしたあとであるかのようにも見える。
ゲイリー自身、知らず手のひらに汗が滲んでいることに気づいた。ズボンにこすりつけて不快感を拭うと、先ほどまでこの場にいた禿頭の武器商人を思う。
――彼の去り際、一瞬だけ振り返ったトラクルの視線と、ゲイリーのそれが交差した。
ギラギラと光る緑色の目。悪魔めいた輝きを放つその瞳に、ゲイリーは内心をのぞき込まれたかのような幻覚を覚えた。お前の真実を知っているぞと見抜かれた気がして、沸き立つ焦燥感に唇を噛んで耐える。
――まだ、大丈夫だ。
正体が露見するほどの材料を、いまのところ自分は出していない。その確信を二度三度と心中で唱えて静めると、ゲイリーは主人の背に向けて声を掛けた。
「ボス、〈癒やしの風〉の
「いつも通り、ダーバンのコンテナに保管してある。93Fの鍵を持ち出せ」
了承を告げて、ゲイリーもトラクルに続いてバルコニーを出る。
その背後では、アーロンが別の秘書に今回の報酬の取り扱いを指示していた。
「――いつも通り、〝ファンドマネージャー〟に連絡を入れておけ。結構な額だ。連中喜び勇んですっ飛んでくるさ」
《定期レポート》
○ラスボーン・ファミリー
・〈
・共犯として、リヒャルト・トラクル、そしてオイラーなる人物が関与。
・戦犯法廷に対する何らかの妨害工作を画策中。注意されたし。
・一つ目の根、麻薬ネットワークは引き続き調査を続行。
○付記
・現在収監中のはずのリヒャルト・トラクルの姿を確認。同名かつ容姿の似た人間が複数人存在する可能性。
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