ウエイブスタンの怪物 3ー②


 リビングに入ってきたのは、細身の身体にフィットした漆黒のドレスに、ヴェールがあしらわれたトーク帽をきちんと被りこなし、黒手袋をはめ、パールのネックレスとイヤリングをつけた、クラシックな美女である。


 高い頬骨と白い肌、涼しげな目元、シャープに尖った顎や結髪にした赤毛は、アドレイド嬢によく似ているが、全身から威厳と品格のオーラを放っている。


 続いて現れた喪服姿のアドレイドは、小刻みに肩を震わせ、ともすれば倒れそうなほど、儚げに見えた。ロード・クリフの死に大きなショックを受けているのだろう。


 そんな彼女の肩をしっかりと抱き、ウイリアムが寄り添っている。固く緊張したその面持ちは、彼女をあらゆる不幸から守るという決意の表れのようでもあった。


「当家の主、名誉あるウエイブスタン子爵マライア様、並びにアドレイドお嬢様とウイリアム様のご到着です」


 メイド長がそう宣言して、頭を深く下げた。


 マライアがリビングの一同を見回しながら、部屋の中央へと進み、ゆっくり会釈する。


「まずは娘の友人でもあり、当家の客人でもあったロード・クリフ・アッシャーが、神の御許で安らかな眠りにつかれますよう、心よりお祈り致します。

 そして彼の婚約者、ダリア・マクファーソン嬢の上に、主の深い慰めと平安がありますように。

 只今、警察がこの度の事件を捜査中であり、後ほど皆様方からも聞き取り調査を行いたいとのことです。皆様、お疲れのことと存じますが、捜査にご協力をお願い致します」


 マライアは厳かに言うと、グロスター卿に一礼し、グロスター卿の対面のソファに腰を下ろした。アドレイドとウイリアムもその隣に座る。


 メイドが三人の前に紅茶を運んで来た。


 暫くは室内に、微かな陶器の音だけが響く時が流れた。


 だが、その静寂を割って、不意にグロスター卿が大声を発した。


「全く冗談じゃないぞ。マライア、君にはこうなることが予想できなかったのかね? これではトミーの時と同じではないか。儂は忠告した筈だぞ。ウエイブスタン家が不徳な行いをすると、怪物に祟られるのだとな!」


 グロスター卿は興奮と怒りに顔を赤く染めている。


「不徳? 私共に何か不徳がございましたか?」


 マライアは毅然と問い返した。


「ハッ、とぼけなさんな。名誉あるウエイブスタン家がアメリカ人の庶民となぞ結婚するから、こんなことになるんだ」


「失礼ながら、グロスター卿。僕達の結婚が不徳だと仰るのですか? 確かに僕はアメリカ人で、立派な身分などありません。ですが、僕は誰よりアドレイドを愛しています。他の誰より必ず彼女を幸せにします」


 ウイリアムがきっぱりと言い返した。


 グロスター卿は不快そうに鼻を鳴らし、無言で紅茶を一口飲んだ。


 すると、それまで無言で俯いていたアドレイドがソファから身を乗り出し、グロスター卿を真っ直ぐに見詰めた。


「それでは、グロスター卿。父の血を引いている私は、生まれながらに不徳であると仰るのですね」


 これには流石のグロスター卿も少し慌てたようだ。


「アドレイド。儂は何もそこまで言っていないだろう」


「いいえ。仰っていることは同じですわ。それに、私の夫を侮辱なさらないで」


 アドレイドも一歩も引かない構えである。


 ウイリアムも怒りの表情を露わにしている。


 眉間に皺を寄せたグロスター卿が、無言で腕組みをした。


 グロスター卿の妻は青ざめ、明らかに狼狽うろたえている。


 マライアは澄ました顔で紅茶を飲んでいて、娘夫婦をたしなめたり、グロスター卿に取り成しの言葉をかけたりする様子もない。


 一触即発の空気に耐えかねたロベルトは、咳払いをして立ち上がった。そして中央のソファ席に近付きながら、穏やかに口を開いた。


「どうか皆さん、心を鎮めて下さい。主に平安を祈るこの場に、争いごとはふさわしくありませんよ」


「これはバチカンの神父様。お見苦しい所をお見せしました」


 マライアが紅茶カップをテーブルに置き、ロベルトに会釈する。


「いいえ。それより僕には皆さんの仰った言葉の意味が分かりません。ウエイブスタン家が怪物に祟られるとか、トミーさんの時というのは?」


 ロベルトの問いかけにマライアがどう答えるのかと、リビングの面々も耳を澄ましている。


「そうですわね……。お恥ずかしい過去ですけれど、今ではすっかり昔話ですので、お話し致しましょう。

 その昔、私共の先祖にシーザー・ウエイブスタン子爵という人物がおりました。

 非常に素行が悪く、昼間から酒浸りで、村娘への乱暴狼藉は数知れず。夜になればウエイブスタンの森を徘徊し、野蛮な狩りを好んだと伝え聞きます」


「狩りですか? それは貴族の嗜みでは?」


「それが普通の狩りとは違うのです。夜の森に奴隷達を放ち、猟犬達に追い詰めさせて、それを仕留めるという、言うなれば人間狩りだったと……。

 ですから当時のウエイブスタンの森には、常に死体が転がっているという有様でした」


「成る程。それで『死の森』などという、忌まわしい呼び名が付いたのですね」


「そうなのでしょうね。やがてそのシーザー自身も、森で命を落としました。享年四十六。遺体には野生の巨大熊に一撃されたような傷跡があり、内臓が食い荒らされていたといいます。ですが、山狩りでも、巨大熊は発見できなかったとか」


「そんなことがあったんですか……」


 ロベルトはごくりと唾を呑んだ。


 ロード・クリフと同様の惨殺事件は過去にも起こっていたのだ。そしてどちらも犯人は見つかっていない。


 ロベルトの背筋に悪寒が走った。


 カメラに映ったあの怪物は、『イザヤ書』に書かれた山羊の魔神。凶悪な不死の悪魔ではないだろうか。


 そして自分達は今、とてつもない危険の中に足を踏み入れようとしているのではないだろうか。


 そう思う間にも、マライアは話を続けている。


「どうやらその後も何人か、同様の犠牲者が出たようで、村人達はウエイブスタンの森に怪物が生息していると噂するようになり、死の森と恐れるようになりました」


「……それでは、トミーさんというのは?」


「トミーは私の夫です。私がアメリカの大学に留学中、私たちは出会い、不思議に惹かれ合いました。そして大学院を卒業した年、結婚したのです。

 娘も授かり、暫くは幸せな結婚生活が続いたのですが、アドレイドが生後十一カ月になるある日、トミーは庭で惨殺死体となって発見されました。

 遺体には大きな爪痕があり、やはり内臓を食べられていました」


 マライアは感情を堪えて語ったが、その頬には涙が流れていた。


 アドレイドとウイリアムは、暗い顔で俯いている。


 そう言えば、執事頭のエイベルが『アドレイド様がお生まれになった年にも、同じような事件があった』と話していたのをロベルトは思い出した。


(その被害者は、アドレイドの父親だったのか……)


 ロベルトは内心の動揺を抑え、努めて冷静に、慰めの言葉を述べようとした。

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