ウエイブスタンの怪物 8ー③


    8


 麻酔銃の効果が切れたのは、それから四時間後であった。


 エイベルは目覚めた瞬間、何が起こったか分からないという顔で、辺りを見回した。


 そうして自分が置かれた状況を把握すると、真っ青な顔になって項垂うなだれた。


 そんなエイベルに平賀は声をかけた。


「安心して下さい。貴方は誰も殺してはいません。犬も無事に保護しています。そして貴方は現行犯です。言い逃れは出来ません。真実を何もかも話してくれませんか?

 既に警察も呼んでいますが、二十五年前の事件も、今回の事件も、犯人は貴方のお父様ですよね」


 するとエイベルは固唾を呑んだ後、「そこまで分かっているのですね……」と力なく呟いた。


「ええ、どうして貴方のお父様が、こんな犯罪を犯したのか、事情があるのなら警察も考慮してくれるかも知れません。もう観念をして下さい」


 するとエイベルは大きな溜息をつき、目を閉じた後、ぽつりぽつりと話し始めた。


「私の家庭は、とても冷たい家庭でした。母は父を愛していましたが、父は母にはおろか、私にも関心がない様子で、家では滅多に口をきくことすらないような父でした。

 そんな父が、私が少年だった頃、犬を買って来たのです。

 私は父親らしくその子犬を私にプレゼントしてくれるものだと思っていました。

 ところが父は、その子犬を地下の作業部屋に連れて行ったきり、早朝と深夜に一人犬を散歩させるだけで、家族に会わせようとしなかったのです。

 その当時から地下の作業部屋は、父専用の部屋で、決して家族は入らないようにと戒められていました。しかし、私は子犬がどうなっているのか、父が何をしているのか、どうしても知りたくなって、或る日、こっそりと盗み見てしまったのです。

 父は恐ろしい姿の怪物を作っていました。作っている時の父は、まるで鬼のような形相で、恐ろしい姿をしていました。

 そうして、犬に餌を与える時には、あの怪物の姿になって、兎やラットのような小動物の首を生きた状態で、爪で掻き切り、それを食べさせるというような行為をしていたのです……。

 私はそんな父の心の内がどうなっているのか知りたくて、時々、こっそりと父の行動を盗み見ていました。

 そんな或る日です。ウエイブスタン家で、マライア様のご主人が、無残な死を遂げられたという話を聞きました。

 私はご主人が死なれた時の状況を聞いている内に、父の仕業だと確信しました。

 ですから、父にそのことを問い詰めたのです。

 そうして父からそのようなことをする事態になった事情を聞きだしました」


「その事情というのは?」


「はい。実は父とマライア様は、マライア様がアメリカに留学するまで、お互いに思いあっていた仲だったという話でした。

 しかし、父は庶民の一介の使用人。マライア様は貴族のご令嬢。とても世間から認められ、一緒になれるような仲ではなかったということでした。

 父は、この悲恋を諦め、ウエイブスタン家から紹介された私の母と一緒になりましたが、父の心には常にマライア様がおられたのです。

 ところが、留学先から帰られたマライア様は、あろうことか、どこの馬の骨とも分からぬアメリカ人の男を、婚約者と称して連れて戻ってこられました。

 それをまた当時のご当主は、御認めになってしまった。

 父の無念は、そこに極まりました。

 貴族の尊い血筋を、汚してはならない。その為に、父は諦めたというのに、なんという運命の裏切りでしょうか……。

 父はマライア様の結婚式の時、マライア様の相手を無き者にしようと心に誓ったのです。

 それから考えを巡らせ、作り上げたあの怪物は、まさに父の執念と愛憎の塊だったのです。

 父はそうして自分が考えた通りに犯行を行い、巷では怪物の仕業として囁かれるようになりました。

 マライア様が結婚式された時には、既にアドレイド様がお生まれになっており、マライア様はとてもいつくしんで育てられました。

 ですが、父の心に残ったわだかまりは消えてはいなかったのです。

 マライア様はまだ若く、いつ再婚されてもおかしくはない。

 その時、また以前のような過ちを繰り返さないだろうかと、父は考えたのでしょう。

 その時、またおかしな相手が現れるようなら、同じように無き者にしようと思ったのでございます。

 父の怪物作りはさらに細かく工夫を継ぎ足し、犬の訓練も続けている様子でした。

 さらに犬が亡くなると、また次の犬を地下で飼い、同じようにしつけてきたのです」


 話の内容に、一同は息を呑んだ。


「母はそんな父の家族への無関心に疲れはて、私が二十歳になった翌日に、自殺しました。その葬式でも父は涙を流すことは無かった……」


「お気の毒なお母さまですね……」


「ええ、父も母も私も、不幸な人生です」


「トム・ホワイトに怪物の写真を送りつけたのも貴方ですね。貴方はまたいつ事件を起こすか分からない父親に嫌疑が掛からないように、ウエイブスタンの怪物を事実だと世間に認知させたかったのでしょう」


 ロベルトが言うと、エイベルは頷いた。


「マライア様が高齢になられ、もうご再婚もなされないことが確定し、父も認知症をわずらって執事を引退したことから、私はもう父が犯罪を犯すことはないものと安心していました。ところが違いました。

 アドレイド様は、まるでマライア様と同じようにアメリカから相手を連れて帰られた。父はその姿を見て、昔の狂おしい気持ちを思い出したのでしょう。今回は、子供が出来ぬ内にと早々に犯行に及んだのだと思われます。

 そうしてまで父は、ウエイブスタンの御血筋を守りたかったのです。

 しかし、父は何故か相手を間違えるという致命的なミスを犯しました。

 私達家族が、ずっと不幸であった元凶は、全てウエイブスタン家の過った判断にあります。それを正そうとした父の思いを私は強く感じました。

 そしてそれは次の私の役割だと思ったのです。でなければ、私達家族が不幸であり続けた意味がありません。

 幸い、父が飼育した犬もいました。警察も事件を迷宮入りにしました。

 今の時期なら、また怪物の仕業で終わると考えました。

 そして私は父がやったであろう手順通りに、ウイリアム氏を殺そうと考えたのです」


「そして、ウイリアムに『事件のことでアドレイド様に嫌疑がかかるような不利な話がある。誰もいないところで、こっそりと相談したいので、あの事件のあった温室に深夜一時に来て欲しい。お互いに相談しましょう』と、持ちかけたというわけだ。

 そしてウイリアムの不意をついて頸動脈を切りつけ、失血死さえさせれば、それを見ていた犬は条件反射的に、ウイリアムを餌だと認識して食べてくれる。そして怪物に襲われた死体となる。よくそこまで考えたものだ」


 ロベルトが確認すると、エイベルは「そうです」と低く答えた。


「しかし、エイベルさん。貴方は一つ大きな思い違いをしていますよ」


 平賀が鋭く言った。


「何ですか……?」


「貴方のお父様が今回の事件を引き起こしたのは、ウイリアムさんを殺そうとしていたからではないのです」


 エイベルは訳が分からないという困惑の表情をした。


「……そ、それでは父は何故?」


「認知症によるものです。貴方のお父様は、斑惚まだらぼけでしたよね。そうした人は過去にあった事象とよく似た場面を体験すると、過去と現在の事実が混同されてしまい、過去と全く同じ行動を引き起こすことがあるのは、貴方もお父様を見ていたわけですから、知っているでしょう?」


「それはある程度……。そういうこともありました」


「恐らくですが、貴方のお父様は、マライア様とよく似たアドレイド嬢が、結婚式に臨まれている姿を見て、二十五年前の結婚式の時の記憶と、現実を混同してしまったのです。そうして、二十五年前と全く同じ行動をとってしまった。

 記憶が混濁した中で、着ぐるみを着て、犬を連れてふらふらとウエイブスタン家に入り、同じ時間帯に偶然にもついていた温室の灯を見て、マライア様のご主人だと錯覚して犯行に及んだのです」


 平賀が正すと、エイベルは愕然とした顔をした。


「そんなことが!」


「これから鑑識や警察の捜査が入りますが、恐らくそうだと私は思います。いずれにしろ、血筋がどうとかで殺人を犯すのは、良くないことです。法の厳正な裁きを待ちましょう」


 エイベルは、がっくりと力が抜けたように動かなくなった。

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