貧血の令嬢 5-②
チェレスティーナとマティルデが退席した後、スカッピ社長は感動に目を潤ませながら、二人の神父の許にやって来て、握手を求めた。
「本当に有り難う。あんな孫娘を見ることが出来たなんて、君達には感謝しかない。
それにしても一体、どんな魔法を使ったんだね? そして、秘密だと言っていた今日の食材は、何を使ったんだね?」
そこでロベルトが、先週のコースと同じ食材を使ったこと、最初のシャーベットがチェレスティーナの最も苦手なレバーだったと説明すると、スカッピ社長は絶句した。
「チェレスティーナ嬢と同じ胃弱体質の平賀に協力して貰い、どう工夫すれば食べられるかを試行錯誤したんです」
「素晴らしい!」
スカッピ社長は、ロベルトの手を再び強く握りしめた。
「神父様、どうかお願いです。これからも時々、孫娘に食事を作ってやってくれませんか? お礼は相応に致しますから」
だが、ロベルトは首を横に振った。
「お言葉は有り難いのですが、僕には荷の重い話です。出張なども多い仕事ですし、プロではありませんから、毎回、今日のような料理の工夫を考え続ける自信もありません。
その代わりに一つ、ご提案があります。僕の友人、ベルトランド・カラマーイという料理研究家をご紹介できます。
実は今日の料理に使った調理器具はベルトランドから借りたもので、彼も今日のメニューを一緒に考えてくれたんです。ですから、チェレスティーナ嬢の好みも把握していますし、上手くやってくれるでしょう」
「ふむ、そんな方がいらしたんですね。早速、その方に連絡を取ってみたい」
ロベルトはスカッピ社長の為に、ベルトランドの電話番号をメモして渡した。
ベルトランドも社長に自分を紹介して欲しいと言っていたから、彼との約束も守れたことにホッとする。
一息ついたところで、ロベルトは
「ところでスカッピ社長。最初のお約束についてなのですが」
「ああ、先祖の残した本でしょう。用意していますよ」
そう言うと、スカッピ社長は使用人の一人を呼んだ。
その手には、古い手製の本がある。使用人はそれをロベルトに差し出した。
ロベルトは、それを大事そうに受け取った。
『薬としての食事』とタイトルが打たれている。
「有り難うございます。読み終わったらすぐにお返しします」
ロベルトは礼を言い、平賀と共にスカッピ邸を退出したのだった。
それから三日間、ロベルトは眉間に深い
一応、本は書き写した。
(それにしても、これは予想外というか何というか……)
ロベルトは自分が夢を見ているのではないかと頬をつねってみたが、普通に痛かった。
その翌日、ロベルトがバチカンの勤務を終えた帰り道で、平賀が待ち構えていた。
「ロベルト、どうでした?」
「どうとは?」
「ロベルトが見たがっていたスカッピ家の蔵書ですよ。何か発見がありましたか?」
好奇心をむき出しにした平賀に、ロベルトは小さく溜息を吐いた。
「それがだねえ……。一言で言うと、酷いゲテモノ本だったんだ。あれじゃあ、スカッピ家が門外不出を守っていたのも頷けるよ」
「ゲテモノですか?」
「ああ。スジアカクマゼミの抜け殻とか、ニシキヘビ、オオヤモリ、ミミズ、サソリ、固くなった蚕、冬虫夏草とか、スズメバチだとか、そういう物が食材とされているんだ。
どうやらあの本を記した当時、バルトロメオ・スカッピは中国の薬膳に影響されていて、そういう生薬を料理に使うレシピを考えていたようなんだ。蚕のフンのお茶なんていうのもレシピにあった」
それを聞くと、平賀は興奮に瞳を輝かせた。
「それ、作ってみましたか?」
「いや、ちらっとは考えたけれど、材料が手に入りにくいし、僕には食べられそうにない。
一応、昆虫食専門店からスズメバチを買って、スズメバチを漬け込んだ蜂蜜ワインを作ってはみたんだけど、まだ味見はしていないんだ」
「何ですって! それは絶好のタイミングです。私にも味見をさせて下さい」
「えっ、君、大丈夫なのかい?」
「はい。昆虫は観察するのも研究するのも大好きです」
平賀は少し的外れな答えを言ったが、自分と違って、昆虫に対する生理的嫌悪感はないらしい。
「わ、分かった。じゃあ、今から僕の家に来るかい?」
「はい、喜んでお邪魔します」
平賀はにっこりと微笑んだ。
ロベルトの家に到着した二人は、早速、仕込んでいたワインの瓶を覗き込んだ。
果実酒作りに使う硝子の広口瓶の底に、スズメバチの死骸が積もっている。
ロベルトは一瞬で目を逸らし、青い顔になった。
一方、平賀は楽しそうに瓶の底を覗いている。
「ロベルト、早く飲みましょう」
「……分かった。ワイングラスを持ってくるよ」
ロベルトはワイングラスを運んできて、スズメバチワインを掬い取った。
「効能としては、低血圧や倦怠感、食欲不振、心臓にも良いと書かれていたんだが」
ロベルトは説明しながらグラスを平賀に手渡した。
「パーチェ(平和)」
乾杯の合図を交わして、一口飲みこむ。
「何とも言えない味だね」
ロベルトは力なく呟いた。
「はい。甘い中に酸味があって、少し生臭さもありますね。スズメバチの毒の味でしょうか?」
平賀は立て続けに三口、ワインを飲むと、ハッと驚いたように顔を上げた。
そして右手の人差し指と中指と薬指を三本並べて、左手首の親指側にある動脈に触れ、自分の脈を測り始めた。
「おお、凄いです。一気に脈が上がってきています。心臓も少しドキドキして、目が冴えるような感じがします。これは面白いですね」
平賀は楽しそうに言って、小さな声で素数を数え始めた。
(全く、君にはいつも驚かされるよ……)
「き、君がそんなに気に入ったのなら、たまには作ってみてもいいけど……」
ロベルトがおずおずと小声で言うと、平賀は元気に答えた。
「はい!」
(終)
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