貧血の令嬢 2ー④


※  ※  ※


 水曜日、スカッピ社長からロベルト宛に、アンケートが出来たと連絡があった。


 終業後、ロベルトが本社の社長室までアンケートを取りに行くと、スカッピ社長は悩み深げな顔でアンケート用紙を見詰めていた。


「スカッピ社長、ご連絡有り難うございます」


 ロベルトが声をかけると、スカッピ社長は弾かれたように顔を上げ、席を立った。


「ロベルト神父様、この度は本当にお世話になっています」


「アンケートを見ていたのですね?」


「ええ……。あの子の偏食が酷いとは思っていましたが、ここまでとは……」


 スカッピ社長は大きな溜息を吐いた。


「拝見しても宜しいですか?」


「ええ、勿論です」


 スカッピ社長はアンケート用紙の束をロベルトに差し出した。


 ざっと目を通したロベルトは、小さく息を飲んだ。


(確かにこれは……酷いな)


 二十枚にわたる食品項目の殆どに「嫌い」の印がついている。


 肉類に至っては、ほぼ全滅で、その理由は「脂が辛い」とある。レバーはわざわざ「大、大嫌い」と書かれていた。食べられるのは、鶏の胸肉、牛フィレ肉と、何故か羊肉だけである。


 魚はと見ると、基本的には普通という感想だ。食事会の際に食べられなかったのは、恐らく調理法の問題だろう。


 魚介類に関しては、貝はほぼ全滅だ。理由は、色が気持ち悪い。形が気持ち悪い。内臓の部分が気持ち悪い、などと書かれている。唯一食べられるのはアサリだけだ。


 エビ、タコ、イカなどに関しては、問題はないらしい。


 穀物に関しては、パスタはまず、すぐにお腹が一杯になるという理由で、余り好きではない、とある。イタリア人としては致命的だ。


 パンは好きだが、量は食べられないようだ。


 野菜は、意外に好き嫌いがない。但し、サラダの項目でドレッシングが沢山かかっているのは、好きではないとある。


 チーズは全種類、好きという感想である

 全部で百品目余りの食材で、七割強が嫌いというのは酷い結果だ。


 調理法では、シンプルな味付けの方が好みである傾向が見られた。意外なことに唐辛子やハバネロといった辛い物もいけるらしい。


「なかなか手ごわいようですね」


「あの子が喜んで食べるような物が、出来そうでしょうか?」


 スカッピ社長が恐る恐る訊ねてきた。


「ええ、努力します。こちらには頼もしい協力者が居ますから」


「協力者とは?」


「チェレスティーナさんと同じ、胃弱の友人が協力してくれています」


 ロベルトの言葉に、何と答えたらいいのか戸惑っている様子のスカッピ社長に、ロベルトは会釈して、「次の日曜日に間に合うように、料理を試作してみます」と約束し、部屋を出たのだった。


 ロベルトは自宅に戻った。


 平賀は既に待機している。


 ダイニングテーブルを挟んで向かい合った二人は、お互いに見えるようにアンケートの紙を横向きに広げた。


 平賀は、熱心にそれを見て言った。


「やはりこうして見ると、昔の私に食の傾向が似ていますね」


「君もこんなに好き嫌いがあったのかい?」


「いえ、私の場合、好き嫌いという感覚はありませんでした。ただ、子どもの頃から、胃腸を介さず、光合成で生きられたらと願うような具合でした」


「……そ、そうか。じゃあ、これを見て、どんな感想を持ったか、教えてくれるかい?」


「はい。明らかに言えることは、やはり彼女は動物性の油分を消化吸収する能力が低そうだということと、炭水化物等の消化に負荷のかかるものは、少量しか食べられないということです。

 しかし、救いもあります。例えば、特に好き嫌いがないと答えている魚の品目を見ると、油の多いイワシなども食べられるようです。つまり彼女は、魚の油に対しては消化吸収がよくできていると推察できます。

 少量の食事で高エネルギーを摂取するとすれば、油分の摂取が不可欠ですが、彼女の場合、魚油つまりドコサヘキサエン酸やエイコサペンタエン酸で、それを補うことが可能と思われます」


「成る程。僕としては、貧血気味の彼女には、是非、ほうれん草やレバーも食べて貰いたいところだけどね」


「仮に、彼女にレバーを食べさせるとすれば、食感や臭みを消し去る必要があるでしょうね。これほど苦手意識が強いということは、厭な記憶も多いのでしょう。無理に勧めて後で吐いてしまっては、元も子もありません」


「要するに、食感を完全に変えて、臭みを完全に消してしまわないと駄目だってことか」


「ええ。レバーだと悟られないようにすべきでしょう」


「成る程……」


「はい、そうです。形状や色は、彼女にとって非常に大事なポイントと考えられます」


 ロベルトは暫く考え込んだ。


 そして一つの解決法を思いついた。


 それは、彼がこれまで絶対的に忌避していた調理法である。


 かつてグルメな友人に連れられてその料理を食し、食感も味わいもすっかり消し飛んでいるその調理法に怒りを覚えたことがある。


 ロベルトは、ぐっと拳を握りしめた。


「分かったぞ、平賀。分子料理だ」


(続く)

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