貧血の令嬢 2-②
二皿目の前菜は、『白レバーと干しブドウココア風味のタルト仕立て』であった。
ほろほろと崩れるような食感を楽しめるココア風味のタルト生地の上に、上質な白レバーをオーブン調理したものと、干しブドウが散りばめられている。
干しブドウの甘味とレバーの風味がよく合い、食感も楽しい一品だ。
しかし、チェレスティーナを見ると、干しブドウだけをフォークで刺して食べている。
「これも食べられないかな?」
「はい。レバーは嫌いなの。もそもそするし、食べると厭な臭いがする……」
「成る程、そうなんだね」
(貧血気味のようだから、是非レバーなどの精のつくものは食べて欲しいところなんだが……)
ロベルトは本気で心配になってきた。
三皿目はスープだ。『オニオングラタンスープの再構成』と、メニューにはある。
運ばれて来たスープを見た。塩釜になっている。
それを給仕達が上手に割っていくと、熱いスープが現れた。
一口飲んでみる。
深いコクのある牛出汁がベースになっているようだ。そこに加えられているのは、人参やセロリ、ポワロー等から取ったブイヨンだろう。
美味である。
横のチェレスティーナを見ると、このスープは気に入ったようで、皿に予め盛り付けられているフランスパンと共に食している。
「これは食べられたね」
ロベルトが言うと、初めてチェレスティーナは微笑んだ。
「スープは好きよ。出てくる料理が全部スープだったらいいのに」
(確かに栄養ならそれだけでも摂れるだろうが……)
ロベルトは、出会った頃の平賀が、「私は固形物を食べるのが苦手なんです」と言っていたことを思い出した。
四皿目は、魚料理であった。『魚のブールフランソース』とある。
淡泊な白身魚に、バターがふわりと香る繊細なソースが非常によくあっている。
だが、チェレスティーナは、一口食べただけで、眉間に皺を寄せ、フォークを置いてしまった。
「どうしたの? これも駄目かい?」
「バターの香りがきつすぎて、食べられないわ」
にべもない一言だ。結局、彼女は、この料理も食べ切らず、皿は下げられていった。
次に出てきたのは、口直しのグラニテである。
高級ブドウの汁をシャーベットにしたものだ。
チェレスティーナは、問題なく食べている。
六皿目は、『牛のタルタル』であった。フランス料理の定番である。
生の牛肉を細かくしたもので、そこに玉ねぎやケッパーが混ぜこまれている。さらにはタルタルの中央には、生卵が乗っている。
その肉が、実に新鮮で甘味があり、絶品と言えた。
チェレスティーナはというと、一口、二口と食べて止めてしまった。
「これも美味しくない?」
「ううん。でもお腹が一杯なの」
チェレスティーナは疲れ切った顔をしている。
ほぼ、スープとスライスしたフランスパンしか食べていないのに、これはかなりの小食だ。
次に出てきたのは、『丸ごと
横にはグリルした野菜が添えられていて、丸ごとの鶉が、こんがりとバター風味で焼かれている。
皮はパリパリとして、中の肉質は、鶉にしてはジューシーだ。
特有の臭みがなく、柔らかいのは、恐らくヨーグルトに漬け込んで暫く寝かせたからだろう。
しかし、チェレスティーナは、食べなかった。
複雑な表情で、料理を
「お腹が一杯で、食べられない?」
「こんなの厭よ。だって鳥さんの形のまんまじゃない。可哀想……」
どうやら彼女は、生き物を料理して食べているという実感が湧くと、厭なようだ。
次の皿はサラダだった。
様々な香草と食用花が散りばめられたサラダは、目に美しい一品で、赤いドレッシングがかかっている。
ロベルトは一口食べて、そのドレッシングの美味さに感激した。恐らくビーツを土台にして作られたドレッシングだろうが、今まで食したどのドレッシングより美味しい。
チェレスティーナは、少しずつ食べていた。
癖のある香草も入っているのに食べられるという事実に、ロベルトは少し光明を見出した。
彼女の舌のキャパシティは、それほど狭くなさそうだ。
サラダを半分ほど食べて、チェレスティーナは食べるのを止めた。
次に出てきたのはチーズである。
チェレスティーナは、一つだけチーズを食べた。意外と癖のあるゴーダチーズである。
「他のチーズは苦手かい?」
「チーズは好きだけれど、お腹が一杯で、もう食べられないわ」
その言葉通り、次に出てきた甘いお菓子にも、彼女は手をつけなかった。
「お菓子は嫌い?」
「はい……。食べると身体が火照って疲れるから、得意じゃないわ」
最後のフルーツの盛り合わせも、チェレスティーナは拒否した。
食事が終わると、チェレスティーナはぼんやりとした顔付きになって、目は
すると、彼女の母であるマティルデが、心配した様子で声をかけた。
「チェレスティーナ、眠くなったの?」
母からの問いかけに、チェレスティーナは小さく頷いた。
「そう。じゃあ、自分の部屋に戻って、もう寝なさい」
「いいの?」
「いいわよ」
するとたちまち安堵した顔になったチェレスティーナは、椅子を降りると、小さく会釈して部屋から出ていった。
スカッピ社長は、長い溜息を吐いた。
「ロベルト神父様、見て頂いた通りです」
「確かに、余り食事が進まないようですね」
「ええ、あれには私の会社の未来もかかっています。なるべく様々な味や、食材に通じて欲しいのです。でも小さな頃から、あのように極端に食が細くて……。
それで私は、美味しい物を沢山知れば、あの子の好き嫌いも少しは改善されるのではないかと思い、週に一度は世間でも評判の良いシェフに来て貰い、こうして家族で夕食会を催している訳ですが、それでも一向に好き嫌いが治らないのです。少しでも食べると、直ぐに眠くなってしまうのもチェレスティーナの特徴です」
スカッピ社長の額には、深い皺が刻まれた。
「朝食や昼食もですか?」
ロベルトの問いにマティルデが答えた。
「ええ、本当に小食なんです。『今は食べられない』と言い張ることもありますし……。けれど、栄養が不足しているせいか、あの子は疲れやすくて、時々、顔がむくんでいたりもします」
「なんとか言い聞かせて食べさせても、後で吐いてしまうので、私達はお手上げです」
夫のジェレミアは、頭を抱えながら言った。
「お医者様の診断では、貧血気味だということだけですけれど、このままの食生活だと、本当に病気になってしまうんじゃないかと、心配で心配で……」
マティルデは声をふり絞るように言った。
確かにあれでは心配だろう。他人の自分でさえ、彼女の食事風景には相当、ハラハラさせられたのだ。
「ご事情は分かりました。是非、チェレスティーナさんに出す料理を僕に作らせてください。なんとか彼女が食べられるような栄養のある物を作ります」
「お願いします、ロベルト神父様。貴方だけが頼りなのです」
スカッピ社長の
「分かっています。但し、少し時間を下さい」
「時間とは、どれ位です?」
「そうですね。せめて一週間は下さい。僕なりにチェレスティーナ嬢の置かれている状況を調べてみたいのです。何故、食べられないのか、何故吐いてしまうのか」
「分かりました。どうか頼みます」
スカッピ社長は指を組み、祈るように言った。
「はい。では、早速出来ることから始めたいと思いますので、今日はこれで失礼致します。お招き有り難うございました。大変美味な
ロベルトが席を立つと、執事が傍にやって来て、玄関まで付き添ってくれた。
スカッピ邸を出たロベルトは、すぐに携帯で平賀に電話した。
『はい。平賀です』
「僕だ。ロベルトだ」
『どうしました? こんな夜に』
「実は、君に相談に乗って欲しいことがあるんだ。今からそっちに行ってもいいかな?」
『ええ、構いませんよ』
「じゃあ、すぐに行くよ」
『お待ちしています』
ロベルトは、大通りに出てタクシーを拾い、平賀の家へと向かった。
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