貧血の令嬢 2-③
3
平賀の家に到着したロベルトは、相変わらず何の為に使われるのか見当もつかないオブジェやら謎の物体が乱雑に散らかり、積み上げられた本が雪崩を起こし、床にメモ用紙が散乱している、埃だらけの部屋の中へ通された。
数日以内に必ず整理整頓しに来ることを心に誓いながら、ダイニングテーブルに着く。
平賀はテーブルの上の紙の束を床に移動させ、スペースを作った。
そして冷蔵庫からボトルコーヒーを出して来て、二人の前に置いた。
コーヒーを片手に、ロベルトが今日の出来事を詳細に話し出す。
平賀は瞬きもせず、話に聞き入っていたが、ロベルトが説明を終えると、ポツリと言った。
「そのご令嬢のお話、余り他人事とは思えませんね」
「そうだろう? 君なら彼女の好みや、何故、あんなに小食かが理解できるんじゃないかと思ってね」
「ええ、彼女の様子を聞く限り、私の体質とよく似ています。食べるとすぐ眠くなってしまうところや、少量の食事ですぐ満腹になったり、無理に食べると吐いたりするのも同じです」
「ふむ。彼女がああも小食である原因は、一体何だろう?」
「恐らく、病気とまでは確定しない、胃弱体質としか言いようがないのですが、体質というのは一番厄介なんです。投薬や手術ではなかなか改善しませんからね」
「ああ。スカッピ社長もそんなことを言っていた」
「私の個人的な見立てでは、今のチェレスティーナさんは、負のスパイラルに陥っているんです」
「どういう意味だい?」
「そもそも私や彼女のような人間は、普通の人より食べられる量が圧倒的に少ないのです。
とりわけ胃に重い負担のかかる油分や炭水化物は、少ししか食べられず、無理に食べれば吐き気を催したり、貧血症状を起こすこともよくあります。
食後にふらつきや
要するに、食事をする度に体調が悪くなり、嘔吐や下痢といった問題が起こるのが当たり前という体質なのですから、食べるのが億劫になり、厭になり、食欲を感じにくくなります。
そして食欲もないのに又、食事の時間が来るとなりますと、その精神的なストレスから、余計に食べられなくなるという訳です。
チェレスティーナさんの場合、嘔吐の症状が比較的強いようですから、胃酸過多、つまり胃腸内の胃酸が過度に分泌される傾向がありそうです。その原因はハッキリ分かっておらず、胃粘膜から分泌される粘液が減少したり、胃酸が過度に分泌されたりで、互いのバランスが崩れた状態だということです。
胃酸過多の症状は胃もたれ、胸焼け、吐き気や胃痛が有名ですが、他にも胃部や腹部に膨満感があり、胃腸が石のように硬く重くなって、全く動いていないという感覚をもたらします。こうなると食欲は、ほぼゼロとなります」
淡々と語る平賀の言葉を聞きながら、ロベルトは顔を
「そりゃあ大変だな……」
「はい。だからといって食事を摂らなければ生きてはいけませんから、彼女や私のようなタイプは、その時自分が食べられそうなものを少しずつ、怖々食べるようになります。
私の場合はそういった食事法を全く苦痛とも思いませんでしたが、チェレスティーナさんの場合は、祖父や両親、親族の方々からのプレッシャーを強く感じているでしょう。
いずれにせよ、食事を
ちなみに食後に眠気に襲われるのは、血糖値の上昇のせいでしょうね」
「成る程ね……。孫娘に美味しい食事を楽しんで貰いたいというのが、スカッピ社長の願いだけれど、実際の彼女は食事を楽しむ所じゃなかったという訳か」
「ロベルト、私達のような人間は、旺盛な食欲がありません。というより、食べること自体、楽しいことではないのです。
空腹時に夢中で食べる料理は美味しいとよく聞きますが、空腹感がなければどうでしょうか。
食欲よりも、見た目や食感、匂いといった情報が優先して脳に入って来ます。その結果、チェレスティーナさんの発言のいくつかにあったような、匂いや食感への拘りや、激しい好き嫌いが起こるのではないでしょうか。
それから、チェレスティーナさんの状態から考察するに、彼女は若干の吸収不良症候群である可能性が高いです」
「吸収不良症候群とは?」
「人の口から食道、胃、腸、肛門に至る消化管は、食物中の糖質、脂質、蛋白質、ビタミンなどの栄養素を消化吸収する役割を担っています。その吸収率が悪い、もしくは分解された栄養素を全身に送る経路の不良というところでしょうか。
その結果、体重の減少や貧血、浮腫、倦怠感などの症状が現れます。
吸収不良に伴って生じる低栄養状態を改善する為には、一般的に高エネルギー、高蛋白、低脂質な食事が基本となります。チェレスティーナさんの体格、運動量などに合わせて、適正な目標カロリーを設定し、守るようにするのが理想かと思います」
「医師は病気ではないと言っていたらしいけど?」
「病気と判断されない程度の体質的傾向でしょう。あと、食事を食べきる時間にも考慮した方がいいかも知れません」
「時間が長い方がいいのかい? それとも短時間がいいのかい?」
「コース料理ですと、二時間はかかったでしょう?」
「ああ、それぐらいだね。非常に美味だった」
「大体、人間の満腹中枢が働くのは食べ始めてから二十分後だとされています。つまり二十分間は、食べても満腹の感覚がないのです。その間に、出来るだけ食べるのがベストです。精神的に圧迫される食事が並ぶテーブルで、二時間も居続けるのは、私達にとって拷問のようなものですよ」
「そんなに苦痛とは……。それにしては、君はよく食べるようになった方なんだね」
「貴方の食育の賜物ですよ」
平賀はニコリと微笑んだ。
「大体の事情が分かった所で、まずどこから手をつけ始めればいいだろう?」
「そうですねえ。まずはチェレスティーナさんの好き嫌いを把握しておく必要があるでしょう。ロベルト、彼女にアンケートを取りましょう」
「成る程、アンケートか」
「はい。主要な食品を書き出して、好きか嫌いか、どういう理由で嫌いなのか、一覧データを作るのです」
「よし、じゃあ早速、アンケート作りに取り掛かろう」
「ええ」
平賀はノートパソコンを立ち上げ、食材のリストを書き出していった。
ロベルトがその食材を使った、一般的な料理名を述べていく。
そのそれぞれに、好きか嫌いかを五段階に分けて答える欄と、その理由を記入する欄を設ける。
夜更けまでかかって、二人は二十枚にわたるアンケートを作り上げ、スカッピ社長に送信したのだった。
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