ウエイブスタンの怪物 2-①


      2


 披露宴の後にはダンスパーティーが催され、全てが終わった頃にはもう夜であった。


 殆どの招待客は帰路につき、邸に残った宿泊組は、たったの五組だ。


 ロベルトと平賀。ビルとエリザベート。


 六十代の高慢そうな男性と、物静かな女性、そして七歳ばかりの少女という、いかにも貴族らしき一家。


 二十代と思われる、ハンサムな金髪男性と美女のカップルの指には、初々しい婚約指輪が光っていた。


 そして、三十代前半と思われる華奢な赤毛男性と、同年代らしき妻と、彼女の膝に座る男児。


 暫くすると、燕尾服を着た几帳面そうな男性が五組の許にやって来て、しっかりと櫛の通ったオールバックの頭を下げた。


「皆様方、お待たせ致しました。私は当家の執事、エイベル・オルダーでございます。

 客室のご用意が出来ておりますので、どうぞこちらへ」


「うむ」


 貴族の男性が髭を摘まんで立ち上がる。


 一行も、エイベルと男性の後に続いた。


 緩いカーブのついた大階段を二階へ上ると、赤い絨毯じゅうたんが敷き詰められた廊下があり、その両脇に扉が並んでいる。


「グロスター卿ご一家のお部屋はこちらです」


 エイベルが階段からほど近い部屋の鍵を開け、それを彼に恭しく差し出すと、グロスター卿は無言で鍵を受け取り、部屋へ入った。妻子もそれに続く。


「どうぞごゆっくりおくつろぎ下さいませ」


 エイベルは深く会釈して次の扉へと向かった。


「ロード・クリフ・アッシャー様とご婚約者様は、このお部屋でございます」


 若い男性に鍵が差し出される。


「有り難う」


 ロード・クリフは笑顔でそれを受け取り、婚約者の肩を抱いて部屋に入った。


「どうぞごゆっくりおくつろぎ下さいませ」


 エイベルは再び歩を進め、次の扉を開いた。


「カール・アンダーソン様ご一家はこちらです」


「どうも」


 カールは細い声で応じ、差し出された鍵を受け取ろうとして手を止めた。


「エイベル。君からアドレイドへ、結婚祝いのプレゼントがささやかで済まないと伝えておいてくれないか?」


「カール様。そのようなこと、アドレイド様は気になさいませんよ」


 エイベルは優しい笑みを浮かべてカールの背にそっと手をかけた。


 カールが安心した様子で、妻子と共に部屋へ入る。


「どうぞごゆっくりおくつろぎ下さいませ」


 これで残るは知った顔だけだと、ロベルトが少し気を緩めた時である。


 上階へと続く階段から、物騒がしい足音を立てながら、一人の老人が駆け下りて来た。


 燕尾服を着た老紳士である。


「エイベル。お客様のご案内はきちんと出来ているのか?」


 紳士はエイベルの前で立ち止まり、とがめるような口調で言った。


「父さん……何故、ここに」


 エイベルは複雑な顔で一瞬、口籠もった。


「何故も何もないだろう。ウエイブスタン家の大切な結婚式に、執事頭である私がいるのは当然だ」


「そう……そうですね。では、父さんも私を手伝って下さい。皆さん、こちらは私の父のコンスタントです」


「皆様、本日は当家へようこそ」


 コンスタントは胸に手を当て、丁寧な会釈をした。


 ロベルト達も各々、会釈を返す。


 一行は廊下を進んで行き止まりを右に折れた。そこにも絨毯の廊下が延び、幾つかの扉が並んでいる。


 二人の執事は中央付近の扉の前で立ち止まった。


「こちらがビル・サスキンス様とエリザベート様のお部屋となります」


「有り難う」


 ビルは鍵を受け取り、平賀とロベルトに軽く会釈して部屋へと入った。エリザベートも微笑んでそれに続く。


 平賀とロベルトは、その隣室に案内された。


 二人は礼を言って鍵を受け取り、部屋に入る。


 照明を点すと、アンティークの暖色系シャンデリアが七つも吊された部屋が現れた。室内を見回すと、重厚感と格式のあるインテリアでまとめられていて、ホテルのスイートルームのように広かった。


 使い込まれた年代物の家具類は、いずれもかなりの値打ち物である。


(又、こんな不似合いな場所に紛れ込んでしまったな)


 ロベルトは苦笑しつつも、あでやかな猫足のテーブルや趣味のいい調度品に目を遣った。


 すっかり疲れた顔をしていた平賀も、目を輝かせ、室内を歩き回っている。


「見て下さい、ロベルト。お風呂がとても大きいですよ」


 声のする方へ行くと、広い浴室があり、金の猫足がついた置き型の巨大浴槽の中に、平賀がすっぽりと埋もれている。


「気に入ったようだね」


「はい。とてもくつろげそうです」


「今日は長丁場で疲れたし、たっぷりのお湯に浸かるとしようか」


 ロベルトは平賀に浴槽を出るよう、ジェスチャーで伝えると、湯加減を調節しながら湯を張り始めた。


「高温の湯も出るようだけど、どれぐらいの熱さにする?」


「折角なので、熱い温泉ぐらいの温度がいいです」


「じゃあ、そうしよう。配管の古い宿なんかだと、日向水みたいな温度のバスタブに浸かる羽目になったりするものな」


「ええ、そうですね」


 ロベルトは手で湯加減を見ながら、平賀を振り返った。


「ところでさ、平賀。さっきカール・アンダーソン氏が、結婚祝いのプレゼントのことで詫びていたようだったけど、僕こそ手土産も無しに来てしまった。単なる数合わせだから遠慮なくとは言われたものの、やはり失礼だったと反省してるんだ」


 ロベルトは申し訳なげに呟いた。


「いえ、本当にいいんです。私達は顔さえ出せばいいと、父に言われましたから」


 平賀は屈託無く答えたが、やはり世間の会話には社交辞令というものがある。


 とはいえ、ロベルトにはイギリスの上流階級の付き合いの相場も分からなければ、分かったところで払えそうにもなかった。


 ひとまず機会があれば、執事のエイベルに謝罪をしておこう……。


 ぼんやりそんなことを思ううち、浴槽に熱い湯が溜まる。


「よし、平賀。だいたい出来たから、先に君が入るといい。僕は後にするよ」


「えっ、いいんですか?」


「いいよ。少し湯がぬるい方が僕は好みだから」


 平賀がいそいそと神父服を脱ぎ始める。

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