ウエイブスタンの怪物 2-②


 ロベルトはタオルやバスローブを平賀が見付けやすいよう、洗面台の目に付く場所にセッティングして浴室を出た。交互に風呂を終えた二人は、リネンのパジャマに着替え、広いツインベッドに寝転んだ。


 そして他愛のないお喋りをしていた時だ。


 コンコンと静かなノックの音が聞こえた。


 ロベルトが立ち上がって扉を開くと、ワゴンを押したエイベルが廊下に立っている。


「失礼致しました。起こしてしまいましたか」


「いえ、まだ起きていましたよ」


「左様でしたか。ナイト・ティーをお持ち致しましたので、宜しければ如何でしょう。リラックスしてぐっすりお休み頂けるかと存じますが」


「有り難うございます。それでは是非」


「畏まりました」


 エイベルは銀の盆に載せたティーセットをテーブルへと運んで並べ、ミニキッチンの電気ケトルで湯を沸かし始めた。


 ロベルトがその背中に、さりげなく声をかける。


「エイベルさん、今日の素晴らしい挙式からこんな立派なお部屋は勿論、ナイト・ティーのお心遣いまで、何から何までお世話になります。それだというのに、僕達は何のお礼も用意して来ず、大変失礼致しました」


「とんでもございません、ロベルト神父様。ウイリアム様のお客様は、ウエイブスタン子爵家にとりましても、最高のおもてなしを差し上げたいお客様です。何かを頂くなどとんでもないと、次期当主様も仰っておられます」


 エイベルはさらりと答えたが、次期当主とは当然、アドレイド嬢のことである。


 ウイリアムは彼女の配偶者になったが、爵位は名乗れず、いずれ二人の間に子が生まれれば、その子が爵位を継ぐこととなる。


 ヨーロッパの貴族の爵位を継ぐのは原則として長男であり、男系継承が基本である。次男以下は単に「ロード」という尊称をつけて呼ばれるのだ。ただしイギリスでは、12世紀のマティルダ女王、19世紀のヴィクトリア女王などの前例から、女系の王位、爵位継承を容認する価値観が根付いている。


 平賀とロベルトがソファに並んで座っていると、エイベルがケトルを手に戻って来て、茶葉に湯を注いだ。


 途端に甘いフレーバーが香り立つ。


「簡単なものですが、どうぞ」


 エイベルは二人にフレーバーティーをすすめ、手前にビターズボトルを置いた。ビターズボトルの中に入った琥珀こはく色の液体はブランデーだ。


 二人はそれを一口飲んだ。


「とてもホッとする味です」


「ええ、美味しいです」


「お気に召して頂き、幸いです。当家秘伝のブレンドでございます」


 エイベルは少し自慢げに答えた。堅苦しい執事の顔の下から、少しだけ人間的な表情が覗く。


「ところでエイベルさん、お父さんはご一緒ではないのですか?」


 突然、平賀が言った。


「はい。父は三年前に、執事の職を辞しておりまして」


 エイベルは苦い顔で答えた。


「ですがさっき彼は、執事頭だと仰っていましたよ」


 平賀が空気も読まずに畳み掛ける。


「お恥ずかしながら、父は斑惚まだらぼけなのです。時折、昔と今の記憶が混濁するようでして。普段は大人しく部屋にいるのですが、今日は特別な雰囲気にあてられて、少し興奮したのかも知れません」


「そうだったんですか。それは失礼なことをお聞きしました」


 平賀は眉を寄せ、頭を下げた。


「構いません。逆に皆さんを驚かせてしまいましたね」


「いいえ。どうぞお大事に」


「さて。明日の朝食は七時を予定しておりますが、宜しいでしょうか。時間になれば、メイドが呼びに参ります」


「ええ、お願いします」


「畏まりました。

 それではごゆっくりお休み下さい。夜の庭園を眺めたり、散歩なども良いですよ。今宵は満月ですから、一層美しいかと」


 エイベルは会釈し、静かに立ち去った。


 平賀がすぐに立ち上がり、窓のカーテンを開く。


 そこには、ライトアップされた優美な庭が広がっていた。


 二人は暫しそれを鑑賞した後、眠りに就いたのであった。

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