貧血の令嬢 2-①

       

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 夕刻。ロベルトは、ボルゲーゼ公園にほど近い高級住宅街へやって来た。


 二年先まで予約が埋まると評判のバルトロ・チェーヴァシェフの料理が食べられるのは幸運だが、果たしてどんな食事会になるのか、どんな令嬢に会えるのかと、緊張する。


 教えられた住所の一帯には、大邸宅が並んでいた。


 中でも一際大きくそびえているのが、三階建てのスカッピ社長の豪邸である。


 そのやしきの外装は、ホテルのようにエレガントであった。


 門番に挨拶をすると、邸の中から執事が現れ、鉄の門扉が開く。


 執事の案内で、手入れのいい庭を通り抜け、見上げるような正面玄関をくぐり、数々の調度品が並ぶ長い廊下を進んでいくと、食事室に到着した。


 その部屋の内装は、高級レストランをそのまま持って来たような豪奢さで、大小のシャンデリアが輝き、天然大理石の長テーブルが置かれている。


 スカッピの一族は既にテーブルに着席していた。その背後には給仕達が立っている。


 男性は皆、タキシード姿で、女性は華やかなドレスを着、宝石をつけていた。


 赤毛を編み込みにし、大きなブルーの目をしたチェレスティーナも、セーラー襟のシックなワンピースでお洒落をしている。


 本格的なドレスコードに一瞬、戸惑ったロベルトだが、こういう時にも神父服は万能である。


 家長席に座っていたスカッピ社長は、ロベルトを見ると笑顔で立ち上がり、二人は握手を交わした。


「皆、こちらはバチカンのロベルト・ニコラス神父様だ。今日は特別に、神父様をお招きした。

 ロベルト神父。私の一族を紹介しよう。母のオデッタ、妻のミレーナ、長女のレジーナと夫のフィオレンツォ。向かいにいるのが、長男のジェレミア、その妻のマティルデと孫娘のチェレスティーナ、そして次男のバッティスタだ」


 スカッピ社長が皆を紹介すると、一族は席を立ち、深々とお辞儀をした。


 チェレスティーナも、レディ然としてお辞儀をする。


「このような素晴らしい場にお招き頂き、光栄です」


 ロベルトも当たり障りのない挨拶をした。


「さて。ロベルト神父様には是非、チェレスティーナの横に座って貰いたい」


 スカッピ社長の号令で、バッティスタが席を移り、ロベルトがチェレスティーナの隣に着く。


「初めまして、チェレスティーナさん」


 ロベルトはにこやかに声をかけた。


「初めまして、神父様」


 チェレスティーナが、感情のない声で答える。


 余り社交的なタイプではないのだろう。自分の世界を強く持っていて、他人に心を許すのが難しいタイプかも知れない。


 そんな第一印象を抱きながら、改めて彼女を観察すると、手足も身体も細く、透けるように色が白い。指の爪は、少し紫がかっていた。


 やはり平賀とよく似ている。栄養が足りず、血液が指先まで届いていない証拠である。


(確かに、これは問題だな)


「さぁ、食事の用意を頼む」


 スカッピ社長がそう言うと、給仕達は次々と部屋の奥にあるドアの向こうへと消えていった。


 ロベルトは、前に置いてあるコースメニューを見た。


 一皿目のアミューズは、『ノルマンディー風牡蠣のフラン、ムール貝を添えて』とある。


 やがて、給仕達が料理と食前酒を運んできて、それぞれの席に置いた。


フランは牡蠣のピュレに卵やクリームを加えて、プリンカップに入れて蒸したものだ。一口食べると、非常に柔らかく、口の中でとろける。そして、牡蠣の風味がふわりと残る。


 そこに、太った牡蠣とムール貝を白ワイン蒸しにしたものが、添えられていた。


 フランスのノルマンディー地方は、ムール貝や牡蠣の産地で、牧畜も盛んな為、乳製品も豊富で良質だ。そんな所から、貝類やクリームを使った料理は、ノルマンディー風と名付けられるのだ。


 それにしても、一皿目から、気の利いた美味しい料理であった。


 ロベルトは舌鼓を打ったが、チェレスティーナは気難しい顔をして、フォークでフランを突いているだけで、一向に食べようとはしない。


 こういう仕草も、平賀と似ている。


 彼女がマンダリンオレンジのジュースを一口飲んだ所で、ロベルトは小さく声をかけた。


「どうしたの? 食べないのかい?」


「……」


「僕は決して怒ったり、驚いたりしないから、今の正直な気持ちを話してごらんよ」


 ロベルトは優しく言ったが、チェレスティーナは唇を固く結び、首を横に振った。


「ねえ、例えばさ、ご家族には却って言い辛いことでも、僕ならどう? 僕は神父だ。神父といえば、人の相談に乗るのが仕事なんだ。少しは力になれるかも知れないよ」


 するとチェレスティーナは眉間に皺を寄せ、たっぷり五分ばかり考えた後、消え入りそうな声で答えた。


「……あのね、お祖父ちゃまやママ達が、私の食事のことで困ったり、色々してくれているのは知っているの。悪いと思っているの。でも、やっぱり食べられないの……」


「ふむ。どうしてだろうね?」


「だって……牡蠣とムール貝は嫌い。牡蠣はいその臭いがきつくて、ぶよぶよしていて気持ち悪いし、ムール貝はオレンジ色で、毒みたい」


 どちらも美味しいのに、むごい言い様だ。


「貝は全部苦手なのかい?」


「小さい貝なら、食べられるわ」


 結局、チェレスティーナが一口も料理に手をつけないまま、皿は下げられていった。


 一族は、そんな彼女を心配そうに見ている。

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