貧血の令嬢 4ー①

 

 ロベルトは、レバーをフードプロセッサーに入れて粉砕した。


 そして出来たレバーペーストの半量をブイヨンと合わせ、そこにアルギン酸ナトリウムを溶かし入れた。ボウルには、乳酸カルシウムを溶かした水を張った。


 ロベルトが分子料理用のスポイトを取り出すと、平賀がまるで子供がせがむ様に、「それ、私にさせて下さい」と言う。


「いいよ」


 ロベルトが、スポイトとボウルを平賀に渡すと、平賀は早速ブイヨン入りのレバーペーストをスポイトで吸い取り、それを滴々と、ボウルに張った水溶液に落とした。


 落とした物は、直ぐに球体になっていく。


 平賀はそれを見て楽しそうだ。


 そして最後の一滴が球状になったのを見定めると、満足そうにロベルトにボウルを差し出した。


 ロベルトが球体を指で押してみると、球体は膜の様な物で覆われ、ぷりんとした触感があった。


「平賀、これを食べてみてくれないか?」


「はい」


 平賀はスプーンを取って、二、三粒の球体を、口の中に放り込んだ。


 そして眉間に大きく皺を寄せた。


「駄目かな?」


「はい、ロベルト。気持ち悪いです。膜がプチッと弾けると、ドロッとしたいやな液体が口一杯になって、とても耐えられません」


「無理せずに吐き出していいよ」


「はい」


 平賀は吐き出しこそしなかったが、コップでうがいをしている。


(これが駄目なら、次に行くしかないな)


 ロベルトはフードプロセッサーに残っていた半量のレバーペーストをビニール袋に入れ、液体窒素の中へと放り込んだ。


 液体窒素の中で、ビニール袋はたちまち白く凍っていく。


 充分な時間を置いてから、それを取り出すと、中のレバーペーストはシャリシャリとしたシャーベット状になっていた。


 それを器に盛り、平賀に差し出す。


「次はこれを食べてみてくれないか」


 平賀は頷き、スプーンでレバーのシャーベットをすくうと、口の中へ入れた。


 暫く瞬きしていた平賀は、明るい声で言った。


「ロベルト、これは凄く美味しいです。食感もシャリシャリとしているだけで、生臭さも無くなっています。それどころか後味に少し甘味を感じられるぐらいです」


「これなら、チェレスティーナ嬢も食べられそうかい?」


「問題ないと思います」


「溶けてしまわない内に食べて貰わないといけないから、出し時が問題だな。その辺りは調整しよう。まあ、これでクリアだ」


 ロベルトは安堵しながら、次にサラダに取り掛かった。


 芽キャベツをオーブンで、焦げ目が付くぐらい焼く間に、赤とオレンジのパプリカを柔らかくなるまで煮る。それを取り出すと縦切りにした。そして、パプリカの皮を剥く。


 パプリカは皮を剥いた方が断然、旨味が増すからだ。


 オーブンから芽キャベツを取り出し、そのまま皿の中央に盛り付ける。芽キャベツの周りに、パプリカを巻いていくようにする。


 そうして最後に、パプリカを押して上の部分にカーブを加える。


「花ですね!」


 平賀が皿を覗き込んだ。


 ロベルトは消化に良いというエシャロットを二つ取り、彫刻刀を使ってカービングを施し、小さな花にして、皿の端に置いた。


「ああ、花なら万人受けするだろう。ここで、ムール貝の出番だ」


 ロベルトは、すっかり煮詰まったムール貝の出汁を味見した。


 よく旨味が出ている。ここまで煮込んだ甲斐があったというものだ。


 ムール貝の出汁をよく冷やしてから、エスプーマに入れた。


 エスプーマをサラダに向けて、ボタンを押すと、シューという音とともに透明の泡が出てきて、サラダを包み込んだ。


 そこに塩コショウを振りかける。


 簡単だが、これで出来上がりだ。


「これも食べてみて、いいんですよね」


 平賀はすでにフォークを持って待機していた。


「ああ、食べてみてくれたまえ」


 こくりと頷いた平賀は、泡をたっぷりまとったパプリカから取り、口に入れた。


「なんだか、泡が新鮮な感覚です。魚介の風味はしっかり効いているのに、上品な薄味で、とても美味しいです」


 平賀が、こんなに食べ物の話を、嬉々として喋るのを見たことが無い。


(僕も普段から分子料理に手を出すべきなのかな)


 ロベルトはふと、そんなことを思ったが、頭を振って考え直した。


(いやいや待て、分子料理の器材を揃えるにはお金がかかるし、僕の料理は少しずつ平賀の味覚によって更新されている。今のままで大丈夫だ)


「次は何を作るんですか?」


「そうだな、君にはハンバーグの上にかける、小さなブランケットを作って貰おう」


 ロベルトはキャラ弁のスケッチを平賀に見せて言った。


「食材でブランケットを作るんですね。やります、是非やらせて下さい」


 そう言うと、平賀は早速、トランスグルタミナーゼ入りのガラスボトルを取ってきた。


「白身魚とサーモンの切り身が冷蔵庫に入っているから、それを使って」


「分かりました。早速デザインをしてみます。ロベルト、画用紙を使わせて貰えませんか?」


「いいよ。鞄に入れてあるから好きに使ってくれ」


 平賀は、いそいそとロベルトの鞄からスケッチブックを取り出し、そこに模様を描き出していった。


 どうやら何パターンも考えている様子で、複雑な幾何学模様を描いている。


(市松模様とか、簡単なものでいいんだけどな……)


 ロベルトはくすりと笑いながら、スープ作りを始めた。


 作るのはブロッコリーのスープだ。


 ブロッコリーは何と言っても豊富な栄養素のあるスーパーフードだ。


 それでしっかり栄養を取って貰いたい。


 ロベルトは、まずブロッコリーを適当な大きさに切って沸騰した水の中に入れた。


 柔らかくなるまで茹でた後は、お湯から出し、アンチョビとともにフードプロセッサーでペースト状にする。そのペースト状にした物に、コンソメ出汁、牛乳、すり下ろしたニンニクとタマネギを加える。


 それらを、ゆっくりと馴染む様にかき混ぜると、再び火にかけて煮ていく。


 そんな作業をしている内に、平賀がスケッチブックを抱えて戻ってきた。


 スケッチブックを、まな板の横に置き、冷蔵庫から白身魚とサーモンを取り出している。


 そして、一番小さな包丁で、魚の身を切り出した。


「平賀、そんな小さな包丁だと危ないんじゃないかい?」


「いえ、私の場合はこれくらい小さな方が、よく扱えるんです。科学実験を行う時は、皆、小さなメスを用いますから」


 平賀はご機嫌な様子で、切った魚の身にトランスグルタミナーゼを振りかけている。


 そして魚の身同士を、器用な手つきで合体させ始めた。


(これが料理だと言うなら、平賀と一緒に料理が出来るな……)


 ロベルトはまた、ふとそんなことを考え、駄目だ駄目だと自分に言い聞かせて、首を振った。

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